「硝子の箱の薔薇」 6号S
私達が八ヶ岳に越してきたのは六年前の六月だった。葉山を出る時は梅雨空から小雨が降っていた。小淵沢に着くと快晴で 明るい陽射しに向かって伸びあがるように咲いた真っ赤な罌粟が ようこそと満面の笑みで迎えてくれた。見渡す限りの鮮やかな赤に目を奪われた。今までに見たことのない赤。山が育んだ色彩だった。都会から離れた場所に住む事になった事を罌粟が教えてくれた。
罌粟は毎年同じように咲く。また今年も「ほらあなたが初めてここへきたのは六年前の六月 私達がお迎えしましたね。」と語りかけてくれる。
薔薇が咲き始めるのも同じ頃 梅雨の雨を全身に浴び うなだれて咲く花びらを雨が散らす。八ヶ岳は良いところなのに 薔薇の時期と雨期が重なるのはかなわないと思った。毎年々々 雨の中で咲き 雫と共に泣くように散る花を見るのはやり切れない。
ところが今年は違った。六月の雨はどこかへ行ってしまった。気温も高く これ以上望むことはない毎日が続いて 私は薔薇達と喜びを分かち合った。
ロサ モエシー
幼い頃 祖母の丹精した薔薇棚には淡いクリーム色と濃い暗褐色のつるバラが絡み合
い 空が見えない程花が咲いた。私達は香りの中で遊んだ。
薔薇は特別な花だ。そのエレガントな花容と色 甘い香りに幼い私は魅了され続けた。
ブルボン クイーン
葉山の家には小さな庭があった。 それまでは庭も時間も無かった私に その庭が「少しだけ何か植えてみては如何でしょうか」と語りかけてきた。そうしよう 私の庭を作ろう。園芸店に行って まずクチナシとライラックを買ってこようと思った。沢山の植物を見ながらぶらぶらしていた私に「ご自由にお持ちください。」と書かれた薔薇苗が「私を連れていって」と話しかけた。世話をしている女の人が 名札がなくなってしまったので売れない と言った。見捨てられた薔薇は「私を連れて帰ってください」と再び言った。私は何も買わずに薔薇を連れて帰った。それが初めて自分で育てた薔薇だった。
しばらくして花が咲いた。それは今迄見たことのない綺麗な 忘れられない香りの不思議な薔薇だった。一体これは何という薔薇なのか。図書館へ行くという前本に 薔薇の辞典を借りてきてと頼んだ。手渡されたのは それはそれは美しい本だった。
シュネーコッペ
本を開くとそこは夢の世界だった。私の知らない しかし私の気持ちを満たして余りある花ばかりが載っている。それは オールドローズとイングリッシュローズの本だった。私の薔薇は スブニール ドゥ ラ マルメゾン という名のオールドローズだと知った。それからというもの 私の庭は これらの薔薇に埋め尽くされ 立錐の余地なしとなった。
ルイーズ オディエ
マダム ゾイットマン
レーヌ デ ヴィオレット
葉山から八ヶ岳へ 庭の植物は全部運んだ。初めての氷点下で越冬出来ない薔薇もあった。親しくしてくれた薔薇との辛い別れを幾度も味わい 長い試行錯誤の末 ようやく庭は再び立錐の余地の無い 私の庭になった。
苦楽を共にして 平穏を得た私と薔薇たち。
ウイリアム モーリス
ブラン ダブル デ クーベルト
ロサ ケンティフォリア バリエガタ
毎朝 おはよう と言ってくれる薔薇たち。夕暮れに また明日ねと言ってくれる薔薇たち。
アルバ セミ プレナ
ファンタン ラトゥール
エルフルト
庭に出ると 祖母が隣に居る事がある。「綺麗に咲いたね。お花は神様からの贈り物だよ。」
本当に こんな美しいものをつくれる自然を崇拝しなくてはならない。自然から学ばなくてはいけない。どんな事をしても未来永劫にわたってこの様に美しいものを人間は絶対に創れない。絵を描く者は自然に身を浸さなくてはならないと常に思う。
ベル ド クレシー
バリエガタ ボローニャ
ジェームズ ミッチェル
ブラック ボーイ
アンリ フーキエ
香りの中で花を摘んでいると 私の数倍の薔薇たちと共にに暮らしている親友が 隣に寄り添う。私達は遠く離れている上 年中野暮用に忙殺されて 電話で話すこともままならい。あの方ならこんな時どうなさるのか とよく思う。薔薇のことでも 人生の事でも 沢山のことを教わったかけがえのない友人。絵を描くことでしか救われない私の様な者にさえ 慈愛に満ちた眼差しを向け 支え続け 励ましくれるこの方が居なかったら私の人生はどんなに味気なく 彩りの無い寂しいものであったことか。数百に及ぶ薔薇たちを叱咤激励しながら見守る姿を想っていると いつの間にか一緒に並んで色々な話をしている。
ポンポン ブラン パルフェ
デュセス ド モンテベロー
ブランシュ フルール
マダム ルイ レベルク
ジュノー
アンリ マルタン
クレール マタン
神の存在を信じるかと聞かれたセザンヌが 神無くしてどうして絵が描けようと答える。画家は自分自身の神を持っている。作品は祈りの結集と言えよう。
飾り萼を持った薔薇は可愛い
ボッチェリの絵の中では空から降ってくる
初めての冬を越して殆どの薔薇は立っているのが精一杯で お花などとても咲かせら れませんと言っている中で シドニーは満開になった。絶望的になった私を明るい気持ちにしてくれた。本当にありがとうございました。
マリー デルマー
ゲシュビンツ シェーン ステ
アガサ インカルナータ
ブラッシュ ダマスク
マダム アルディ
この花が初めて咲いた時 その清らかな白と香りに魅了された。最もオールドローズらしい ボッチェリの薔薇。
オノリーヌ ド ブラバン
陽気な薔薇たち 他の薔薇のように一輪ずつ咲かず 一斉に咲いてニコニコと笑っている。引き際もあっさりとしている。「じゃ またね」と一斉に散ってしまう。とても可笑しくて笑ってしまう。
二十年来の長い付き合いだが いつも変わらぬあっさりぶりが何とも可愛い。
ベル ド クレシー
コンテス ド ムリネ
沢山の花を咲かせる訳ではないが 私はこの寡黙な薔薇を楽しみにしている。
花数の多いのも楽しいけれど 訥々と咲くのも良いものだ。じっくりと完璧な仕事をする画家のように。早い 多作は時に頂けない。
ある日 前本が言った。「葉山からここへ来て何年目?」六年目よ 「葉山にいた時は刀の上を歩いている様だったな。」 今だって変わりない様に思える。この先どうなるのか誰にも分からない。「絵を描いて来られたのはつくづく奇跡だと思う。」本当にその通りだ。薔薇の中に佇んでいると全てが奇跡で 幻だったように思える。
ジェイラーズ ホワイト モス
コンラッド フエルジナンド マイヤー
ふぇるじなんど なんと懐かしい。「はなのすきなうし」は私の一番好きな物語だ。祖母に毎日読んでもらって 毎回一喜一憂し 最後は二人で大喜びした。祖母は戦争で沢山の悲しい思いをした。ふぇるじなんどが闘牛場から元のまきばに返された時は「偉かったねぇ ふぇるじなんどは。よく戦わないでお花の匂いをかいでたね」と言った。「生存競争に負けることなんかちっとも恥ずかしいことじゃないよ。争う事の方がずっと恥ずかしいことなのよ。」祖母の切実な言葉は幼い私の心に深く刻み込まれた。私は はなのすきなうしでいようと思った。「戦っていいのは雑草だけだからね。」「雑草は見つけ次第取ること。」
マリー ルイーズ
パール ドリフト
マダム プランティエ
マダム ルグラ ド サンジェルマン
アルバ マキシマ
ソフィ ド バビエール
バエリガタ ボローニャ
オンブレ パルフェ
シャルル ド ミル
古い友達。この薔薇が咲くと懐かしい昔を思い出す。いつまでも元気でいて。
雨上がりの暮方に姿を現した最後の薔薇
薔薇たちは 二ヶ月近く 次々と花を咲かせた。共に過ごした忘れられない日々。また来年までみんな元気で充実した株に育って欲しい。
うさぎのボアとシックな花束
ボアは私の庭の守り神で 既に魂を持っている 考え深い眼差しで庭の全てを観ている。心からありがとうと言いたい。
祖母は庭仕事を終えるとお仏壇の花束を作った。今日は エレガントに出来た。と満足気な日や 今日のはシックだわ。と得意気な日もあった。ゴージャス モダン と次々に作る花束に 私はいつも目を奪われた。
何もかも忘れて庭仕事をするのは 教会や寺院 美術館といった様な場所に居るのと変わらない。清らかな 美しさに満たされた 安らかな空間。
アルベリック バルビエ がアーチを飾って 今年の薔薇は終わりを迎える。
また来年まで ご機嫌よう
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