日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」 2017.1

 

  第八章 「ONE NOTE美術クラブ」  2017・1・25

 

    

 f:id:nihonganomori:20170125153440j:plain  葉山に住んでいた事がある。

 海沿いのその町は暖かくて いつも明るかった。十年以上前の事を思い出す。 ある日その人を見かけた。重たそうな黒髪が背中で揺れて 弾むような 不思議なリズムで歩いていた。すれ違う時の笑顔が格別だった。この人は突き抜けていると思った。真っ向から人生に挑んで 何かから吹っ切れた笑い顔だ。どちらからともなく話しかけ 私達は友達になった。玲子さんはジャズピアニストだった。

 絵が好きで屛風が欲しいというのでじゃあご自分でお描きになったらと言った。私達はお互いの家を行き来して パンを焼いたり 洋服を縫ったり 絵を描いたりして過ごした。柔らかな陽だまりで 色々な話をした。酔芙蓉の大きな葉が海風にそよぎ 玲子さんは相変わらずよく笑った。そのうちに 私が山梨に移ることになり 玲子さんも葉山を離れることになった。

 

  

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しばらく経って 玲子さんとご主人は新宿でジャズの生演奏とお料理のお店を始めた。

常に良質なものを求め 芸術をこよなく愛する玲子さんとご主人が 長年の理想を実現なさった事は私にとっても嬉しい出来事だった。

 

 

 

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      ONE NOTE美術クラブ

                           講師:前本利彦 (日本画家) 

      

 

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                        色鉛筆画 「牡丹」   前本利彦     

 

 

 

               

 

  良質なジャズの生演奏とお料理を提供したいと始められた「 ONE NOTE」色鉛筆画の教室を開催しています。

  音楽だけでなく文化的な交流のできるスペースにしたいと快く使わせて下さった

「ONE NOTE」のご期待に添えるよう 午後のひと時を放課後のクラブのように

気軽に集まって楽しく絵を描く教室にしたいと思っています。

 

  色鉛筆は水を使うことなく軽便で 重ねて塗ることで微妙なニュアンスを出す事の出来る魅力ある画材です。日本画の風合に似ているので 素描の多くを色鉛筆で着彩します。

 描いてみたい花や人形などの静物を 日本画の素描方法に基づいてスケッチし 色鉛筆で着彩して仕上げます。お好きなモチーフをお好きな大きさにお描きになったら 額縁に入れて飾ったり 贈り物になさったりと楽しめます。 

  新宿世界堂から歩いて三分の便利な場所です。クラブの後 ジャズの演奏と美味しいお料理はいかがでしょうか。月に一度 ONE NOTE でゆったりとお過ごし頂ければと思っております。

 

 

 

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                           色鉛筆画 「バラ」 前本利彦             

 

   🎵 月一回   概ね月末の 水曜日

     ♫  時間: 1:00p.m.~4:00p.m.

             ♬ 月謝:3回分 15,000円

    ♪ 必要な用具: スケッチブック・ねりゴム・鉛筆・色鉛筆                    

             詳細はご入会時にご説明いたします 

 

   

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  お問合せ お申込み                  E-mail:maemoto710@outlook.jp

 

 

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                         色鉛筆画 「百合と人形」 前本利彦 

                       」

 

 

 

 

                          

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                           色鉛筆画 「バラ」前本利彦 

 

 

 

     どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

 

 

 

         ♬   

 

日本画の杜 第七章 「玉蔵院の庭」 2017・1

第七章 「玉蔵院の庭」

 

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                               80号変形 1985年制作

 

 

 

 新しい年になった。「絵描きに盆暮正月なし」と言われる。知っている限り、それは

本当だ。よく知っている絵描きは加山先生と前本の二人だが、盆暮正月は確かにない。

家にいれば画室以外に居場所はないし、画室にはやらなければならない事はいくらでもある。絵を描く以外にこれといった趣味もなく、活動的なわけでもないのだからいつでも画室で何かしている。

 葉山に住んでいた時は、元日は二人で初詣に行った。前本が進んで行くほど好もしいお寺がすぐ近くにあったのだ。八ヶ岳には初詣に行きたい所が見つからず、今年の元日も朝食を済ますと画室の掃除をしていつもの通り絵を描いていた。

 

 

 

 

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 葉山の家から海へ出る道の中ほどに、「玉蔵院」と言うお寺があった。

ひっそりと小ざっぱりしたお寺である。秋風が立って静かになった海を見てしばらく過ごした帰り道、玉蔵院に寄るのが楽しみだった。いつでも誰も居なかった。手入れの行き届いた境内に六体のお地蔵様が並んだ質素な小屋がある。

 お正月には、お供え餅や千両が飾られ、紅色のケープを着て美しかった。

 

 その玉蔵院に、見事な梅の古木があって、前本はその静謐な趣きに惹かれしばらく通ってスケッチした。それを作品にして 「玉蔵院の庭」として発表した。この作品には次のようなコメントが添えられている。

 

 

 

               『玉蔵院の庭』 

 家から歩いて十分程のところに、玉蔵院にという寺がある。

 その庭に朽ちかけた老梅がある。簡素な庭に梅のまわりだけ静謐な色香が漂う。

          老いてなお艶と呼ぶべきものありや

          花ははじめもおわりもよろし

 新聞で読んだのだが誰のうたか忘れてしまった。うただけを記憶している。

                           前本利彦

 

 

 

 

 

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 今年のお正月は暖かく穏やかで、雪もなく雪かきの苦労が無かった。その後は次第に冬らしくなり、成人の日あたりから朝起きるとマイナス八度という日もあり、庭は雪に覆われている。そんな庭にも梅の蕾が元気にふくらんで、ツヤツヤした枝に沢山並んで何とも言えず可愛らしい。花は寒さに合わないと美しく咲かないと言う。

人生も同じかも知れない。

 

 

 

 さて、新年を迎え嬉しい事があった。原画の制作から一年近くかかって黒猫の版画二種類が完成した。おめでたい金銀の黒猫が幸運を運んで来ますよう。

 

 

 

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                                 BLACK CAT / SILVER

                     

                                 Lithograph Maemoto Toshihiko    2017.1.  Edition

 

                                                       BLACK CAT/GOLD           

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                                       版画のたのしみ

                             前本利彦

 

 版画は、複数の同じ図柄を作ることが出来るのが特徴です。

西洋では、銅版画、石版画(リトグラフ)が主ですが銅版画の中でも、エッチング、ドライポイント、メゾチント、アクアチント、などいろいろな技法があります。日本では浮世絵で知られるように、木版画が主流でした。これらは印刷の原点です。現在は印刷技術が発達し、写真の技術と相まって、情報伝達社会を牽引する一つになりました。そのような進んだ?社会にあって、なぜ昔ながらの版画が現在も芸術という形で残っているのか。それは、端的に言って美しいからです。人々の心の中に深く浸透するものがあるからです。

 版画を作るには、描き手も手間がかかり、技術も必要ですが、刷り師(刷りを専門に扱う人)も手間がかかり、高度な技術が必要です。

 現在はデジタルプリントに代表されるように、機械作業がほとんどです。それはそれなりのものが出来ますが、人間は不思議なもので、手作業でなければ出来ないものを求める感性があります。もともと人間の持つ美意識は、自然によって育まれて来たものです。手作業が、より自然に近い感性を生むと言う事でしょうか。

 今度、私は版画を二種類作りました。私は日本画が専門なので、日本画で原画を描き、それを版画工房に頼んで版画にしてもらう方法です。Kawalabo!と言う版画工房にお願いしていますが、版画は、一人で作る絵画作品と違い、刷り師さんと共同作業です。原画に”刷る”と言う作業を加える事で、原画とは別の作品が生まれます。しかも何枚も出来ます。

 私は刷り師さんを信頼しているので、刷る前に概略は話したりしますが、あまり口出しはしません。

版画として出来た作品は、独立した美術作品と考えています。私の‶想い”に刷り師さんの”想い”が加わり、生まれ変わった作品を見るのは楽しいことです。原画を描く時に煩悶した混沌を、版画にする事で、刷り師さんの個性が加わり、客観視され、整理され、また新たにして提示されたような気持ちになります。これは、なかなか愉快です。

 そんな事で版画を作っていますが、出来た作品っが皆さんの気持ちに触れる事を願っています。

 今年のKawalabo!の年賀状に、Keep Calm and Carry on Printing!と刷られていました。

 共同作業はこれからもまだ続きます。

                              2017・1・8

 

 

 

 

 

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                                               色鉛筆画・「牡丹」

 

 

 

 近日中に、色鉛筆画の教室を開設いたします。日本画の素描には、色鉛筆で着彩する事が多いのです。水も必要なく、軽便なうえ、色を重ねることによって微妙なニュアンスを出すことも可能です。場所は ジャズの生演奏とお料理を楽しめる「ONE NOTE」です。新宿の世界堂から歩いて三分の素晴らしいところです。どうぞお楽しみに!

 

 

 

 

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                   色鉛筆画・「バラ」

                                                                      

 

 

 

 

       🎵 ONE NOTE 美術クラブ 🎵

 

   ♫ 色鉛筆画の教室 🎵 ONEN  NOTE美術クラブ  🎵についてのお知らせは

      日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」でご覧ください。

 

 

 

 

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                                                               色鉛筆画 「百合と人形」

 

 

 

 

 

 

 

                  🌷

                 

日本画の杜 第六章 「天使とバラ」 2016・12

 

 

 第六章 「天使とバラ」

 

 

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                 2009年制作 「天使とバラ」 10号F

 

 

 

 

十二月に入ると良く晴れて温かい日が続いていた。冬晴れの八ヶ岳南麓は 夕暮れ時が美しい   のどかな雲が桃色に染まって 山の端から月が昇る

 

 

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  早朝の雲もまた美しい   空と雲は一時もとどまらず どんな時も心を打つ

 

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月半ばになって 朝は氷点下7度という日もある 寒いけれど八ヶ岳の冬は美しい

今朝はこんな綺麗な霜柱を見つけた 

 

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一年中 どの月もそれぞれの楽しさ 美しさがあっていつも描きたいものばかりの八ヶ岳は本当に良いところだ 一年の終わりが近づくとしみじみそう思う 同時に ここへ来るまでの多難な日々のことが思い出される 

 

そもそも私は何故日本画を描くようになったのか 美大日本画科に進もうと決めたのは高校二年の時だった 遅すぎると誰もが言った これから受験のデッサンを始めても絶対に現役では入れないと私も思った それまでは外国に行くつもりでいた 独りで知らない所へ行って見たかった 外国の女の子と文通していた私は 「日本にはどんな絵画がありますか?」と書いた航空便を受け取って慌てた その頃の私は マチスとクレーに心酔しグ―ルドとジョンレノンに狂っていた極一般的な女子高生である セヴンティーンを読んではアメリカのティーンエージャーの暮らしに憧れたりしていた 日本の絵画といわれたって・・・ カレンダーは林武と梅原龍三郎一辺倒の時代である 高校の図書室に行って調べなくてはいけない 図書室の本棚に「屛風絵大全」というような重たい 一度も開かれたことのないと思われる画集があった これなら日本の絵画として外国の子に紹介できるだろう 放課後の 夕暮れの光景を昨日のことのように覚えている その画集が 私を日本画の世界へ誘った

始めて見た日本画 外国人が屛風絵を始めて見た時の気持ちと変わらなかったと思う

エキゾチックでワンダフルであった なんと斬新で流麗なリズム感であろうか

全ての絵を見終わって私は決めた こんな絵が描けるようになるのなら美大日本画科へ行こう 外国はそれからでも遅くはない 何としても日本画を描きたい 私の願いはそのことだけに集中した その甲斐あってか 多摩美日本画科に合格した 

                                   

 

 

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                                      右双

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                                             日月山水図 六曲一双  左双

 

 

 

 

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                   春日鹿曼荼羅

 

 

 

 

 

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                                     柳橋

 

 

 

 

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                                   吉野山

 

 

 

 

どれも室町時代から桃山時代にかけての作品である 日月山水図は特に好きだ 金剛寺

の日月山水はダイナミックで立派な作品である 加山先生のアトリエの壁に複製が貼ってあったので見慣れた絵であるが 私は上の日月山水が好きだ 室町時代の屛風絵には好きなものが沢山ある 私の日本画の原典のような気がする

 

 

多摩美に入学して二年も経たないうちに学園紛争のために大学は封鎖され 私はいきなり行き場のない 何者だか解らない状態になった 寺山修司ジョーンバエズが入り乱れたような フェリーニ3本立ての映画館に深夜まで入り浸るような時代 思い出すのもおぞましい青春であった いつまでたっても再開しない大学に失望し 日本画を描きたいという思いまで消えた

 

私はその間に 家を出て前本と暮らしていた 駆け落ちとはほど遠いやり切れない思い

を抱えたままの投げやりな毎日だった 退廃的な日々を過ごす私達を 何かと案じて加山先生が 何回か訪ねて下さった テレビも冷蔵庫もない 殺風景な米軍の払い下げ住宅で先生に紅茶を差し上げたことを思い出す 先生はその紅茶茶碗を綺麗ねと褒め まずそうにお茶を飲んで帰って行かれた

 

ある日先生から電話があって いつになくかしこまった口調で ゆふさんに折り入って頼みたいことがあるとおっしゃって しばらく黙って それから三回だけモデルをしてくれないかと丁寧に頼まれた 私はすぐには答えなかった 何でだろうと思った その当時先生はセンセーショナルな人物を発表していらして そのモデルは皆スタイルのよい現代的な美人であった 多少パセティックな感じで 一見して又造好みといった風の 人ばかりだ 私は先生のモデルとはタイプが違いすぎる

 

先生も黙って 電話はずっと沈黙した 長い沈黙に私は先生が相当困っておられるように感じた 本当に私でいいのか 半信半疑のまま分かりましたと答えた

 

初めて先生のアトリエにモデルとして伺ったのが 12月16日なのだ この日は特別な日である 時代思潮に流され 志を失っていた私を再び日本画に連れ戻しに来た救世主のような存在として先生を想い 初心に帰る為の記念日なのだ

 

 

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                     2016年 12月16日  朝の南アルプス

 

 

 

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                                                                    🌹

 

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本画の杜 第五章 「森から」 2016・11

 

第五章 「森から」

 

 

   

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                         「森から」15号P 1991年制作

 

 

 

 

         10月半ばからずっと暖かい日が続いていた。

 

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       浅黄斑は相変わらず飛び回っていた 菊の花が好きなのか

       熱心に蜜を吸っている カメラを近づけても全く動じない

 

 

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  野菊が満開になると しめやかな香りと共に秋の冷気を感じるはずなのに

  まだまだ暖かい。 菊は夏の花のように陽気に咲き続けた。

 

 

 

 

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富士山に初雪が降ったのは10月26日 観測史上最も遅い 今にも溶けそうな淡雪だった 

例年なら 十一月に入るとせかされるように冬の支度をするのだが 今年はのんびりと庭で過ごしたりしていた。 それでも十日を過ぎるころから 少し風が冷たくなって来

たので 薔薇の根方を覆ったり 寒肥をやったり いつ雪に降り込められても良いように猫のご飯を買いに行ったり 庭のベンチを床下に仕舞ったりりと忙しくしていた。

車の整備も欠かせない。

  

 

十一月は一年の内で一番忙しいのだが 紅葉の美しい季節でもある。

近くの牧草地に富士山を見にゆく。山道を走る私の車はこの世ではないところへ迷い込んでゆくようだった。美しい秋の午後 至福の時を過ごした。

 

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        夜の森には大きな月が出て鹿の鳴き声も聞こえる

 

森は神秘に満ちている。冒頭の作品「森から」は1991年に開催した個展 <前本利彦展CANON  ヴィスクドールの主題による>の出品作である。

当時は森ではなく 海沿いの町に住んでいた。前本は幼少期 故郷の森や川で遊びまわっていたらしい。海には馴染めないようだった。

私はここに住んでみて 森がこの作品の通りなのに驚いた。

 

 

 

私達は 秋がくれば秋そのものの一部になってしまう。夏には夏の中に溶け込み 春は春の中に 冬がくれば私達は冬となってしまう。当たり前のようで 不思議な経験だ。

自然の偉大さとはこの様なものかと実感した。

 

 

 

 

   「CANON」より 表題作    『カノン』 171×91cm  祭壇縁

                              1991年 制作

 

 

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鎌倉の人形館でスケッチをしている時、パッヘルベルのカノンが掛かっていた。それをタイトルにした。

                             前本利彦

 

 

 

 

 

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                           二十日を過ぎると 山茶花が咲いた

 

大好きな花 山茶花が咲くと幼い頃を思い出す。毛糸の襟巻に手袋 すっぽりと耳を覆う可愛い帽子 オーバーに長靴下 そして靴下止め。東京の冬は今とは比べ物にならないほど寒かった。そんな格好で学校へ通っていた道すがら毎日見ていた山茶花の花。

小さな花を子供の椿と呼んでいた。人懐こく 物静かな古くからの友人。

 

 

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紅葉の森に落ち葉散らしの北風が吹き 唐松の葉が 驟雨のように降りそそぐ日が続いた。散歩に出ると 犬も私も全身に針葉樹の枯葉を浴びる。それが何故か楽しい。原始的な楽しみ。同じように犬もはしゃぐ。そして黄金色の木々の間から稜線の厳しくなった冬山が見える。

 

 

 

晩秋を迎えると 決まってルソーの 「フットボールに興じる人びと」が見たくなる。

 

 

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私には

自然のほかに師匠はなかった。

           ( アンリ・ルソー) 

 

 

 ルソーの墓地には碑が建てられ 彫刻家ブランクーシの手で刻まれたアポリネールの詩が偉大な画家を讃える

 

        やさしいルソーよ

        わかりますか

        私達の敬意が。

        ドローネーと奥さんとケヴァルさんと私とで

        私達の荷物を天国の税関から免税で通して

        筆を絵具をカンヴァスを君に届けましょう

        まことの光の中で聖なる余暇に描きたまえ

        私の肖像を描いたように

        お星さまの顔を

 

 

 

 

 

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                                     十一月もそろそろ終わり 明日は雪になるそうだ

                                             束の間の秋が終わった。

 

 

 

 

 

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予報の通り11/24は雪 十一月中に雪が降ったのは54年ぶりなのか・・・

朝 窓の外は雪景色に変わっていた。六回目の冬を迎え この光景も見慣れたものとなった。

 

 

 

 

 

                                                                  ⛄

                                                      

 

 

 

 

日本画の杜 第四章 「紫苑」 2016・10

 

 

第四章 「紫苑」

 

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                         2014年制作 「紫苑」 4号

 

 

 秋の山を撮ろうと晴れるのを待っていた 十月になったのに雨の毎日 紫苑の咲く頃にこんなにお天気の悪い年はない

  

    

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 庭に蝶々が舞い込む 浅黄斑だ 南へ帰らなくてもいいのだろうか いつもの秋より暖かいのかも知れない

 愛らしい水玉模様と水浅黄色の翅が美しい いつも一人で来るのが良い 柔らかな風に乗り 静かに飛ぶ姿は見とれるほど優雅だ 

  

 

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 晴れ間をみつけて谷を見渡す坂の上まで歩いた 小さな菊が咲き 色とりどりの実が成っていた 長雨に降り込められているうちに 草木は着実に季節を迎えていた

 

 

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                 紫苑

 

 

 秋が来ると前本の描いた「FALL」を懐かしく想う 1976年の神奈川県展に出品する為に夏の暑い盛りに制作していた それから四十一年も経つはずなのに どの作品よりも鮮明に記憶している 黒い裸婦を描いたその作品を初めて見た時の気持ちをはっきりと覚えている 一瞬の秋を捉えた緊張感と静謐さ そして前本らしい斬新さ グールドのバッハが聞こえるようだった 言葉に出来ない心の内を余すところ無く表現していた -言葉を超えた表現ー これこそが 絵を描くことだと思わせるような作品だった

作品写真が見つからない

 

                            1979年 31歳

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 「FALL」の後 前本は黒い人物を続けて描いている 『肌色を用いたヌードは、人間存在が稀薄になる。肝心な何かが抜け落ちる』と前本は語っている

 『肌色にして描くとどうしても女を描いたという感じになってしまう。美人画とか女性美とか、そういうものを描くのではないという事で肌色を拒絶し、黒によって自分の気持ちを裸婦の形を借りて描いてみたかった。だから、裸婦といっても自画像のようなものだった。』美術雑誌の取材で 三十七才の前本が黒い人物を描いていた頃を回想して答えている その後一転して白い人物を描いていたので この記事のタイトルは

「玄から―白ーそして、白を越えたもの」となっている どのような理想に向って制作しているかと問われ 「私の絵の理想ー 妖艶・幽玄・余情を重んじ 感覚の幻想を追い遊ぶ」と答えている それから三十年以上経った 今でも同じ気持ちで制作しているに違いない

 

 

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     上の二点は1979年制作 「暗い部屋Ⅰ」 「暗い部屋Ⅱ」 いずれも100号

  1980年の神奈川県展に出品し 大賞を受賞した

 

 当時は ずいぶん個性的な作品と言われた 私は釈然としない思いだった そんなひと言では片付かない気がした そして個性とは一体何か と思った

 

  その思いに答え得る 加山又造の「新人へのアドヴァイス」の一部を抜粋した  

 

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『近年、個性尊重が叫ばれ、何よりもまず個性という声が強いが、人それぞれ個々の人格を持っている以上、他とは違ったものを持っているのは当然であり、反面人間の肉体のメカニズムが一定である以上、飛び抜けて違った個性など有り得るはずがない。逆に言えば、個性をはじめから自己の中に望むのはどだい馬鹿げた話である。だから自分の信じるもの、描きたいもの、学びたいものを飽かずにできるだけ安定感を持って繰り返す、その繰り返しの中でますます育ち、どうしても消えないある一つの点、短所とそして長所の入り混じった極端なもの、それを見付け出したとき、それがはじめて自分の個性、本性的な個性になるのではなかろうか。

 だからありもしない個性と呼ばれるものを無理して作る、ないしは自分の中に探し出そうとする愚は、自分の優れたものを破壊していると考えられるように思えてならない。その自己追及のために、目から頭、そして手へつながる運動の繰り返し、いわゆる空白、ブランク、それを自分で傷つけ、印し、描いていくそのもっとも人間的なプリミティブな喜び、それをどのような角度から自分の体質にしてしまうか、それが最も重要な部分であろうと思う。』

 

  個性を重視するあまり ーありもしない個性ーを捏造した個性な絵 既成の情報を寄せ集めそれらしい個性をでっちあげた絵 そのようなものばかりになってしまった 四十年前に加山先生が危惧していらしたことが すっかり定着した感があるように思うのは私だけだろうか 自己を追求し 美意識を磨き 教養を深め 独自の人生観を養い個性を見付け出し 創造する為の永い修練 それも絶えざる修練が必要であると先生は繰り返しおっしゃっていらした

 現代日本の文化水準は決して高くはない それは世の中が機械のスピードになったからではないか 人間の早さでしか出来ないことが軽視され 即効性のあるものばかりに高い評価が与えられている しかし機械に芸術は出来ない 夥しい量の情報を人間が詰め込んだロボットが描いた絵に一体どんな価値があるというのか 芸術を深め 高める為に要する永い時間を短縮することは出来ない 何とか短時間で効果を上げる方法を見つけようとするなど愚の骨頂といえよう そう考えた瞬間に美の女神からみはなされる

 永くて地味な修練 訓練とも言える程の気の遠くなるような努力 これ無くして日本画は描けない 更に ようやく見い出した個性を洗練する為の修練と努力 人生をすべて掛けても足りる事は無い 土牛の名言 「どれだけ大きく未完で終われるか」であろう

 これから益々機械化が進み 人は更にスピードを求めてゆくだろう 便利で派手な いわゆるインパクトのあるものばかりに価値を見い出してゆくのか 日本画などは衰退の一途を辿るのか 神様はどうなさるおつもりか

          

              ・・・・・・・        

 

  山の写真が撮れなかったので前本の「野の九月」をご覧頂くことに致します

 

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                              2015年 制作 20号

 

 

 

 

 

 

 

                  🍂

 

 

 

日本画の杜 第三章 「椿下白猫」 2016・9

 

第三章 椿下白猫 

 

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                     「椿下白猫」 (ちんかはくびょう)

                         50号M  1997年制作

 

 

      夏の終わり 空にはまだ夏雲 雨ばかりの九月 庭は秋海棠に覆われた

 

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                                  野菊

                                                   

                                     

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                   秋明菊

 

  秋の花はどこか儚い。「儚い」という字は前本の絵のようだ。人が夢見ている形なのかも知れない。

 

 私が秋海棠を描くと前本が笑う「まるで春の花だね」。確かにそうだ、と私も思う。およそ儚い所の無い私は、花弁にリズム感のある大ぶりの花が好きだ。向日葵 ダリア 百合 薔薇(バラの花は中輪の方が良い)、どちらにしても前本とは正反対かも知れない。美大の学生だった頃、夏休み明けの批評会に向日葵の作品を提出した。教授一同が「とうとう出たね この子の十八番!」という事で、私は自分がそういう資質であることをいやおうなしに自覚せざるを得なかった。その上前本にまで何を描いても春か夏の花になると言われれば、観念してその方向にゆくべきか・・・

                                   

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 前本は七月生まれだから夏が一番好きだと言う。向日葵は、花びらの先の透き通った所に惹かれるそうだ。・・・らしい! 前本の描く花は夢見るように咲いている。特に好きなのは 「乙女椿」と「黄花木香薔薇」のようだ。葉山の家ではカスタードクリーム色の木香薔薇が、大きく茂って春の訪れを知らせてくれた。八ヶ岳の気候には馴染めずに枯れてしまったのを、しきりと残念がる。来年は植えなくてはと思っている。乙女椿も、鹿に食べられてしまった。鹿は庭中の物を食べ尽す。椿の葉は油が多いので特に好きらしい。

 仕方なく庭の周囲に柵を巡らせ、今年小さな苗を植えた。

 

 北海道には、内地(北海道ではそう言う)と違うエキゾティシズムを感じる、と同時に雪国独特のロマンがある。北海道生まれの前本がちょっとバタ臭いもの(この言葉は絶滅種か?)に惹かれるのは当然のことだ。アンティークドールや百合などを描いた、リリックな作品「Lilyの棚」は「この子の十八番!」と言えよう。

 

 さて、十八番と云えば猫。前本の面目躍如たる作品が多い。

 

 

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                          夏の日   10号M

                              2014年 制作

 

 

 

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                           蘭と白猫  6号F

                              2006年 制作 

 

 

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                         紫陽花と黒猫  20号F

                               

                           

 

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                         鹿ノ子百合と黒猫 6号F

                               2009年 制作

 

 

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                                                                               黄牡丹と白猫  20号変

                                2007年 制作

 

 

 私達はそれまで猫を飼ったことがなかった。二十年程前、親友が小さな子猫を連れてきた。 「露露」だった。彼女は私の幼なじみの友人であり、恩人である。その貴重な友が、かけがえのない猫との出会いもたらしてくれるとは。それは千載一遇の機会であった。       

       

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 私達の家にはいつも犬がいて、丁度その頃も来たばかりの仔犬が二頭いた。どちらも可哀想な子達で、死にかけていたのを引き取った。その二人がなんとか元気になったのを見計らって露露をもらった。

 

   同い年の三人はいつもひっついて眠り、玉のように転げ回って遊んだ。

 

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   露露             珠珠           茶以

 

 

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  ちびっ子三姉妹は大変仲が良かった。そして、温厚なスピッツの茶以とフレンドリーなコッカーの珠珠を仕切っていたのが、この小さな子猫の露露だった。子犬達の

事は私に任せてくれと言わんばかりに奮闘する姿が健気でほほえましく、頼もしい気

がした。頭脳明晰で姐御肌なところがあった。

 

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         こんな幸せな日々はもう戻らない

 

 露露は格別の美形であった。初めての猫がこれほど絵になる猫だったとは、前本は幸運な絵描きと言える。。神様の贈り物であろうか。その上私は、前本自身が猫であったのを思い知らされた。足音がしない、あまのじゃく、すべてが完璧な猫ではないか。露露は前本の正妻で、私はお世話係といった毎日であった。露露は膨大なスケッチと作品をもたらしてこの世を去った。今でも前本は露露の面影を描く。 

 

 

 

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    大人になった三人

 

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  私は人間の言葉が聞えると絵が描けない。しかし、言葉を話さない温かい生き物が自由に歩き回っている中に居たいのである。前本は相変わらず猫を描く、しかしながら今居る2匹の猫はモデルには採用されないようである。

 

 

 

 最近、黒猫の作品が版画になった。幸運なことに、昨日散歩道を黒猫が横切った。

 

          リトグラフ 「黒猫 金

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 版画工房「カワラボ!」の河原・平川ご夫妻は前本が信頼を寄せる本当の刷り師である。初めての版画を安心して任せた。マニアックな仕事ぶりに感謝している。おふたりは芯から版画を刷るのが好きなのだ。創造に何より大切なのはそれではないか。加山先生の口癖は「好きこそものの上手なり」であった。

 

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                秋晴れの朝

 

  今頃の季節を 白露 と言う。秋分の十五日前というから今日あたりなのかも知れない。露露を見た前本が名前は「白露」にすると言った。本名は白露にして呼び名を露露にした。露露に先立たれた後、前本はもっと長生きしそうな名前にしておけば良かったと嘆いた。

 秋晴れの朝、ススキの葉先に置かれた露。自然はなんと美しく清浄なのだろう。散歩の途中、前を通るだけで心洗われる庭がある。心映えさながらの端正さが見る者を浄化する。庭はその人そのものと言われる。絵もその人そのものであることは間違いない。面相で引いた細い線一本にその人のすべてが現れる。資質、見識、生きる姿勢、美意、価値観、人生、すべてが解かる。理想とする一本の線を手に入れるために歩んできた私達にとって、日本画は人生を捧げるに充分過ぎるものである。

 

 良い絵は清浄であり、見る者を浄化する。卑俗を神聖に転ずるものである。そのような馥郁たる作品は多くない。そう簡単に描けるものではない。その為の精進にどれ程の努力と歳月が必要なことか。

 しかし、作家はそれを目指す以外に何を目指せと言うのか。前本はよくこう言う。「絵が汚れる」 絵が汚れるような生き方は出来ない。

 

 その昔、日本では芸事をする者は何かに憑依されて気が狂った「物狂い」と言われていた。まあ、絵を描くなどはまともな者のする事ではない。美術大学にゆきたいと言い出した私に、明治生まれの父は「頼むからもっとまともな大学に行ってくれ」と言った。

 

 私達がまともでないのは承知している。仕方がないと思う。居直っているのでは無い。何よりも日本画が好きなだけである。

 

  去年ノーベル賞を受賞した山梨県出身の大村先生が、「自然と芸術は人をまともにする」とおっしゃったことを聞いて安らかな気持ちがした。

 

 

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                                  蘭と月光

 

              月の綺麗な季節を迎える

 

 

 

 

 

 

 

 

                  🌙

 

 

日本画の杜 第二章 「夏の花籠」 2016・8 

      

                          

第二章 夏の花籠

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                          2012年制作 「夏の花籠                                                       

 

 私達が、度重なる引越しの末ようやくたどり着いた北杜市はどこからでも山が見える。その上、至る所に花が咲いている。小淵沢の駅に向かう道沿いに真っな罌粟が満開になると、六年前ここへ来た頃をなつかしく思い出す。

「夏の花籠」は、初めての夏にスケッチした花々を描いた作品である。

 

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 八月の杜

蝉の声しか聞こえない。

 

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                     半夏生

 

f:id:nihonganomori:20160804163018j:plain蓮華ショウマ

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そして山百合   熱心に蜜を吸う烏揚羽

 

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前本がスケッチしているのは朝顔

 

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                短い夏の始まりである。  

 

 

 

                                                                                                                                     f:id:nihonganomori:20160809165330j:plain2008年 制作

                             「卓上の夏」        

                              

 

                                 f:id:nihonganomori:20160809170507j:plain                               2008年 制作   「残りの夏」

 

        

 

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     荘厳としか言いようの無い早朝の杜 朝日が射して百合が咲いた

 

              

 

     ひっきりなしにやって来る揚羽

                                                               f:id:nihonganomori:20160815155943j:plain

f:id:nihonganomori:20160809174731j:plain 花の様子は刻々と移ろう 美しく咲いた時をのがさぬよう

             朝食前から写生を始めた    

 

 

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          底紅の木槿が咲き

 

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                               夏薔薇が咲いた

   

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     白百合は木陰で見るのが美しい

 

 

          

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             満開のルドベキア 前本は今朝も写生

 

 愛情とは何かと聞かれたら、「見ること」と答える。唯々見る。黙って見続ける。花を育てて来てそう思った。犬猫も同じように見てやることだ。

 毎日毎日見続ける事。昨日とどう違うのか、何が必要なのか。何が言いたいのか。困った事は無いか。どんな事が嬉しいのか。どうして欲しいのか。黙って見ていればよく解かる。解かって来れば、適切に対処出来る。

 

 描きたいものを見ていれば、どうしてそれを描きたいのか解かって来る。どうして美しいのか、どんな所に美しさを感じるのか。よくよく見ながら知ろうとする。

 そして、美しさを表現するする為にはどこを強調し、どこを省略したら良いのか解かって来る。

 絵とは、画家が「どう見たか」を記したものと言って良い。そして、その画家がどこを強調し、どこを省略しながら誠実に心情を表現しているか。

 良い作品からは、そういった画家の心構えと眼差しが、ひしひしと伝わってくるものなのだ。写生をするという事は、モチーフに愛情を注ぎ続ける事だ。時にその愛情は、家族にさえ注がぬ深いものとなる。安田靭彦が「それは仕方がない」と言った。大そうな名言だと思う。仕方がない!家族は二の次だ。あっぱれではないか。

 

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                                   2010年 制作      カサブランカ

 

 

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           2009年 制作      文鳥朝顔

 

 

            残暑お見舞い申し上げます

 

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                                                     「夕顔」

 

 

 

 

 

 

 

                   🌻