日本画の杜 第十一章 「山高神代桜」 2017・4

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                            素描 「山高神代桜

 

 

 三月の終わりから四月の初めにかけて雪が降った。もう降らないだろうと思っていたのでうんざりした。この辺の人は誰でも もう雪は沢山だと思っている。神代桜の開花予想も外れた。

 春の淡雪はあっけなく溶けて暖かくなり 桜も少しずつ咲き始めたようだ。

山高神代桜が満開になる前に幹のスケッチを完成させたいと 前本は何回か通った。

 

 

 

 

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 幹の素描を無事完成させて 満開の花を描くために訪れたのは4月13日。3時半に起きて実相寺へ向かった。早朝から見物客で賑わう境内は 水仙と桜と山々に囲まれこの世とは思えぬ空気に包まれていた。

 

 

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そして今年の山高神代桜のスケッチは次の一枚で終了した。枝の一部に花を書き込んだ

 

 

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                 満開の神代桜

 

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 前本の描いた角度から見たのでは無いが 来年はこちらから描いてみたいと思ったそうだ。毎年通って 何処まで描くことができるのか。作品になるのはいつのことなのか

 

 

      山高神代桜にも前本にも長生きしてもらいたいと願っている。

      雪の残る甲斐駒に見送られて帰ってきた。

 

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               ☁

 

 

 

 さて四月も半ばになると夏のような日があったりして私の庭も春の装いとなった。 

             梅と桜が一緒に咲く。

 

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        葉山から連れてきた大好きな「思いのまま」

 

 

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  この山に自生する「富士桜」 散歩道に倒れていたのを助け起こして庭に植えた

 

 

   

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             美味しいタラの芽も沢山ある

 

     

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                「エンレイ草」

 

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            山の至る所に「山吹」が咲く

 

 

              「花海堂」の蕾は夕暮れが綺麗だ

  

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        枯葉の間からいつの間にか伸びてきた黄色の花達が地面を覆い尽くす

 

 

 これらの花々が一斉に咲き ついこの間まで降っていた雪のことなどすっかり忘れさせてくれる。私は心から花が好きだ。花は 競争をしない。人の真似もしない。完全に自立しているではないか。

 

 自立とは誰とも競争せず 比べず 真似をせず自分の人生を無心に生きていくことだ。私はそういう生き方が大好きだ。

 

 葉山から連れて来たライラックはもう二十年にもなるのに一度も花を咲かせたことがない。どうしたらいいこうしたらいいと言う人もいるが 私は待っているだけで良い。

ライラックにはライラックの事情がある。

 

 隣の木の花みたいに沢山の花を咲かせたいとか あの花みたいなのが咲かせたいと羨む事もなく 懸命に生きてゆこうとするだけの花達は 一番気の合う友達なのだ。

 

 寒さに耐える事が出来ずに枯れてしまった花達を供養し 元気のない枝を励まして庭を歩き回っている時が私の心からの実感だ。

 

 

 

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                   🌷 

日本画の杜 第十章 「山桜」 2017・3

 

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                              「山桜」 6号F

 

 

 

 

 

 暑さ寒さも彼岸までとは言え この辺りでは梅も桜も蕾のままだ。 一昨日  3月21日は雪が降った。

 朝カーテンをあけると庭は真っ白な冬景色に逆戻りしていた。四月に入れば日中はストーブの要らない日も増えるが 天気予報はゴールデンウィークになっても「遅霜に注意して下さい」 「農作物の管理には充分注意して下さい」と繰り返す。

流石に春の淡雪は夕方には溶けてしまった。

 

 三寒四温 花冷え 花曇り こんな春らしい言葉が使えるのはまだ先のことだ。そういえば春のお彼岸だったことすら忘れていた。町方に住んでいた頃は お花を携えた家族連れがお墓参りにゆくのにすれ違った。ああ今日はお彼岸のお中日かと思ったりした。

何だか懐かしい。ここではその様な気配すらない。

 

 町方という言葉を ここへ来たての頃初めて聞いてああ私は知らない土地に来たのだと改めて思った。「町方の人には珍しいだろう」「町方の人には無理だろう」「町方では車が混んで大変だろう」

最近はは誰からも言われなくなった。この土地に馴染んで来たのかも知れないが 今でも私は町方の人でも 村方の人でもないような気がする。生家にいた時も その後様々なところを転々とした時も 常に自分が異邦人のような気がした。どこに行っても仮の住まいとしか思えない。何故なのか 考えても分からない。前本も同じ様に感じてきたと言う。私達二人が共感できる感覚のひとつである。この世に安住の地は無いよう気がしてきた。

 

 

 

 

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  三月に入って少し暖くなり 戸外でスケッチが出来る様になると前本はライフワークの 「実相寺」の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)を描きに行く。

花が咲き出すと人が多くなるので 誰もいないうちに幹を写生しておくのだ。花が咲いたら 再び花を描き足しに行く。

 

 甲斐駒ケ岳が見える「實相寺」というお寺は 私達の住まいから車で40分だ。ここへ 何回か通って 朝から暗くなるまで描く。

 

 山高神代桜は日本最古の桜と言われている。樹齢2000年の大木である。

 

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 田園と南アルプスの山々に囲まれた實相寺は 小ざっぱりした好もしいお寺だ。

清らかな風が吹き抜ける。

 

 

 境内には若木から老木まで 様々な種類の桜が沢山ある。そして これが弥生時代から生きてきた山高神代桜である。

 

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 幾多の風雪に耐えた老木の威厳に圧倒される。仏像を見たような気がした。花の数も少なく すべすべとした若木の綺麗さは無い。風格と神々しさを感じる事無く  恐ろしいものを見たように立ち去る人も少くない。

 

 前本は樹齢を重ねたこの老木を自分の人生に重ね合わせている。来年古希を迎える前本は 若い時には思い至らなかった 命の不思議を思っている。2000年生きてきた老樹に偶然にも出会えたことに 深く感じ入ったのだ。老木は前本の精神の奥深くに様々な感情を呼び起こした。それを絵の中に込められれば良いと思って描いているのであろう。見た目の綺麗さを描きたいわけではない。美というものはもっと幅と奥行きのあるものである。

精神の深いところに呼応してくるもの 言葉には出来ない霊感 神秘といったような何かを描きたいのだろう。 

 

 

 

 

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 三月の終わりに雪が降った。気温が高くなってから降る雪は湿っている。木々

に着雪し 真っ白な花が咲いた。この寒さでは桜の開花は少し先になりそうだ。

 

 美は見る者の眼の中にある と言われる。身の丈以上の美は見ることができないとも

言う。私が美を意識したのは美大に入ってすぐの頃だ。その年の日本画科の一年生は十五名  女子はその内五名だった。女の同級生達と教室でお喋りしながら絵の具を溶いているところに加山先生が一人で入っていらした。立派な帽子をかぶり 綺麗な靴の紳士であった。全員緊張して黙ったまま 何か言わなきゃと思っていた。そんな子供達に先生は 「僕は高校の廊下のにおいがする新入生は苦手でね。今度の批評会には綺麗にしてらっしゃい。美人になりなさい。美というものが解からなくては美人にはなれませんからね。」とおっしゃってすぐに出て行かれた。私は美とは何か 考える様になった。

 

 夏休みが終わって秋になった。 夏休みの間に制作した作品の批評会の日 中庭のベンチに座ってぼんやりしていると「ずいぶん美人になったじゃん」と言う声に驚いて振り向くと いつもの帽子をかぶった加山先生が にこにこ顔で立っていらした。「綺麗な服ね」「この服 私が作ったんです」「この服みたいな絵を描いてごらん」 

18歳の私に朧気な輪郭の美が近づいた。

 

 美の深さ 奥行き 美の幅 これらを追及することが絵を描くものの使命ではないかと思う。「美」は いわゆるうわべの綺麗さや 可愛さを超えたところに存在する。

生きている間にどれだけの美を見いだすことができるのか。「絵を描くこと」はその果てしない道を歩くことだ。 

 

 

 

 

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 最後に 山本丘人の「高麗山の春」をご覧ください。山本丘人は1900年生まれの日本画家であるが 玄人好みと言われ きちんと知っている人は多くない。しかしこの大家の残した夥しい作品はどれも相当な水準である。この作品は 何の変哲もない大磯の風景だが 私は春の山がみんなこの絵に見えてくる。これ程のリアリティを表現出来る作家は少ない。そして丘人のすごい所は 新しい日本画を創り出した点であろう。新古典派と呼ばれる古径 靫彦  土牛 とは違った新しいタイプの日本画を創造して確立した。丘人以降 これを超える新しい画風を見たことがない。

 

 

 

 

 

 

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やがて残雪が消え 桜や梅が一斉に咲き始め 空も木々も山々も 薄桃色に包まれる日が来る。

 

 

 

 

 

 

 

                  🌸

日本画の杜 第九章 「早春の窓辺」 2017・2

   第九章 「早春の窓辺」

  

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                                           「早春の窓辺」 8F

 

 

 

 

 

 二月は雪の降る日が多い。北海道育ちの前本は雪の上でも アイスバーンでも平気で歩く。私はこのひと月程は 玄関の前の道へ出るのが精一杯だ。 勿論車の運転などもってのほかである。

 庭にご飯を食べにくる鹿達をながめたり つららの成長を楽しみに過ごしていた。

 

 

 

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 雪に閉じ込められてどこにもゆけないのは悪くない。静かで綺麗だ。ストーブの燃える音 湯たんぽで温めた寝床 なんという安息。そして何より嬉しい事に ゆっくりと画集を見る落ち着いた時間がある。幼い頃 応接間に絵本を持って忍び込み 一人で表紙を開く時とそっくり同じだ。これから私の前にこれ以上無いほど美しい世界が展開するのだ。美術館へ足を踏み入れる時 教会の荘厳な世界へ入ってゆくのと同じ気持ちになる。画集を開く時もそれに似た神聖な救いを感じる。何もかも忘れる。

 

 素晴らしい音楽 素晴らしい絵画 芸術の力の偉大さ。古今東西の優れた芸術家の作品 それは作家の願いの結集である。願う事で芸術は生まれる。美を創りたいとただそれだけを願った作家の純粋な思いの結集。敬愛してやまない作家達。作品。

 

 

 

 

速水御舟

 

 

 

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小林古径

 

 

 

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安田靫彦

 

 

 

 

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奥村土牛

 

 

 

 

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山本丘人

 

 

 

 

 

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中川一政

 

 

 

 

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 早春の花 椿の名作 重く 深く 素晴らしく 美しく 普遍の美が確かに存在している嬉しさ 言葉を失い 息を呑むばかりである。

 

 

 

 

 

 

 そして最後に恩師 加山又造の椿 これらは 本画ではない 墨の使い方を

教えて下さる為にお描き下さった

 

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    紅い椿と白い椿

    葉と枝の質感の違いを捉える事 椿の葉の特徴 可愛い芽の感じ など

  

 

  

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     白玉椿の侘びた趣きを捉えること これから少しずつ開いてゆく

     花びらの気配を描くこと 柔らかい乳白色の花を 墨で表現するには

     どうしたらいいのか まず全てを よくよく見ること どう見たかを

     正直に描くこと どう描きたいのか 願うこと

     その願いを叶える為に 力を尽くしなさい

 

 

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       加山先生の芸大在学中 教授は 前田青邨 小林古径 安田靫彦

      助教授が 奥村土牛 山本丘人 であった。

       これは バッハ ベートーヴェン モーツァルトが教授で 

      シューベルト ショパン助教授というような 

      もしくは セザンヌ マティス ゴッホが教授で モディリアーニ 

      クレー が助教授 とにかく物凄い事である。

      

 

 

 

 

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 春は名のみというけれど 空はずいぶん春めいて やはらかな雲に向かった枝先は

ほんのりと紅が差してきた。

 

 

 

 

 

 

 

          🌼

日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」 2017.1

 

  第八章 「ONE NOTE美術クラブ」  2017・1・25

 

    

 f:id:nihonganomori:20170125153440j:plain  葉山に住んでいた事がある。

 海沿いのその町は暖かくて いつも明るかった。十年以上前の事を思い出す。 ある日その人を見かけた。重たそうな黒髪が背中で揺れて 弾むような 不思議なリズムで歩いていた。すれ違う時の笑顔が格別だった。この人は突き抜けていると思った。真っ向から人生に挑んで 何かから吹っ切れた笑い顔だ。どちらからともなく話しかけ 私達は友達になった。玲子さんはジャズピアニストだった。

 絵が好きで屛風が欲しいというのでじゃあご自分でお描きになったらと言った。私達はお互いの家を行き来して パンを焼いたり 洋服を縫ったり 絵を描いたりして過ごした。柔らかな陽だまりで 色々な話をした。酔芙蓉の大きな葉が海風にそよぎ 玲子さんは相変わらずよく笑った。そのうちに 私が山梨に移ることになり 玲子さんも葉山を離れることになった。

 

  

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しばらく経って 玲子さんとご主人は新宿でジャズの生演奏とお料理のお店を始めた。

常に良質なものを求め 芸術をこよなく愛する玲子さんとご主人が 長年の理想を実現なさった事は私にとっても嬉しい出来事だった。

 

 

 

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      ONE NOTE美術クラブ

                           講師:前本利彦 (日本画家) 

      

 

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                        色鉛筆画 「牡丹」   前本利彦     

 

 

 

               

 

  良質なジャズの生演奏とお料理を提供したいと始められた「 ONE NOTE」色鉛筆画の教室を開催しています。

  音楽だけでなく文化的な交流のできるスペースにしたいと快く使わせて下さった

「ONE NOTE」のご期待に添えるよう 午後のひと時を放課後のクラブのように

気軽に集まって楽しく絵を描く教室にしたいと思っています。

 

  色鉛筆は水を使うことなく軽便で 重ねて塗ることで微妙なニュアンスを出す事の出来る魅力ある画材です。日本画の風合に似ているので 素描の多くを色鉛筆で着彩します。

 描いてみたい花や人形などの静物を 日本画の素描方法に基づいてスケッチし 色鉛筆で着彩して仕上げます。お好きなモチーフをお好きな大きさにお描きになったら 額縁に入れて飾ったり 贈り物になさったりと楽しめます。 

  新宿世界堂から歩いて三分の便利な場所です。クラブの後 ジャズの演奏と美味しいお料理はいかがでしょうか。月に一度 ONE NOTE でゆったりとお過ごし頂ければと思っております。

 

 

 

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                           色鉛筆画 「バラ」 前本利彦             

 

   🎵 月一回   概ね月末の 水曜日

     ♫  時間: 1:00p.m.~4:00p.m.

             ♬ 月謝:3回分 15,000円

    ♪ 必要な用具: スケッチブック・ねりゴム・鉛筆・色鉛筆                    

             詳細はご入会時にご説明いたします 

 

   

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  お問合せ お申込み                  E-mail:maemoto710@outlook.jp

 

 

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                         色鉛筆画 「百合と人形」 前本利彦 

                       」

 

 

 

 

                          

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                           色鉛筆画 「バラ」前本利彦 

 

 

 

     どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

 

 

 

         ♬   

 

日本画の杜 第七章 「玉蔵院の庭」 2017・1

第七章 「玉蔵院の庭」

 

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                               80号変形 1985年制作

 

 

 

 新しい年になった。「絵描きに盆暮正月なし」と言われる。知っている限り、それは

本当だ。よく知っている絵描きは加山先生と前本の二人だが、盆暮正月は確かにない。

家にいれば画室以外に居場所はないし、画室にはやらなければならない事はいくらでもある。絵を描く以外にこれといった趣味もなく、活動的なわけでもないのだからいつでも画室で何かしている。

 葉山に住んでいた時は、元日は二人で初詣に行った。前本が進んで行くほど好もしいお寺がすぐ近くにあったのだ。八ヶ岳には初詣に行きたい所が見つからず、今年の元日も朝食を済ますと画室の掃除をしていつもの通り絵を描いていた。

 

 

 

 

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 葉山の家から海へ出る道の中ほどに、「玉蔵院」と言うお寺があった。

ひっそりと小ざっぱりしたお寺である。秋風が立って静かになった海を見てしばらく過ごした帰り道、玉蔵院に寄るのが楽しみだった。いつでも誰も居なかった。手入れの行き届いた境内に六体のお地蔵様が並んだ質素な小屋がある。

 お正月には、お供え餅や千両が飾られ、紅色のケープを着て美しかった。

 

 その玉蔵院に、見事な梅の古木があって、前本はその静謐な趣きに惹かれしばらく通ってスケッチした。それを作品にして 「玉蔵院の庭」として発表した。この作品には次のようなコメントが添えられている。

 

 

 

               『玉蔵院の庭』 

 家から歩いて十分程のところに、玉蔵院にという寺がある。

 その庭に朽ちかけた老梅がある。簡素な庭に梅のまわりだけ静謐な色香が漂う。

          老いてなお艶と呼ぶべきものありや

          花ははじめもおわりもよろし

 新聞で読んだのだが誰のうたか忘れてしまった。うただけを記憶している。

                           前本利彦

 

 

 

 

 

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 今年のお正月は暖かく穏やかで、雪もなく雪かきの苦労が無かった。その後は次第に冬らしくなり、成人の日あたりから朝起きるとマイナス八度という日もあり、庭は雪に覆われている。そんな庭にも梅の蕾が元気にふくらんで、ツヤツヤした枝に沢山並んで何とも言えず可愛らしい。花は寒さに合わないと美しく咲かないと言う。

人生も同じかも知れない。

 

 

 

 さて、新年を迎え嬉しい事があった。原画の制作から一年近くかかって黒猫の版画二種類が完成した。おめでたい金銀の黒猫が幸運を運んで来ますよう。

 

 

 

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                                 BLACK CAT / SILVER

                     

                                 Lithograph Maemoto Toshihiko    2017.1.  Edition

 

                                                       BLACK CAT/GOLD           

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                                       版画のたのしみ

                             前本利彦

 

 版画は、複数の同じ図柄を作ることが出来るのが特徴です。

西洋では、銅版画、石版画(リトグラフ)が主ですが銅版画の中でも、エッチング、ドライポイント、メゾチント、アクアチント、などいろいろな技法があります。日本では浮世絵で知られるように、木版画が主流でした。これらは印刷の原点です。現在は印刷技術が発達し、写真の技術と相まって、情報伝達社会を牽引する一つになりました。そのような進んだ?社会にあって、なぜ昔ながらの版画が現在も芸術という形で残っているのか。それは、端的に言って美しいからです。人々の心の中に深く浸透するものがあるからです。

 版画を作るには、描き手も手間がかかり、技術も必要ですが、刷り師(刷りを専門に扱う人)も手間がかかり、高度な技術が必要です。

 現在はデジタルプリントに代表されるように、機械作業がほとんどです。それはそれなりのものが出来ますが、人間は不思議なもので、手作業でなければ出来ないものを求める感性があります。もともと人間の持つ美意識は、自然によって育まれて来たものです。手作業が、より自然に近い感性を生むと言う事でしょうか。

 今度、私は版画を二種類作りました。私は日本画が専門なので、日本画で原画を描き、それを版画工房に頼んで版画にしてもらう方法です。Kawalabo!と言う版画工房にお願いしていますが、版画は、一人で作る絵画作品と違い、刷り師さんと共同作業です。原画に”刷る”と言う作業を加える事で、原画とは別の作品が生まれます。しかも何枚も出来ます。

 私は刷り師さんを信頼しているので、刷る前に概略は話したりしますが、あまり口出しはしません。

版画として出来た作品は、独立した美術作品と考えています。私の‶想い”に刷り師さんの”想い”が加わり、生まれ変わった作品を見るのは楽しいことです。原画を描く時に煩悶した混沌を、版画にする事で、刷り師さんの個性が加わり、客観視され、整理され、また新たにして提示されたような気持ちになります。これは、なかなか愉快です。

 そんな事で版画を作っていますが、出来た作品っが皆さんの気持ちに触れる事を願っています。

 今年のKawalabo!の年賀状に、Keep Calm and Carry on Printing!と刷られていました。

 共同作業はこれからもまだ続きます。

                              2017・1・8

 

 

 

 

 

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                                               色鉛筆画・「牡丹」

 

 

 

 近日中に、色鉛筆画の教室を開設いたします。日本画の素描には、色鉛筆で着彩する事が多いのです。水も必要なく、軽便なうえ、色を重ねることによって微妙なニュアンスを出すことも可能です。場所は ジャズの生演奏とお料理を楽しめる「ONE NOTE」です。新宿の世界堂から歩いて三分の素晴らしいところです。どうぞお楽しみに!

 

 

 

 

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                   色鉛筆画・「バラ」

                                                                      

 

 

 

 

       🎵 ONE NOTE 美術クラブ 🎵

 

   ♫ 色鉛筆画の教室 🎵 ONEN  NOTE美術クラブ  🎵についてのお知らせは

      日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」でご覧ください。

 

 

 

 

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                                                               色鉛筆画 「百合と人形」

 

 

 

 

 

 

 

                  🌷

                 

日本画の杜 第六章 「天使とバラ」 2016・12

 

 

 第六章 「天使とバラ」

 

 

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                 2009年制作 「天使とバラ」 10号F

 

 

 

 

十二月に入ると良く晴れて温かい日が続いていた。冬晴れの八ヶ岳南麓は 夕暮れ時が美しい   のどかな雲が桃色に染まって 山の端から月が昇る

 

 

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  早朝の雲もまた美しい   空と雲は一時もとどまらず どんな時も心を打つ

 

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月半ばになって 朝は氷点下7度という日もある 寒いけれど八ヶ岳の冬は美しい

今朝はこんな綺麗な霜柱を見つけた 

 

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一年中 どの月もそれぞれの楽しさ 美しさがあっていつも描きたいものばかりの八ヶ岳は本当に良いところだ 一年の終わりが近づくとしみじみそう思う 同時に ここへ来るまでの多難な日々のことが思い出される 

 

そもそも私は何故日本画を描くようになったのか 美大日本画科に進もうと決めたのは高校二年の時だった 遅すぎると誰もが言った これから受験のデッサンを始めても絶対に現役では入れないと私も思った それまでは外国に行くつもりでいた 独りで知らない所へ行って見たかった 外国の女の子と文通していた私は 「日本にはどんな絵画がありますか?」と書いた航空便を受け取って慌てた その頃の私は マチスとクレーに心酔しグ―ルドとジョンレノンに狂っていた極一般的な女子高生である セヴンティーンを読んではアメリカのティーンエージャーの暮らしに憧れたりしていた 日本の絵画といわれたって・・・ カレンダーは林武と梅原龍三郎一辺倒の時代である 高校の図書室に行って調べなくてはいけない 図書室の本棚に「屛風絵大全」というような重たい 一度も開かれたことのないと思われる画集があった これなら日本の絵画として外国の子に紹介できるだろう 放課後の 夕暮れの光景を昨日のことのように覚えている その画集が 私を日本画の世界へ誘った

始めて見た日本画 外国人が屛風絵を始めて見た時の気持ちと変わらなかったと思う

エキゾチックでワンダフルであった なんと斬新で流麗なリズム感であろうか

全ての絵を見終わって私は決めた こんな絵が描けるようになるのなら美大日本画科へ行こう 外国はそれからでも遅くはない 何としても日本画を描きたい 私の願いはそのことだけに集中した その甲斐あってか 多摩美日本画科に合格した 

                                   

 

 

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                                      右双

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                                             日月山水図 六曲一双  左双

 

 

 

 

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                   春日鹿曼荼羅

 

 

 

 

 

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                                     柳橋

 

 

 

 

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                                   吉野山

 

 

 

 

どれも室町時代から桃山時代にかけての作品である 日月山水図は特に好きだ 金剛寺

の日月山水はダイナミックで立派な作品である 加山先生のアトリエの壁に複製が貼ってあったので見慣れた絵であるが 私は上の日月山水が好きだ 室町時代の屛風絵には好きなものが沢山ある 私の日本画の原典のような気がする

 

 

多摩美に入学して二年も経たないうちに学園紛争のために大学は封鎖され 私はいきなり行き場のない 何者だか解らない状態になった 寺山修司ジョーンバエズが入り乱れたような フェリーニ3本立ての映画館に深夜まで入り浸るような時代 思い出すのもおぞましい青春であった いつまでたっても再開しない大学に失望し 日本画を描きたいという思いまで消えた

 

私はその間に 家を出て前本と暮らしていた 駆け落ちとはほど遠いやり切れない思い

を抱えたままの投げやりな毎日だった 退廃的な日々を過ごす私達を 何かと案じて加山先生が 何回か訪ねて下さった テレビも冷蔵庫もない 殺風景な米軍の払い下げ住宅で先生に紅茶を差し上げたことを思い出す 先生はその紅茶茶碗を綺麗ねと褒め まずそうにお茶を飲んで帰って行かれた

 

ある日先生から電話があって いつになくかしこまった口調で ゆふさんに折り入って頼みたいことがあるとおっしゃって しばらく黙って それから三回だけモデルをしてくれないかと丁寧に頼まれた 私はすぐには答えなかった 何でだろうと思った その当時先生はセンセーショナルな人物を発表していらして そのモデルは皆スタイルのよい現代的な美人であった 多少パセティックな感じで 一見して又造好みといった風の 人ばかりだ 私は先生のモデルとはタイプが違いすぎる

 

先生も黙って 電話はずっと沈黙した 長い沈黙に私は先生が相当困っておられるように感じた 本当に私でいいのか 半信半疑のまま分かりましたと答えた

 

初めて先生のアトリエにモデルとして伺ったのが 12月16日なのだ この日は特別な日である 時代思潮に流され 志を失っていた私を再び日本画に連れ戻しに来た救世主のような存在として先生を想い 初心に帰る為の記念日なのだ

 

 

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                     2016年 12月16日  朝の南アルプス

 

 

 

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                                                                    🌹

 

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本画の杜 第五章 「森から」 2016・11

 

第五章 「森から」

 

 

   

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                         「森から」15号P 1991年制作

 

 

 

 

         10月半ばからずっと暖かい日が続いていた。

 

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       浅黄斑は相変わらず飛び回っていた 菊の花が好きなのか

       熱心に蜜を吸っている カメラを近づけても全く動じない

 

 

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  野菊が満開になると しめやかな香りと共に秋の冷気を感じるはずなのに

  まだまだ暖かい。 菊は夏の花のように陽気に咲き続けた。

 

 

 

 

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富士山に初雪が降ったのは10月26日 観測史上最も遅い 今にも溶けそうな淡雪だった 

例年なら 十一月に入るとせかされるように冬の支度をするのだが 今年はのんびりと庭で過ごしたりしていた。 それでも十日を過ぎるころから 少し風が冷たくなって来

たので 薔薇の根方を覆ったり 寒肥をやったり いつ雪に降り込められても良いように猫のご飯を買いに行ったり 庭のベンチを床下に仕舞ったりりと忙しくしていた。

車の整備も欠かせない。

  

 

十一月は一年の内で一番忙しいのだが 紅葉の美しい季節でもある。

近くの牧草地に富士山を見にゆく。山道を走る私の車はこの世ではないところへ迷い込んでゆくようだった。美しい秋の午後 至福の時を過ごした。

 

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        夜の森には大きな月が出て鹿の鳴き声も聞こえる

 

森は神秘に満ちている。冒頭の作品「森から」は1991年に開催した個展 <前本利彦展CANON  ヴィスクドールの主題による>の出品作である。

当時は森ではなく 海沿いの町に住んでいた。前本は幼少期 故郷の森や川で遊びまわっていたらしい。海には馴染めないようだった。

私はここに住んでみて 森がこの作品の通りなのに驚いた。

 

 

 

私達は 秋がくれば秋そのものの一部になってしまう。夏には夏の中に溶け込み 春は春の中に 冬がくれば私達は冬となってしまう。当たり前のようで 不思議な経験だ。

自然の偉大さとはこの様なものかと実感した。

 

 

 

 

   「CANON」より 表題作    『カノン』 171×91cm  祭壇縁

                              1991年 制作

 

 

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鎌倉の人形館でスケッチをしている時、パッヘルベルのカノンが掛かっていた。それをタイトルにした。

                             前本利彦

 

 

 

 

 

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                           二十日を過ぎると 山茶花が咲いた

 

大好きな花 山茶花が咲くと幼い頃を思い出す。毛糸の襟巻に手袋 すっぽりと耳を覆う可愛い帽子 オーバーに長靴下 そして靴下止め。東京の冬は今とは比べ物にならないほど寒かった。そんな格好で学校へ通っていた道すがら毎日見ていた山茶花の花。

小さな花を子供の椿と呼んでいた。人懐こく 物静かな古くからの友人。

 

 

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紅葉の森に落ち葉散らしの北風が吹き 唐松の葉が 驟雨のように降りそそぐ日が続いた。散歩に出ると 犬も私も全身に針葉樹の枯葉を浴びる。それが何故か楽しい。原始的な楽しみ。同じように犬もはしゃぐ。そして黄金色の木々の間から稜線の厳しくなった冬山が見える。

 

 

 

晩秋を迎えると 決まってルソーの 「フットボールに興じる人びと」が見たくなる。

 

 

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私には

自然のほかに師匠はなかった。

           ( アンリ・ルソー) 

 

 

 ルソーの墓地には碑が建てられ 彫刻家ブランクーシの手で刻まれたアポリネールの詩が偉大な画家を讃える

 

        やさしいルソーよ

        わかりますか

        私達の敬意が。

        ドローネーと奥さんとケヴァルさんと私とで

        私達の荷物を天国の税関から免税で通して

        筆を絵具をカンヴァスを君に届けましょう

        まことの光の中で聖なる余暇に描きたまえ

        私の肖像を描いたように

        お星さまの顔を

 

 

 

 

 

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                                     十一月もそろそろ終わり 明日は雪になるそうだ

                                             束の間の秋が終わった。

 

 

 

 

 

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予報の通り11/24は雪 十一月中に雪が降ったのは54年ぶりなのか・・・

朝 窓の外は雪景色に変わっていた。六回目の冬を迎え この光景も見慣れたものとなった。

 

 

 

 

 

                                                                  ⛄