第十七章 「前本利彦の人物画 1」

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                          「春」屛風四曲一双 1993年

 

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                       「装う女」 屛風四曲一双 1993年

 

 

いつかは前本の人物画について書かなければならないと思っていた。あまりにも大きなテーマであるのと 満足な作品写真が手元に無い事が私の決心を鈍らせていた。

 

今年の冬は例年になく寒い。早い時期に雪が降り 風の無い事が唯一の救いであったはずの八ヶ岳南麓に北風が容赦なく吹き荒れて 氷の中に閉じ込められているのと変わらない。夕刻の富士山は桃色の雲に包まれ 薄藤色の山肌に雪がかかり  暗くなるまでの一瞬は心潤うひと時だが 終日寒い。

 

外に出る気にはならない。こんな機会に人物画について書いておこうと思った。

 

まだ美大の学生だった頃 前本は殆ど学校には来なかった。この人が同級生だと知ったのは一年生の夏休みが終わり 批評会に自画像を持って現れた時だったような気がする

北海道の湖を背にして 倦怠感に満ちたポーズで虚ろな表情の自画像はピエロの顔だった。今思えば まったく笑っちゃう若い人の絵なのだが 何故か印象深いリアリティがあった。この人のこの思いは観念ではない 本当にこういう人なのだと誰もが納得できる作品であった。先生達も同じ様に感じたようだ。

 

以来 この瘦せて透き通るように青白い青年は人物を描き続けた。誰が見ても彼の人物は どの作品もが自画像だと感じるはずだ。

 

大学を出て公募展に出品するが思ったように入選も受賞もせず 人物画などは売れなくて当たり前であるから貧困と無理解の中で描いていた黒い裸婦は怒りが内在した凄まじい作品であった。八ヶ岳に越す為に古い作品を物置から出して 数十年ぶりに見た。当時はそれが当たり前のように見ていた作品は怒りそのものが形になった 得も言われぬものだった。それは人の怒りとはこういうものと 言葉や態度を超えた切実さを持って伝えていた。凝視することのできない痛ましさを目の当たりにして前本の青春の過酷さを思った。前本はこういった作品を描いておいて良かったと言った。

 

今回掲載した作品は前本が四十代前半の作品である。この時世の中はバブル崩壊直前のクレイジーな時代であって 絵は投機の対象となった。今となれば 莫迦気た事であって なんの見識も持たない代わりにお金を持った人々が いずれ画料が上がるであろうとふれ込む画商の言うなりになって絵を買いあさった。

 

画廊は始終企画展を催しては集客に努めていた。「La Moda」はイタリアのデザイナールチアーノソプラーニのデザインした衣装をモデルに着せて描くという企画で依頼があった。冒頭の屛風二作品はその展覧会の案内状に使われた作品である。

 

 

案内状に掲載された前本の挨拶文を紹介しておく。

 

『女性のファッションを題材にした絵はかなり古くからある。人間の持つ美意識の根源に触れるものがあるからであろう。日本では浮世絵がその代表に上げられる。扨て、今回の個展では、イタリアのファッションデザイナー ルチアー・ノソプラーニとの出会いにより、彼のデザインするモードから触発されたイメージをもとに、現代の女性像を日本画で表現するという試みとなった。技術的にも思想的にも東洋と西洋を強く意識しながら仕事を進めた。その交錯した葛藤の中から何かが生まれる筈だと信じている。』

 

 

 

 

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                              「聖夜」 20号変形

 

 

 

 

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                              「黒牡丹」 30号変形

 

 

 

 

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                                     「蘭」 4号F

 

 

この展覧会には十四点ほどの作品を出品した。ソプラーニはイタリアの寒い地方の生まれだったように記憶している。丸々として良く喋る秘書の男の陰に隠れるようにして現れたソプラーニは 寡黙な大男で大型犬のように優しかった。私は彼のコスチュームを実際に手に取って見て これは前本にぴったりだと感じた。柔らかい薄物の生地と淡い色彩の柄行 春の花々を縫いつけたり黒いレース造った牡丹で衿元に飾った羽織のようなジャケットなど北国独特のメルヘンがあった。 ロマンティックでありながら現代的な叙情が感じられた。前本と共通する感覚があった。 

 

ソプラーニは展覧会のカタログに親切なコメントを寄せてくれたりしたが 程なくあっけなく亡くなってしまった。儚い夢の中の出来事のような展覧会にも想えるが 作品を見るとしっかりとした前本の情熱がこもっている。

 

 

その後も前本は次々と想いを形にするように人物画を描いた。これほど自らの感受性に素直に描かれた日本画の人物画はあまりないように思う。前本の心の内に常に在る 自分はこの様な者であり この様な事を大切に思い この様な姿勢で人生を歩んでいる といった言葉には出来なかった様々な想いを切実に 率直に表現している。 しかもそれらを 鍛錬された精度の高い技術をもって 冷静に伝え続けている。北方の人独特のクールな画風の内に込められた想いは強靭である。

 

 

 

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                               「花櫛」10号F

 

 

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                                                                                                            「熱帯魚」 100号M

 

 

 

 

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                                                                                  「クリムトの衣装」 20号P

 

 

 

     

 

                  ⚘⚘ ⚘

 

 

 

日本画の杜 第十六章 「野田村へ」 2017・10

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秋になった。十月の始め 空気が冷たくなって夜の森から冬の匂いがした。今年の秋はとても寒い。寒いけれど 懐かしい冬の匂いは私の心に暖かい火を灯す。幼友達に出会ったように心躍る。季節外れの台風が去った後 富士山に初雪が降った。月末には木枯らしが吹いた。落葉の降る音で目が覚める。舞い落ちる枯葉を歩くと どんな考えも浮かばなくなる。全ての思考は自然が持ち去ってしまう。

 

この時季はとりわけ雲が美しい。間断なく形を変え そのどれもが綺麗に整っていることに自然のすごさを感じる。

 

 

 

 

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秋晴れの日 前本は岩手県九戸の「野田村」へ旅した。親しい友人を訪ねた昨年の旅で出会った「鵜の巣断崖」から見える海の美しさが忘れられず 今年はスケッチの目的で旅に出た。

 

 

 

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            鵜の巣の海の神秘に言葉は要らない。

 

 

 

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             前本は三日間 こうしてスケッチした。

 

 

 

 

              野田村は誠に美しい処である。

 

 

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                閑 待 月

            ( シズカニ ツキヲ マツ ) 

  

   『 月ならで さし入る影の なきままに 暮るるうれしき 秋の山里 』

         

山家集に収められた 西行の歌である。月以外には秋の山里の庵をたずねるものもないので 月の光がさし入るだろうと 日の暮れるのがうれしく思われることよと歌っている。西行平安時代歌人で 武家の出であるが戦乱の世を儚んで二十四歳で出家した

各地を行脚して歌を読んでいる。野田村にも庵を編んで逗留したと言われている。

 

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                    西行の庵跡

 

前本は西行の歌に心惹かれ 以前から山家集を座右の書としてきた。西行も見たであろう海を描ける幸せを思ったことだろう。前本の好きな歌を記しておこう。

 

   『幻の夢をうつつに見る人はめをあはせでや夜をあかすらむ』

 

   『波のうつ音をつづみにまがふれば入り日の影のうちてゆらるる』

 

   『花と見えて風にをられてちる波のさくら貝をばよするなりけり』

 

           『まどひきてさとりうべくもなかりつる心を知るは心なりけり』

 

 

          

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               佳き秋であった

 

 

 

 

 

                  🌊

日本画の杜 第十五章 「八千穂へ」 2017・9

      

 

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 九月になった。よく晴れた秋空に乾いた風の吹き抜ける朝 前本は小海線に乗って八千穂に出掛けた。家から歩いても行けるJR小海線の 甲斐小泉駅から一時間ほどで八千穂に到着する。

 甲斐小泉駅には懐かしい電話ボックスがある。駅員の居ない駅は夏の間以外いつ行っても人影がない。極端に遅い一両編成の電車は一時間に一本あるかないかで 夜九時半頃には終電が行ってしまう。

 庭仕事をししていると 小海線の汽笛が聞こえてくる。家の庭から真っ直ぐに下った辺りで汽笛を鳴らすのは 線路に鹿が入って来ないように警告しているのだろうか。子供の頃 庭で聞いた井の頭線とそっくりなガタンガターンと走り去ってゆく電車の音はのんびりとして心地良い。

 

 

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                    古びた小さな駅

  

     

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    まるでおもちゃの様。扉の開閉も手動である。自分で開けて乗り込む。 

     南アルプスを見ながら走ってゆく。          

 

 

 

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                   八千穂の駅に到着する。

 

 

 

 

 知り合いの方の個展会場を訪れた帰り 駅に隣接する奥村土牛記念美術館を訪れた。 

 

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 土牛は 昭和二十二年から四年間 黒澤家の離れに疎開たことがあった。平成二年 この地に記念美術館が開館した。その時 土牛は百一才である。五月の開館から四か月後の九月 百一才七か月で土牛は逝去する。

 記念美術館の開館にあたり百一才の土牛が寄せた「ごあいさつ」には『清らかで美しい山や川、村の方々の温かい情にふれながら浅間・八ヶ岳松原湖・川上・野辺山・清里などずいぶん写生をしたものです。今その時の思い出が次々と心に浮び当時をしのぶと感無量です。其の時写生した幾点かを選んで美術館の作品の中に加えて戴いたのである。』と記してある。

  美術館には素描150点余りが収蔵されている。大正時代末期の格調高い建物に並べられた土牛の素描は 言うまでもなく誰もが心の糧とすべき最高峰のものであるがこの清らかな自然の中でそれらを鑑賞出来ることはこの上ない幸せと言えよう。

 

 

 

 

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                                      これが私へのお土産

 

  私が山種美術館で初めて土牛の作品を観たのは五十年近くも前になろうか。以来土牛は私の神様となった。画集を集め 掲載誌を切り抜き 展覧会にゆき 私の眼中には土牛しかなかった。

 初めて観た土牛の作品は私の心を捉えて離さない。それは直接心に訴えかけた。私の言いたい事全てが描かれてあった。理屈抜きに共感した。

 

 美大に入った頃 世の中はシュール流行りで先輩も先生もシュールシュールと言っては訳の分からない世界をでっち上げていた。私にこんなことは出来ないと思った。

超現実主義という事であろうが なんの意味も感じられなかった私にとって土牛の絵は救いであった。理屈っぽさのみじんもない清らかな画面。何より精神性の深さに打たれた。洗練の極みをみせる線と色彩。

 

 美大に入って私は 初めてリアリティという言葉を聞いた。「この絵にはリアリティがない」と教授たちは言い もっとリアリティを追及しなくてはいけないと教えた。

 

 一体リアリティとは何なのか。写真を見て本物そっくりに描くスーパーリアリズムという分野も盛んに取り上げられて 本物みたいだ凄いねと皆が感心する。

 

 当たり前の事だが 色も形も本物そっくりに描けたらリアリティがあるとは言えぬ。

リアリティとは「真実」であるのだ。絵には真実がなくてはならない。では 真実とは何か。それは作者の心の奥深く ものすごく奥深くにあるものであってそれをこそ追及することのできるものが本物の絵描きであろう。ちょっとした思いつきを誇張してどうだ凄いだろうと言っているような絵をインパクトがあると称賛するのは悪い癖だ。そんな事ではない。もっと人間の根源にある感覚を追い求めなくてはならない。何がその作家の真実なのか。真実とは 絵に対する 誠意 良心 のようなものであろうか。

 

 私にとってその答えは土牛の絵の中にある。私の願いは 世の流行や風潮には関係の無いところで自らを探り 深く感じながら描いてゆきたいという事だ。静かな所で心を澄まし 思う存分ゆっくりと追い求めたい。そんな願いを支え続けてくれたのはいつも土牛の絵であった。

 

 常に考え続けている土牛の言葉「花の気持ちを描く」は 花のスケッチをしながらそのつど答えが解かりかけては遠のき あれも違うこれも違うと思いを巡らして来た。その年齢なりの解り方をして来た。今の私はこう解釈している 自分の気持ちではなく 花の気持ちを描くのだと。そして花の形や色といった目に見える表層ではない その奥にあって目には見えないものを描けと言う事なのだろうか。生涯の課題である。

   

 年を取って 自分が自分がとあさましく自分をだすのが嫌になった。絵に自分らしさを出す事など考えなくなった。どうやっても自分は出てしまうであろう。個性だのインパクトだのと小細工をしたところで一体それが如何ほどのものか。非常につまらぬ事に思える。

 

 

 

 

 

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                               赤い水引草

 

 

 

 

 

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                            秋丁子

 

 

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        野菊

 

 

 

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                             秋明菊

 

 

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              浅黄斑の大好きな男郎花

 

 

 

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       白の水引草

 

 

 

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                そして秋海棠

 

 

 

          九月の八ヶ岳はいつものように静かだ

 

 

 

 

 

 

                

第十四章 素描 「朝顔」 2017・7・8

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                                                                                                   素描 「朝顔 青」

 

 

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                               素描 「朝顔 桃」

 

 

 

   朝顔の咲かない夏だった。前本の朝顔 夏の花々の素描で夏を偲ぶ。

 

 薔薇が終わり 夏の花壇を楽しみにしていた私達は思わぬ夏を迎えることになった。梅雨明け宣言の三日後  七月二十二日 立木も割れんばかりの雷に心踊った。いよいよ夏が来る。私達の一番好きな季節だ。・・・夏の朝 夏の午後 夏の夕 夏の宵・・・夏はすべてが良い。そういえば 天気予報が「宵の口」と言わなくなってしまった。 日本は大切な文化を失ったと思う。

「夜の初め頃」と言っている。 宵の口とは昼と夜の合間に出来る極めて曖昧な時間であり 夜の初めでも昼の終わりでもない。

 この曖昧な 現実味を失った空間こそが日本人独特の文化を造って来たと言えよう。この曖昧さを宵という美しい言葉で完璧に表現した日本人独特の優れた感性は今でも失われては居ない筈である。

 しかし 言葉を失ってしまえば心の奥には存在しても 外へ出して表現することは出来ない。

 日本画はこの宵のようなものを表現してきた絵画であり文化である。宵の口がなくなれば 日本画はさらに人々から遠くなる。

 

 雷は夏の始まりを知らせるものではなかった。空梅雨を挽回すべく沢山の雨を連れて来たことを告げる雷鳴だった。   

         

 

 

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 七月と八月の間に晴れた日はほんの数日で 木々も夏草も霧に覆われ何もかもが湿潤な空の下でじっと動かなかった。

 

 

 

 

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                          素描 「百合」

 

 

 

こんな時私は部屋の机に夏の花を飾り 一緒に過ごす。霧の中に咲いた百合 向日葵

ダリア 

 

 

 

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 私は花の写生が大好きで いくら時間があっても足りない。次々と咲く花を追いかけて 結局二月近くスケッチを続けた。

 

 

 

 

 

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 この様に美しいものを写すのは それは大変なことである。楽しいといったことでは到底ない。毎日毎日姿を変え 描き切る事の出来ないうちに枯れてしまう花をじっくりと しかも時間と闘いながらスケッチするのは 持てる総力を余すところなく用いなくてはならない 

 

 私がスケッチらしきことを初めてした時のことをよく覚えている。それまでは想像で描いていたものを 見て写した時の喜びが忘れられない。小学校の低学年だった。お誕生日に友達から贈られた小さなスケッチブックに 庭の松を描いてみた。我ながらよく出来てしまって有頂天だった。それ以来 ぬいぐるみのスケッチ 花のスケッチと身の回りのものを片っぱしから描いた。小学校の絵の先生からも 親切に教わった。いつもチャペルの祭壇に飾られていた三本の白百合の美しさは 幼い私の心に深く残って これを描きたいと先生に話すと次の授業には百合が三本用意されていた。

この時の嬉しさは今も忘れない。

 

 それまで自己流で描いていた私が初めて絵を習いに行ったのは 高校三年になって美大を受験する為だった。受験用のデッサンを教わる為に通った画塾で先生は 事あるごとに 立体感 遠近感 ムーブマンと言い しきりと受験の為のデッサンを教えて下さった。こんなつまらない絵を描くのはもう嫌だ 美大なんか落ちたって構わない。実技の試験の日 受験の事は忘れて好きなように描こうと決めた。 私は美大に合格した。分からないものである。先生は受験は水物だなあと言って笑った。

 

 

 

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 私のスケッチが飛躍的に向上したのは 加山先生に日本画の写生について教わった二十代後半である。当時 カサブランカという大きな百合が流行っていて私はこの大ぶりな白百合に魅せられていた。何とかこの花を日本画で描いてみたいと言う私に先生は まずは習字を教えるからこれを習いなさいと般若心経をお手本に書いて下さった。

 

 多摩美に入学したものの二年生の後半には大学紛争でロックアウトされ 学校は一年以上再開されなかった。私は大学では何も勉強しなかった。

再び日本画を描こうと願った私に 親身になって日本画の何たるかを根気よく教えて下さった加山先生は真の恩師である。

 

 習字については又改めて書かなくてはならないが きちんと筆の持てない私達の世代にはまず習字だった。墨の刷り方 筆の選び方 和紙の種類 と 「あんたはホンマに日本人かいな」と言いながら「えらいこっちゃ」を連発し ある危機感を持って伝授して下さった。

 

 大学では「自由におやり」と言っていらした先生が 実に古典的で伝統に沿った日本画の考え方と技術を厳格に教えて下さった。ある時そのことをどうして?と聞く私に先生は 大学では日本画を描きたいから教えてくれと僕に願い出た子は一人も居なかったからとおっしゃった。「入試に合格して 漫然と大学に来てさえいれば自動的に日本画が描けるようになると思っているような者に僕の大切にしていることを伝える気にはならなかった。」 

 

 当時私の人生は迷路に迷い込んでいた。のこされた道と言ったら日本画しかなかった。日本画を学ぼうと志を立てたのに このままでは私の人生は何もないまま終わってしまう。自分の力をすべて使い果たして死にたいと加山先生にお願いした。

 

それを先生は察して下さったのだろうか。あの時先生の教えて下さった事全てが今の私を生かしている。

 

 

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 それにしても 日本人は何故簡単に自国の文化を捨て去ってしまうのか。小学校の絵の時間に習ったのは 決して日本画の考え方ではない。教えて下さった先生は皆油絵を勉強していた。好きなようにのびのび描くようにと言われた。個性的な作品や 独創性を求められた。

 

 加山先生は 「自由というものは 物凄く狭い門をやっとくぐり抜けて得るものであって その狭い門に辿り着く迄には 長い精進が必要だ。」いつも言っていらした。

何も教わって居ない子供にいきなり自由に 描けと言うのは間違いだ。

 

 

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                            素描 「半夏生

 

 

 加山先生に教わった日本画の素描は 大変面白かった。日本画では 私の嫌いな立体感や遠近感といった現実的な事を求めなかった。洋画は光と影で対象を捉える。日本画は心眼で捉えるから光は関係ない。影を付けるのではなく 隈を付ける。隈とは心理的なもの。と先生はおっしゃった。日本の文化は平面の文化で 着物も屏風も畳めば平面になる。日本人の顔も体も平面なのだ。彫りの深い外国の文化を取り入れて真似してもあまり意味が無い。文化はその土地の全てから長い年月をかけて発生した自然と同様のものなのだから。私は先生の言葉を乾いた砂のように吸収した。

 

 

 

 

 

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 それから今迄 私は繰り返し花を描く。神田の本屋で見つけた 土牛の素描集を傍らに置いて 土牛の 「花の気持ちを描く」と言う言葉を考えながら描く。この言葉の真意は未だ定かではない。花の気持ちを描けるようになるのだろうか。

 

 

 

 

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         長雨の前 海の日に私の庭を訪れた浅黄斑

 

 今年の夏は沢山のスケッチをした。私はどんな事より絵を描く事が好きだ。それは絵が一番大変で あらゆる能力を要求して来るからであり 全力で臨むことが私自身を励まし 極上の 深い 真の喜びを与えてくれるからである。

 

 

 

 

 

 

                  🌻

 

日本画の杜 第十三章 「硝子の箱の薔薇」 2017・6

                                                                                                             

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                                                                                            「硝子の箱の薔薇」 6号S

 

 

 

 

 

  私達が八ヶ岳に越してきたのは六年前の六月だった。葉山を出る時は梅雨空から小雨が降っていた。小淵沢に着くと快晴で 明るい陽射しに向かって伸びあがるように咲いた真っ赤な罌粟が ようこそと満面の笑みで迎えてくれた。見渡す限りの鮮やかな赤に目を奪われた。今までに見たことのない赤。山が育んだ色彩だった。都会から離れた場所に住む事になった事を罌粟が教えてくれた。

 

 

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 罌粟は毎年同じように咲く。また今年も「ほらあなたが初めてここへきたのは六年前の六月 私達がお迎えしましたね。」と語りかけてくれる。

 

 薔薇が咲き始めるのも同じ頃 梅雨の雨を全身に浴び うなだれて咲く花びらを雨が散らす。八ヶ岳は良いところなのに 薔薇の時期と雨期が重なるのはかなわないと思った。毎年々々 雨の中で咲き 雫と共に泣くように散る花を見るのはやり切れない。

 

 ところが今年は違った。六月の雨はどこかへ行ってしまった。気温も高く これ以上望むことはない毎日が続いて 私は薔薇達と喜びを分かち合った。

 

 

 

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                                ロサ モエシー

 

 幼い頃 祖母の丹精した薔薇棚には淡いクリーム色と濃い暗褐色のつるバラが絡み合

い 空が見えない程花が咲いた。私達は香りの中で遊んだ。

薔薇は特別な花だ。そのエレガントな花容と色 甘い香りに幼い私は魅了され続けた。

 

 

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                            ブルボン クイーン

 

  葉山の家には小さな庭があった。 それまでは庭も時間も無かった私に その庭が「少しだけ何か植えてみては如何でしょうか」と語りかけてきた。そうしよう 私の庭を作ろう。園芸店に行って まずクチナシライラックを買ってこようと思った。沢山の植物を見ながらぶらぶらしていた私に「ご自由にお持ちください。」と書かれた薔薇苗が「私を連れていって」と話しかけた。世話をしている女の人が 名札がなくなってしまったので売れない と言った。見捨てられた薔薇は「私を連れて帰ってください」と再び言った。私は何も買わずに薔薇を連れて帰った。それが初めて自分で育てた薔薇だった。

 しばらくして花が咲いた。それは今迄見たことのない綺麗な 忘れられない香りの不思議な薔薇だった。一体これは何という薔薇なのか。図書館へ行くという前本に 薔薇の辞典を借りてきてと頼んだ。手渡されたのは それはそれは美しい本だった。

 

 

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                             シュネーコッペ

 

 本を開くとそこは夢の世界だった。私の知らない しかし私の気持ちを満たして余りある花ばかりが載っている。それは オールドローズイングリッシュローズの本だった。私の薔薇は スブニール ドゥ ラ マルメゾン という名のオールドローズだと知った。それからというもの 私の庭は これらの薔薇に埋め尽くされ 立錐の余地なしとなった。

 

 

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                             ルイーズ オディエ

 

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                            マダム ゾイットマン

 

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                          レーヌ デ ヴィオレット 

  葉山から八ヶ岳へ 庭の植物は全部運んだ。初めての氷点下で越冬出来ない薔薇もあった。親しくしてくれた薔薇との辛い別れを幾度も味わい 長い試行錯誤の末 ようやく庭は再び立錐の余地の無い 私の庭になった。

苦楽を共にして 平穏を得た私と薔薇たち。

 

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                       ウイリアム モーリス  

 

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                     ブラン ダブル デ クーベルト

 

 

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                         ロサ ケンティフォリア バリエガタ

 

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                            アルケミスト

 

 毎朝 おはよう と言ってくれる薔薇たち。夕暮れに また明日ねと言ってくれる薔薇たち。

 

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                         アルバ セミ プレナ

 

 

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                      ファンタン ラトゥール

 

 

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                   アッシュ ウェンズデー
 

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                                ジャンヌダルク

 

 

 

 

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                               エルフルト

 

 

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 庭に出ると 祖母が隣に居る事がある。「綺麗に咲いたね。お花は神様からの贈り物だよ。」

 本当に こんな美しいものをつくれる自然を崇拝しなくてはならない。自然から学ばなくてはいけない。どんな事をしても未来永劫にわたってこの様に美しいものを人間は絶対に創れない。絵を描く者は自然に身を浸さなくてはならないと常に思う。

 

 

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                        ベル ド クレシー 

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    バリエガタ ボローニャ

 

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                                   ジェームズ ミッチェル 

 

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                 ブラック ボーイ

 

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     アンリ フーキエ

 

 

 香りの中で花を摘んでいると 私の数倍の薔薇たちと共にに暮らしている親友が 隣に寄り添う。私達は遠く離れている上 年中野暮用に忙殺されて 電話で話すこともままならい。あの方ならこんな時どうなさるのか とよく思う。薔薇のことでも 人生の事でも 沢山のことを教わったかけがえのない友人。絵を描くことでしか救われない私の様な者にさえ 慈愛に満ちた眼差しを向け 支え続け 励ましくれるこの方が居なかったら私の人生はどんなに味気なく 彩りの無い寂しいものであったことか。数百に及ぶ薔薇たちを叱咤激励しながら見守る姿を想っていると いつの間にか一緒に並んで色々な話をしている。

 

 

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                ポンポン ブラン パルフェ

       

 

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      デュセス ド モンテベロー

 

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                            アルケミスト

 

 

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  ブランシュ フルール

 

 

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  マダム ルイ レベルク

 

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  ジュノー

 

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              アンリ マルタン

 

 

 

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                       クレール マタン

 

 

 

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 神の存在を信じるかと聞かれたセザンヌが 神無くしてどうして絵が描けようと答える。画家は自分自身の神を持っている。作品は祈りの結集と言えよう。

 

                   

 

 

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              飾り萼を持った薔薇は可愛い

            ボッチェリの絵の中では空から降ってくる

 

 

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                         シドニー

 初めての冬を越して殆どの薔薇は立っているのが精一杯で お花などとても咲かせら れませんと言っている中で シドニーは満開になった。絶望的になった私を明るい気持ちにしてくれた。本当にありがとうございました。

 

 

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                             マリー デルマー

 

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             ゲシュビンツ シェーン ステ

 

   

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                     アガサ インカルナータ

 

 

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                             ブラッシュ ダマスク

 

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         マダム アルディ

この花が初めて咲いた時 その清らかな白と香りに魅了された。最もオールドローズらしい ボッチェリの薔薇。

 

 

 

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                         オノリーヌ ド ブラバン

陽気な薔薇たち 他の薔薇のように一輪ずつ咲かず 一斉に咲いてニコニコと笑っている。引き際もあっさりとしている。「じゃ またね」と一斉に散ってしまう。とても可笑しくて笑ってしまう。

二十年来の長い付き合いだが いつも変わらぬあっさりぶりが何とも可愛い。

 

 

 

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                     ベル ド クレシー 

 

 

 

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     コンテス ド ムリネ

 

  沢山の花を咲かせる訳ではないが 私はこの寡黙な薔薇を楽しみにしている。

 花数の多いのも楽しいけれど 訥々と咲くのも良いものだ。じっくりと完璧な仕事をする画家のように。早い 多作は時に頂けない。 

 

 

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ある日 前本が言った。「葉山からここへ来て何年目?」六年目よ 「葉山にいた時は刀の上を歩いている様だったな。」 今だって変わりない様に思える。この先どうなるのか誰にも分からない。「絵を描いて来られたのはつくづく奇跡だと思う。」本当にその通りだ。薔薇の中に佇んでいると全てが奇跡で 幻だったように思える。

 

 

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                       ジェイラーズ ホワイト モス

 

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           コンラッド フエルジナンド マイヤー

 

  

 ふぇるじなんど なんと懐かしい。「はなのすきなうし」は私の一番好きな物語だ。祖母に毎日読んでもらって 毎回一喜一憂し 最後は二人で大喜びした。祖母は戦争で沢山の悲しい思いをした。ふぇるじなんどが闘牛場から元のまきばに返された時は「偉かったねぇ ふぇるじなんどは。よく戦わないでお花の匂いをかいでたね」と言った。「生存競争に負けることなんかちっとも恥ずかしいことじゃないよ。争う事の方がずっと恥ずかしいことなのよ。」祖母の切実な言葉は幼い私の心に深く刻み込まれた。私は はなのすきなうしでいようと思った。「戦っていいのは雑草だけだからね。」「雑草は見つけ次第取ること。」

 

 

 

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        マリー ルイーズ

 

 

 

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パール ドリフト

 

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   マダム プランティエ

 

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マダム ルグラ ド サンジェルマン

 

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アルバ マキシマ

 

 

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ソフィ ド バビエール

 

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  バエリガタ ボローニャ 

 

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オンブレ パルフェ

 

 

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シャルル ド ミル

     古い友達。この薔薇が咲くと懐かしい昔を思い出す。いつまでも元気でいて。

 

 

 

 

 

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          雨上がりの暮方に姿を現した最後の薔薇

 

 薔薇たちは 二ヶ月近く 次々と花を咲かせた。共に過ごした忘れられない日々。また来年までみんな元気で充実した株に育って欲しい。

 

 

 

 

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   うさぎのボアとシックな花束

 

  ボアは私の庭の守り神で 既に魂を持っている 考え深い眼差しで庭の全てを観ている。心からありがとうと言いたい。

 祖母は庭仕事を終えるとお仏壇の花束を作った。今日は エレガントに出来た。と満足気な日や 今日のはシックだわ。と得意気な日もあった。ゴージャス モダン と次々に作る花束に 私はいつも目を奪われた。

 

 

 

 

 

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 何もかも忘れて庭仕事をするのは 教会や寺院 美術館といった様な場所に居るのと変わらない。清らかな 美しさに満たされた 安らかな空間。

 

 アルベリック バルビエ がアーチを飾って 今年の薔薇は終わりを迎える。

 

 

 

 

 

 

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                           また来年まで ご機嫌よう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                🌹

 
 
 

 

日本画の杜 第十二章 「牡丹」 2017・5

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 桜の四月 牡丹の五月 毎年毎年前本は桜を描き 牡丹を描く。何十年にもわたって描いてきた夥しい数のスケッチと 牡丹の作品は沢山あるのにどれも気に入らない。お目に掛けられるものは無いと申すので 今回は作品ではなく今年写生に行った牡丹園で前本が写した写真の牡丹をご紹介することになった。

 

 

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 どんな花にもそれぞれの美しさはあるが 梅 桜 牡丹には特殊な美が在る。東洋の香気と言ったらよいだろうか 特に桜と牡丹には妖気を感じる。日本画の絵の具が一番生かせる花でもある。

 

 五月が来ると加山先生の画室は牡丹の鉢植えに取り囲まれる。 重く冷たい香りだけが漂う 音の無い空間はこの世のあらゆるものごとから切り離されていた。深い静寂の中で 先生は長く削りだした 鋭い芯の鉛筆で黙々と重ねの多い花びらを写していらした。

 

 牡丹の話をしていると その香気迄余すところなく描いた 牡丹の名作を見たくなる。明治以降の日本画家で牡丹の名作と言えるものを残しているのはこれらの作家だけである。 御舟 靫彦 古径 土牛 丘人。日本画を理解するには 名作だけを繰り返し見ることしかない。

 

 どこが良いかとか この絵は何を描こうとしているのかと言ったような 理屈で理解しようとせず 唯々見ることが大切なのだ。構図がどうとか色がどうとかなどと頭で考えることはもっての外である。繰り返し繰り返し見ていればよい。名作だけをである。ある日たまたま駄作と言ったものに出会った時 とんだお目汚しだわ と思うはずである。

 

 

 

 

 

速水御舟 「墨牡丹」

 

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     ―生命の花ー                   速水御舟

 私は、かつて宗教的概念からヒントを得て、その神秘感を絵画に表現すべく随分モチーヴを尋ね廻ってみたことがあった。夜の寂寞(しゃくまく)たる大地の底から秘かに曙の微動は巡り、み空には明星の一群が美しく煌めいていた。私は夜明け前の不忍池畔にただ一人佇んで清浄な蓮の開花の音も聴いたが、しかし自分が求めたような、自然の秘奥にある無限の深さを持った美は把握できなかった。

 それから数年後に一つの花の写生を克明にしてみて、初めてかかる微細なものにさえ

深い美が蔵されていることを発見して秘かに感嘆した。げに絵画こそは、概念から出ずるものにあらずして、認識の深奥から情念が燃え上がって初めて造り得らるる永遠に美しき生命の花である。                    昭和八年 十月

 

 

 昔の文章であるうえ 絵描き独特の言い回しである。加山先生も前本もこの種の文章を書く。慣れないと この持って回った文章には参ってしまう。もっとさらっと書けないものかと思った。しかし よくよく読んでいるうちにこの絵描きらしい文章に物凄いリアリティーを感じるようになるものなのだ。一片の嘘もはったりもてらいもない 何とか思っていることを伝えたい一心で書いた文章だろう。今や私は絵描きはこうでなくてはならないと思うようになった。分かり易いものには飽きてしまった。口当たりの良い柔らかいものばかり好んでいると人間は退化する。

 

 

 

 

 

安田靫彦 「洛陽花」

 

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 「写実の勉強が大事でしょうね。写実と言ったって、ただ写真のようにやるってことじゃないでしょう。そのなかからいい形や線や色を見いだすとか、いろんなことが言えましょうけども。

 自然において造物主が非常に美しいものを造ってくれるので、そのなかからよいものを教えて貰うわけですが、史上においても優れた古画からもよい造形性を教えられます」

 

 

 これは靫彦の言葉である。絵を描くものにとって これ以上の教えは無い。

靫彦は生涯にわたって病弱で外の風にあたることが出来ず 画室の中だけで描き続けた作家である。歴史画が多いのはそのせいである。庭の花も縁側から硝子戸越しに写生していたようである。亡くなったのは九十四才であるから 一病息災とはこのことではないかと思う。「洛陽花」は靫彦の面目躍如たる端正このうえない美しい作品だ。靫彦以外の誰もこの様な絵を描く事は出来ないであろう。

 

 

 

 

 

小林古径 「牡丹」

 

 

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 この作品は古径の絶筆である。全てが古径そのものであり 完成した作品ではないが胸に迫る名作だ。牡丹の散り際をご存知だろうか。ある気配が一片の花びら落とすや否や残り全ての花びらが 一斉にしかも瞬時に散り落ちる。この絵はその瞬間を描いたのだろうと私は思っている。その重たげな 今散ろうとする花を 画面上で支えているのは上に向かってすっと伸ばした細い茎 そしておなじ方向に伸びた新葉である。まだ下塗りの段階であろうが この時からこの若葉を一枚だけ緑青で塗っている。花の終わりと新しい葉。

 古径は自らの死を予感していたのだろうか。

 

 

 

 

 

奥村土牛 「墨牡丹」

 

 

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 「島根県の松江に大根島というところがありますが、知人が居りまして、そこが牡丹の名所なので毎年牡丹の頃、飛行機で4時間で着くものですから、切ったばかりの牡丹を送ってくれます。墨牡丹というのがあると話では聞いていまして、一度見たいと思っていましたが、今度初めて見ることができ画心をそそられました。」

 

 

 土牛らしい口調そのままの微笑ましい話である。しかし すごい作品だと見るたびに恐れ入る。江戸っ子らしい粋な牡丹であるが こういったさっぱりとした作品は名人にしか描けない。分厚い修練の成せる技と言えよう。土牛はセザンヌを敬愛し セザンヌの物ならすべて集めていたという。昨日と同じことをしていては明日という日は訪れないと繰り返し述べている。

 加山先生がいつも言っていらしたが 「ああ こんな絵だったら自分にも描けると思わせる作品こそが一番描けないものだ 一流の絵っていうのはそういうものだ」と。この墨牡丹などはその最たるものであろう。

 

 

 

 

山本丘人 「星空の牡丹」

 

 

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 「黒い空間に純白の花をと意図したが、偶々牡丹の花を知人にいただき、これを素描

 して画く。空間はそのまま空間であってはと、星空の下の幻花とした。」

 

 

  なるほどね と思う。見るたびに丘人はすごいと思う。先の新古典派と呼ばれる作家とは一線を画している。しかし唯新しいだけではない 確固たる真実味があり日本画を熟知した上で新鮮な日本画を創造した作家である。

 

 

 

 

 

 

  初夏の白い花達

 

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                 大手鞠         

 

五月になって 向こうの森からカッコウの声が聞こえてここには夏がくる。初夏の花は

白ばかりだ。今年は雨が少なく気温の高い日が多く 森のみどりはひときわ鮮やかだ。

ソーダ水のみどり。

 

 

 

 

 

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                    ティアレア

 

 

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                    白山吹

 

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                鳴子百合

 

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                                            アロニア

 

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                白つつじ

 

 

 

 

 

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                 クレマチス

 

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               名前を知らない花

 

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          小さな白い花の咲く雑草と綿毛になったタンポポ

 

 

 

 白い花の咲く頃 風に吹かれて庭のベンチに座っていると「さあ 神様を呼びましょ」と言って熊手とちりとりを幼い私に手渡した祖母の声が聞こえてくる。

 私は祖母に育てられた。祖母は朗らかでこの上なくお洒落で絵と字の上手な人だった

「お花がないと生きていけない」のでいつも庭にいた。二人で庭の掃除をした。

「枯れた葉っぱを取っていつも綺麗にしてやって きれいだね きれいだねって褒めてやっていろんなお話をしてお友達になれば 綺麗なお花を沢山咲かせてくれるよ」

「まずはお庭のお掃除をして神様に来てもらわないと」

「お掃除をすると小さな神様が沢山飛んで来なさって 葉っぱの先やお花の上に乗っかってくれるんだよ」祖母の言う通り 綺麗になった庭のあちこちに小さな神様が降りていらした。

 

 

  

 

 

 

  

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 そろそろバラの季節になる。今年初めて咲いたのは女神の名を持つ暖かい白に杏いろの溶け込んだこの花だった。

    

 

 

 

 

 

                 🌹

日本画の杜 第十一章 「山高神代桜」 2017・4

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                            素描 「山高神代桜

 

 

 三月の終わりから四月の初めにかけて雪が降った。もう降らないだろうと思っていたのでうんざりした。この辺の人は誰でも もう雪は沢山だと思っている。神代桜の開花予想も外れた。

 春の淡雪はあっけなく溶けて暖かくなり 桜も少しずつ咲き始めたようだ。

山高神代桜が満開になる前に幹のスケッチを完成させたいと 前本は何回か通った。

 

 

 

 

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 幹の素描を無事完成させて 満開の花を描くために訪れたのは4月13日。3時半に起きて実相寺へ向かった。早朝から見物客で賑わう境内は 水仙と桜と山々に囲まれこの世とは思えぬ空気に包まれていた。

 

 

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そして今年の山高神代桜のスケッチは次の一枚で終了した。枝の一部に花を書き込んだ

 

 

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                 満開の神代桜

 

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 前本の描いた角度から見たのでは無いが 来年はこちらから描いてみたいと思ったそうだ。毎年通って 何処まで描くことができるのか。作品になるのはいつのことなのか

 

 

      山高神代桜にも前本にも長生きしてもらいたいと願っている。

      雪の残る甲斐駒に見送られて帰ってきた。

 

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               ☁

 

 

 

 さて四月も半ばになると夏のような日があったりして私の庭も春の装いとなった。 

             梅と桜が一緒に咲く。

 

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        葉山から連れてきた大好きな「思いのまま」

 

 

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  この山に自生する「富士桜」 散歩道に倒れていたのを助け起こして庭に植えた

 

 

   

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             美味しいタラの芽も沢山ある

 

     

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                「エンレイ草」

 

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            山の至る所に「山吹」が咲く

 

 

              「花海堂」の蕾は夕暮れが綺麗だ

  

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        枯葉の間からいつの間にか伸びてきた黄色の花達が地面を覆い尽くす

 

 

 これらの花々が一斉に咲き ついこの間まで降っていた雪のことなどすっかり忘れさせてくれる。私は心から花が好きだ。花は 競争をしない。人の真似もしない。完全に自立しているではないか。

 

 自立とは誰とも競争せず 比べず 真似をせず自分の人生を無心に生きていくことだ。私はそういう生き方が大好きだ。

 

 葉山から連れて来たライラックはもう二十年にもなるのに一度も花を咲かせたことがない。どうしたらいいこうしたらいいと言う人もいるが 私は待っているだけで良い。

ライラックにはライラックの事情がある。

 

 隣の木の花みたいに沢山の花を咲かせたいとか あの花みたいなのが咲かせたいと羨む事もなく 懸命に生きてゆこうとするだけの花達は 一番気の合う友達なのだ。

 

 寒さに耐える事が出来ずに枯れてしまった花達を供養し 元気のない枝を励まして庭を歩き回っている時が私の心からの実感だ。

 

 

 

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                   🌷