日本画の杜 第十三章 「硝子の箱の薔薇」 2017・6

                                                                                                             

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                                                                                            「硝子の箱の薔薇」 6号S

 

 

 

 

 

  私達が八ヶ岳に越してきたのは六年前の六月だった。葉山を出る時は梅雨空から小雨が降っていた。小淵沢に着くと快晴で 明るい陽射しに向かって伸びあがるように咲いた真っ赤な罌粟が ようこそと満面の笑みで迎えてくれた。見渡す限りの鮮やかな赤に目を奪われた。今までに見たことのない赤。山が育んだ色彩だった。都会から離れた場所に住む事になった事を罌粟が教えてくれた。

 

 

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 罌粟は毎年同じように咲く。また今年も「ほらあなたが初めてここへきたのは六年前の六月 私達がお迎えしましたね。」と語りかけてくれる。

 

 薔薇が咲き始めるのも同じ頃 梅雨の雨を全身に浴び うなだれて咲く花びらを雨が散らす。八ヶ岳は良いところなのに 薔薇の時期と雨期が重なるのはかなわないと思った。毎年々々 雨の中で咲き 雫と共に泣くように散る花を見るのはやり切れない。

 

 ところが今年は違った。六月の雨はどこかへ行ってしまった。気温も高く これ以上望むことはない毎日が続いて 私は薔薇達と喜びを分かち合った。

 

 

 

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                                ロサ モエシー

 

 幼い頃 祖母の丹精した薔薇棚には淡いクリーム色と濃い暗褐色のつるバラが絡み合

い 空が見えない程花が咲いた。私達は香りの中で遊んだ。

薔薇は特別な花だ。そのエレガントな花容と色 甘い香りに幼い私は魅了され続けた。

 

 

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                            ブルボン クイーン

 

  葉山の家には小さな庭があった。 それまでは庭も時間も無かった私に その庭が「少しだけ何か植えてみては如何でしょうか」と語りかけてきた。そうしよう 私の庭を作ろう。園芸店に行って まずクチナシライラックを買ってこようと思った。沢山の植物を見ながらぶらぶらしていた私に「ご自由にお持ちください。」と書かれた薔薇苗が「私を連れていって」と話しかけた。世話をしている女の人が 名札がなくなってしまったので売れない と言った。見捨てられた薔薇は「私を連れて帰ってください」と再び言った。私は何も買わずに薔薇を連れて帰った。それが初めて自分で育てた薔薇だった。

 しばらくして花が咲いた。それは今迄見たことのない綺麗な 忘れられない香りの不思議な薔薇だった。一体これは何という薔薇なのか。図書館へ行くという前本に 薔薇の辞典を借りてきてと頼んだ。手渡されたのは それはそれは美しい本だった。

 

 

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                             シュネーコッペ

 

 本を開くとそこは夢の世界だった。私の知らない しかし私の気持ちを満たして余りある花ばかりが載っている。それは オールドローズイングリッシュローズの本だった。私の薔薇は スブニール ドゥ ラ マルメゾン という名のオールドローズだと知った。それからというもの 私の庭は これらの薔薇に埋め尽くされ 立錐の余地なしとなった。

 

 

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                             ルイーズ オディエ

 

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                            マダム ゾイットマン

 

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                          レーヌ デ ヴィオレット 

  葉山から八ヶ岳へ 庭の植物は全部運んだ。初めての氷点下で越冬出来ない薔薇もあった。親しくしてくれた薔薇との辛い別れを幾度も味わい 長い試行錯誤の末 ようやく庭は再び立錐の余地の無い 私の庭になった。

苦楽を共にして 平穏を得た私と薔薇たち。

 

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                       ウイリアム モーリス  

 

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                     ブラン ダブル デ クーベルト

 

 

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                         ロサ ケンティフォリア バリエガタ

 

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                            アルケミスト

 

 毎朝 おはよう と言ってくれる薔薇たち。夕暮れに また明日ねと言ってくれる薔薇たち。

 

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                         アルバ セミ プレナ

 

 

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                      ファンタン ラトゥール

 

 

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                   アッシュ ウェンズデー
 

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                                ジャンヌダルク

 

 

 

 

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                               エルフルト

 

 

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 庭に出ると 祖母が隣に居る事がある。「綺麗に咲いたね。お花は神様からの贈り物だよ。」

 本当に こんな美しいものをつくれる自然を崇拝しなくてはならない。自然から学ばなくてはいけない。どんな事をしても未来永劫にわたってこの様に美しいものを人間は絶対に創れない。絵を描く者は自然に身を浸さなくてはならないと常に思う。

 

 

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                        ベル ド クレシー 

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    バリエガタ ボローニャ

 

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                                   ジェームズ ミッチェル 

 

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                 ブラック ボーイ

 

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     アンリ フーキエ

 

 

 香りの中で花を摘んでいると 私の数倍の薔薇たちと共にに暮らしている親友が 隣に寄り添う。私達は遠く離れている上 年中野暮用に忙殺されて 電話で話すこともままならい。あの方ならこんな時どうなさるのか とよく思う。薔薇のことでも 人生の事でも 沢山のことを教わったかけがえのない友人。絵を描くことでしか救われない私の様な者にさえ 慈愛に満ちた眼差しを向け 支え続け 励ましくれるこの方が居なかったら私の人生はどんなに味気なく 彩りの無い寂しいものであったことか。数百に及ぶ薔薇たちを叱咤激励しながら見守る姿を想っていると いつの間にか一緒に並んで色々な話をしている。

 

 

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                ポンポン ブラン パルフェ

       

 

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      デュセス ド モンテベロー

 

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                            アルケミスト

 

 

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  ブランシュ フルール

 

 

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  マダム ルイ レベルク

 

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  ジュノー

 

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              アンリ マルタン

 

 

 

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                       クレール マタン

 

 

 

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 神の存在を信じるかと聞かれたセザンヌが 神無くしてどうして絵が描けようと答える。画家は自分自身の神を持っている。作品は祈りの結集と言えよう。

 

                   

 

 

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              飾り萼を持った薔薇は可愛い

            ボッチェリの絵の中では空から降ってくる

 

 

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                         シドニー

 初めての冬を越して殆どの薔薇は立っているのが精一杯で お花などとても咲かせら れませんと言っている中で シドニーは満開になった。絶望的になった私を明るい気持ちにしてくれた。本当にありがとうございました。

 

 

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                             マリー デルマー

 

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             ゲシュビンツ シェーン ステ

 

   

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                     アガサ インカルナータ

 

 

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                             ブラッシュ ダマスク

 

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         マダム アルディ

この花が初めて咲いた時 その清らかな白と香りに魅了された。最もオールドローズらしい ボッチェリの薔薇。

 

 

 

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                         オノリーヌ ド ブラバン

陽気な薔薇たち 他の薔薇のように一輪ずつ咲かず 一斉に咲いてニコニコと笑っている。引き際もあっさりとしている。「じゃ またね」と一斉に散ってしまう。とても可笑しくて笑ってしまう。

二十年来の長い付き合いだが いつも変わらぬあっさりぶりが何とも可愛い。

 

 

 

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                     ベル ド クレシー 

 

 

 

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     コンテス ド ムリネ

 

  沢山の花を咲かせる訳ではないが 私はこの寡黙な薔薇を楽しみにしている。

 花数の多いのも楽しいけれど 訥々と咲くのも良いものだ。じっくりと完璧な仕事をする画家のように。早い 多作は時に頂けない。 

 

 

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ある日 前本が言った。「葉山からここへ来て何年目?」六年目よ 「葉山にいた時は刀の上を歩いている様だったな。」 今だって変わりない様に思える。この先どうなるのか誰にも分からない。「絵を描いて来られたのはつくづく奇跡だと思う。」本当にその通りだ。薔薇の中に佇んでいると全てが奇跡で 幻だったように思える。

 

 

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                       ジェイラーズ ホワイト モス

 

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           コンラッド フエルジナンド マイヤー

 

  

 ふぇるじなんど なんと懐かしい。「はなのすきなうし」は私の一番好きな物語だ。祖母に毎日読んでもらって 毎回一喜一憂し 最後は二人で大喜びした。祖母は戦争で沢山の悲しい思いをした。ふぇるじなんどが闘牛場から元のまきばに返された時は「偉かったねぇ ふぇるじなんどは。よく戦わないでお花の匂いをかいでたね」と言った。「生存競争に負けることなんかちっとも恥ずかしいことじゃないよ。争う事の方がずっと恥ずかしいことなのよ。」祖母の切実な言葉は幼い私の心に深く刻み込まれた。私は はなのすきなうしでいようと思った。「戦っていいのは雑草だけだからね。」「雑草は見つけ次第取ること。」

 

 

 

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        マリー ルイーズ

 

 

 

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パール ドリフト

 

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   マダム プランティエ

 

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マダム ルグラ ド サンジェルマン

 

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アルバ マキシマ

 

 

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ソフィ ド バビエール

 

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  バエリガタ ボローニャ 

 

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オンブレ パルフェ

 

 

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シャルル ド ミル

     古い友達。この薔薇が咲くと懐かしい昔を思い出す。いつまでも元気でいて。

 

 

 

 

 

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          雨上がりの暮方に姿を現した最後の薔薇

 

 薔薇たちは 二ヶ月近く 次々と花を咲かせた。共に過ごした忘れられない日々。また来年までみんな元気で充実した株に育って欲しい。

 

 

 

 

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   うさぎのボアとシックな花束

 

  ボアは私の庭の守り神で 既に魂を持っている 考え深い眼差しで庭の全てを観ている。心からありがとうと言いたい。

 祖母は庭仕事を終えるとお仏壇の花束を作った。今日は エレガントに出来た。と満足気な日や 今日のはシックだわ。と得意気な日もあった。ゴージャス モダン と次々に作る花束に 私はいつも目を奪われた。

 

 

 

 

 

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 何もかも忘れて庭仕事をするのは 教会や寺院 美術館といった様な場所に居るのと変わらない。清らかな 美しさに満たされた 安らかな空間。

 

 アルベリック バルビエ がアーチを飾って 今年の薔薇は終わりを迎える。

 

 

 

 

 

 

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                           また来年まで ご機嫌よう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                🌹

 
 
 

 

日本画の杜 第十二章 「牡丹」 2017・5

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 桜の四月 牡丹の五月 毎年毎年前本は桜を描き 牡丹を描く。何十年にもわたって描いてきた夥しい数のスケッチと 牡丹の作品は沢山あるのにどれも気に入らない。お目に掛けられるものは無いと申すので 今回は作品ではなく今年写生に行った牡丹園で前本が写した写真の牡丹をご紹介することになった。

 

 

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 どんな花にもそれぞれの美しさはあるが 梅 桜 牡丹には特殊な美が在る。東洋の香気と言ったらよいだろうか 特に桜と牡丹には妖気を感じる。日本画の絵の具が一番生かせる花でもある。

 

 五月が来ると加山先生の画室は牡丹の鉢植えに取り囲まれる。 重く冷たい香りだけが漂う 音の無い空間はこの世のあらゆるものごとから切り離されていた。深い静寂の中で 先生は長く削りだした 鋭い芯の鉛筆で黙々と重ねの多い花びらを写していらした。

 

 牡丹の話をしていると その香気迄余すところなく描いた 牡丹の名作を見たくなる。明治以降の日本画家で牡丹の名作と言えるものを残しているのはこれらの作家だけである。 御舟 靫彦 古径 土牛 丘人。日本画を理解するには 名作だけを繰り返し見ることしかない。

 

 どこが良いかとか この絵は何を描こうとしているのかと言ったような 理屈で理解しようとせず 唯々見ることが大切なのだ。構図がどうとか色がどうとかなどと頭で考えることはもっての外である。繰り返し繰り返し見ていればよい。名作だけをである。ある日たまたま駄作と言ったものに出会った時 とんだお目汚しだわ と思うはずである。

 

 

 

 

 

速水御舟 「墨牡丹」

 

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     ―生命の花ー                   速水御舟

 私は、かつて宗教的概念からヒントを得て、その神秘感を絵画に表現すべく随分モチーヴを尋ね廻ってみたことがあった。夜の寂寞(しゃくまく)たる大地の底から秘かに曙の微動は巡り、み空には明星の一群が美しく煌めいていた。私は夜明け前の不忍池畔にただ一人佇んで清浄な蓮の開花の音も聴いたが、しかし自分が求めたような、自然の秘奥にある無限の深さを持った美は把握できなかった。

 それから数年後に一つの花の写生を克明にしてみて、初めてかかる微細なものにさえ

深い美が蔵されていることを発見して秘かに感嘆した。げに絵画こそは、概念から出ずるものにあらずして、認識の深奥から情念が燃え上がって初めて造り得らるる永遠に美しき生命の花である。                    昭和八年 十月

 

 

 昔の文章であるうえ 絵描き独特の言い回しである。加山先生も前本もこの種の文章を書く。慣れないと この持って回った文章には参ってしまう。もっとさらっと書けないものかと思った。しかし よくよく読んでいるうちにこの絵描きらしい文章に物凄いリアリティーを感じるようになるものなのだ。一片の嘘もはったりもてらいもない 何とか思っていることを伝えたい一心で書いた文章だろう。今や私は絵描きはこうでなくてはならないと思うようになった。分かり易いものには飽きてしまった。口当たりの良い柔らかいものばかり好んでいると人間は退化する。

 

 

 

 

 

安田靫彦 「洛陽花」

 

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 「写実の勉強が大事でしょうね。写実と言ったって、ただ写真のようにやるってことじゃないでしょう。そのなかからいい形や線や色を見いだすとか、いろんなことが言えましょうけども。

 自然において造物主が非常に美しいものを造ってくれるので、そのなかからよいものを教えて貰うわけですが、史上においても優れた古画からもよい造形性を教えられます」

 

 

 これは靫彦の言葉である。絵を描くものにとって これ以上の教えは無い。

靫彦は生涯にわたって病弱で外の風にあたることが出来ず 画室の中だけで描き続けた作家である。歴史画が多いのはそのせいである。庭の花も縁側から硝子戸越しに写生していたようである。亡くなったのは九十四才であるから 一病息災とはこのことではないかと思う。「洛陽花」は靫彦の面目躍如たる端正このうえない美しい作品だ。靫彦以外の誰もこの様な絵を描く事は出来ないであろう。

 

 

 

 

 

小林古径 「牡丹」

 

 

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 この作品は古径の絶筆である。全てが古径そのものであり 完成した作品ではないが胸に迫る名作だ。牡丹の散り際をご存知だろうか。ある気配が一片の花びら落とすや否や残り全ての花びらが 一斉にしかも瞬時に散り落ちる。この絵はその瞬間を描いたのだろうと私は思っている。その重たげな 今散ろうとする花を 画面上で支えているのは上に向かってすっと伸ばした細い茎 そしておなじ方向に伸びた新葉である。まだ下塗りの段階であろうが この時からこの若葉を一枚だけ緑青で塗っている。花の終わりと新しい葉。

 古径は自らの死を予感していたのだろうか。

 

 

 

 

 

奥村土牛 「墨牡丹」

 

 

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 「島根県の松江に大根島というところがありますが、知人が居りまして、そこが牡丹の名所なので毎年牡丹の頃、飛行機で4時間で着くものですから、切ったばかりの牡丹を送ってくれます。墨牡丹というのがあると話では聞いていまして、一度見たいと思っていましたが、今度初めて見ることができ画心をそそられました。」

 

 

 土牛らしい口調そのままの微笑ましい話である。しかし すごい作品だと見るたびに恐れ入る。江戸っ子らしい粋な牡丹であるが こういったさっぱりとした作品は名人にしか描けない。分厚い修練の成せる技と言えよう。土牛はセザンヌを敬愛し セザンヌの物ならすべて集めていたという。昨日と同じことをしていては明日という日は訪れないと繰り返し述べている。

 加山先生がいつも言っていらしたが 「ああ こんな絵だったら自分にも描けると思わせる作品こそが一番描けないものだ 一流の絵っていうのはそういうものだ」と。この墨牡丹などはその最たるものであろう。

 

 

 

 

山本丘人 「星空の牡丹」

 

 

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 「黒い空間に純白の花をと意図したが、偶々牡丹の花を知人にいただき、これを素描

 して画く。空間はそのまま空間であってはと、星空の下の幻花とした。」

 

 

  なるほどね と思う。見るたびに丘人はすごいと思う。先の新古典派と呼ばれる作家とは一線を画している。しかし唯新しいだけではない 確固たる真実味があり日本画を熟知した上で新鮮な日本画を創造した作家である。

 

 

 

 

 

 

  初夏の白い花達

 

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                 大手鞠         

 

五月になって 向こうの森からカッコウの声が聞こえてここには夏がくる。初夏の花は

白ばかりだ。今年は雨が少なく気温の高い日が多く 森のみどりはひときわ鮮やかだ。

ソーダ水のみどり。

 

 

 

 

 

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                    ティアレア

 

 

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                    白山吹

 

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                鳴子百合

 

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                                            アロニア

 

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                白つつじ

 

 

 

 

 

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                 クレマチス

 

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               名前を知らない花

 

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          小さな白い花の咲く雑草と綿毛になったタンポポ

 

 

 

 白い花の咲く頃 風に吹かれて庭のベンチに座っていると「さあ 神様を呼びましょ」と言って熊手とちりとりを幼い私に手渡した祖母の声が聞こえてくる。

 私は祖母に育てられた。祖母は朗らかでこの上なくお洒落で絵と字の上手な人だった

「お花がないと生きていけない」のでいつも庭にいた。二人で庭の掃除をした。

「枯れた葉っぱを取っていつも綺麗にしてやって きれいだね きれいだねって褒めてやっていろんなお話をしてお友達になれば 綺麗なお花を沢山咲かせてくれるよ」

「まずはお庭のお掃除をして神様に来てもらわないと」

「お掃除をすると小さな神様が沢山飛んで来なさって 葉っぱの先やお花の上に乗っかってくれるんだよ」祖母の言う通り 綺麗になった庭のあちこちに小さな神様が降りていらした。

 

 

  

 

 

 

  

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 そろそろバラの季節になる。今年初めて咲いたのは女神の名を持つ暖かい白に杏いろの溶け込んだこの花だった。

    

 

 

 

 

 

                 🌹

日本画の杜 第十一章 「山高神代桜」 2017・4

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                            素描 「山高神代桜

 

 

 三月の終わりから四月の初めにかけて雪が降った。もう降らないだろうと思っていたのでうんざりした。この辺の人は誰でも もう雪は沢山だと思っている。神代桜の開花予想も外れた。

 春の淡雪はあっけなく溶けて暖かくなり 桜も少しずつ咲き始めたようだ。

山高神代桜が満開になる前に幹のスケッチを完成させたいと 前本は何回か通った。

 

 

 

 

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 幹の素描を無事完成させて 満開の花を描くために訪れたのは4月13日。3時半に起きて実相寺へ向かった。早朝から見物客で賑わう境内は 水仙と桜と山々に囲まれこの世とは思えぬ空気に包まれていた。

 

 

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そして今年の山高神代桜のスケッチは次の一枚で終了した。枝の一部に花を書き込んだ

 

 

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                 満開の神代桜

 

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 前本の描いた角度から見たのでは無いが 来年はこちらから描いてみたいと思ったそうだ。毎年通って 何処まで描くことができるのか。作品になるのはいつのことなのか

 

 

      山高神代桜にも前本にも長生きしてもらいたいと願っている。

      雪の残る甲斐駒に見送られて帰ってきた。

 

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               ☁

 

 

 

 さて四月も半ばになると夏のような日があったりして私の庭も春の装いとなった。 

             梅と桜が一緒に咲く。

 

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        葉山から連れてきた大好きな「思いのまま」

 

 

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  この山に自生する「富士桜」 散歩道に倒れていたのを助け起こして庭に植えた

 

 

   

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             美味しいタラの芽も沢山ある

 

     

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                「エンレイ草」

 

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            山の至る所に「山吹」が咲く

 

 

              「花海堂」の蕾は夕暮れが綺麗だ

  

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        枯葉の間からいつの間にか伸びてきた黄色の花達が地面を覆い尽くす

 

 

 これらの花々が一斉に咲き ついこの間まで降っていた雪のことなどすっかり忘れさせてくれる。私は心から花が好きだ。花は 競争をしない。人の真似もしない。完全に自立しているではないか。

 

 自立とは誰とも競争せず 比べず 真似をせず自分の人生を無心に生きていくことだ。私はそういう生き方が大好きだ。

 

 葉山から連れて来たライラックはもう二十年にもなるのに一度も花を咲かせたことがない。どうしたらいいこうしたらいいと言う人もいるが 私は待っているだけで良い。

ライラックにはライラックの事情がある。

 

 隣の木の花みたいに沢山の花を咲かせたいとか あの花みたいなのが咲かせたいと羨む事もなく 懸命に生きてゆこうとするだけの花達は 一番気の合う友達なのだ。

 

 寒さに耐える事が出来ずに枯れてしまった花達を供養し 元気のない枝を励まして庭を歩き回っている時が私の心からの実感だ。

 

 

 

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                   🌷 

日本画の杜 第十章 「山桜」 2017・3

 

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                              「山桜」 6号F

 

 

 

 

 

 暑さ寒さも彼岸までとは言え この辺りでは梅も桜も蕾のままだ。 一昨日  3月21日は雪が降った。

 朝カーテンをあけると庭は真っ白な冬景色に逆戻りしていた。四月に入れば日中はストーブの要らない日も増えるが 天気予報はゴールデンウィークになっても「遅霜に注意して下さい」 「農作物の管理には充分注意して下さい」と繰り返す。

流石に春の淡雪は夕方には溶けてしまった。

 

 三寒四温 花冷え 花曇り こんな春らしい言葉が使えるのはまだ先のことだ。そういえば春のお彼岸だったことすら忘れていた。町方に住んでいた頃は お花を携えた家族連れがお墓参りにゆくのにすれ違った。ああ今日はお彼岸のお中日かと思ったりした。

何だか懐かしい。ここではその様な気配すらない。

 

 町方という言葉を ここへ来たての頃初めて聞いてああ私は知らない土地に来たのだと改めて思った。「町方の人には珍しいだろう」「町方の人には無理だろう」「町方では車が混んで大変だろう」

最近はは誰からも言われなくなった。この土地に馴染んで来たのかも知れないが 今でも私は町方の人でも 村方の人でもないような気がする。生家にいた時も その後様々なところを転々とした時も 常に自分が異邦人のような気がした。どこに行っても仮の住まいとしか思えない。何故なのか 考えても分からない。前本も同じ様に感じてきたと言う。私達二人が共感できる感覚のひとつである。この世に安住の地は無いよう気がしてきた。

 

 

 

 

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  三月に入って少し暖くなり 戸外でスケッチが出来る様になると前本はライフワークの 「実相寺」の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)を描きに行く。

花が咲き出すと人が多くなるので 誰もいないうちに幹を写生しておくのだ。花が咲いたら 再び花を描き足しに行く。

 

 甲斐駒ケ岳が見える「實相寺」というお寺は 私達の住まいから車で40分だ。ここへ 何回か通って 朝から暗くなるまで描く。

 

 山高神代桜は日本最古の桜と言われている。樹齢2000年の大木である。

 

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 田園と南アルプスの山々に囲まれた實相寺は 小ざっぱりした好もしいお寺だ。

清らかな風が吹き抜ける。

 

 

 境内には若木から老木まで 様々な種類の桜が沢山ある。そして これが弥生時代から生きてきた山高神代桜である。

 

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 幾多の風雪に耐えた老木の威厳に圧倒される。仏像を見たような気がした。花の数も少なく すべすべとした若木の綺麗さは無い。風格と神々しさを感じる事無く  恐ろしいものを見たように立ち去る人も少くない。

 

 前本は樹齢を重ねたこの老木を自分の人生に重ね合わせている。来年古希を迎える前本は 若い時には思い至らなかった 命の不思議を思っている。2000年生きてきた老樹に偶然にも出会えたことに 深く感じ入ったのだ。老木は前本の精神の奥深くに様々な感情を呼び起こした。それを絵の中に込められれば良いと思って描いているのであろう。見た目の綺麗さを描きたいわけではない。美というものはもっと幅と奥行きのあるものである。

精神の深いところに呼応してくるもの 言葉には出来ない霊感 神秘といったような何かを描きたいのだろう。 

 

 

 

 

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 三月の終わりに雪が降った。気温が高くなってから降る雪は湿っている。木々

に着雪し 真っ白な花が咲いた。この寒さでは桜の開花は少し先になりそうだ。

 

 美は見る者の眼の中にある と言われる。身の丈以上の美は見ることができないとも

言う。私が美を意識したのは美大に入ってすぐの頃だ。その年の日本画科の一年生は十五名  女子はその内五名だった。女の同級生達と教室でお喋りしながら絵の具を溶いているところに加山先生が一人で入っていらした。立派な帽子をかぶり 綺麗な靴の紳士であった。全員緊張して黙ったまま 何か言わなきゃと思っていた。そんな子供達に先生は 「僕は高校の廊下のにおいがする新入生は苦手でね。今度の批評会には綺麗にしてらっしゃい。美人になりなさい。美というものが解からなくては美人にはなれませんからね。」とおっしゃってすぐに出て行かれた。私は美とは何か 考える様になった。

 

 夏休みが終わって秋になった。 夏休みの間に制作した作品の批評会の日 中庭のベンチに座ってぼんやりしていると「ずいぶん美人になったじゃん」と言う声に驚いて振り向くと いつもの帽子をかぶった加山先生が にこにこ顔で立っていらした。「綺麗な服ね」「この服 私が作ったんです」「この服みたいな絵を描いてごらん」 

18歳の私に朧気な輪郭の美が近づいた。

 

 美の深さ 奥行き 美の幅 これらを追及することが絵を描くものの使命ではないかと思う。「美」は いわゆるうわべの綺麗さや 可愛さを超えたところに存在する。

生きている間にどれだけの美を見いだすことができるのか。「絵を描くこと」はその果てしない道を歩くことだ。 

 

 

 

 

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 最後に 山本丘人の「高麗山の春」をご覧ください。山本丘人は1900年生まれの日本画家であるが 玄人好みと言われ きちんと知っている人は多くない。しかしこの大家の残した夥しい作品はどれも相当な水準である。この作品は 何の変哲もない大磯の風景だが 私は春の山がみんなこの絵に見えてくる。これ程のリアリティを表現出来る作家は少ない。そして丘人のすごい所は 新しい日本画を創り出した点であろう。新古典派と呼ばれる古径 靫彦  土牛 とは違った新しいタイプの日本画を創造して確立した。丘人以降 これを超える新しい画風を見たことがない。

 

 

 

 

 

 

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やがて残雪が消え 桜や梅が一斉に咲き始め 空も木々も山々も 薄桃色に包まれる日が来る。

 

 

 

 

 

 

 

                  🌸

日本画の杜 第九章 「早春の窓辺」 2017・2

   第九章 「早春の窓辺」

  

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                                           「早春の窓辺」 8F

 

 

 

 

 

 二月は雪の降る日が多い。北海道育ちの前本は雪の上でも アイスバーンでも平気で歩く。私はこのひと月程は 玄関の前の道へ出るのが精一杯だ。 勿論車の運転などもってのほかである。

 庭にご飯を食べにくる鹿達をながめたり つららの成長を楽しみに過ごしていた。

 

 

 

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 雪に閉じ込められてどこにもゆけないのは悪くない。静かで綺麗だ。ストーブの燃える音 湯たんぽで温めた寝床 なんという安息。そして何より嬉しい事に ゆっくりと画集を見る落ち着いた時間がある。幼い頃 応接間に絵本を持って忍び込み 一人で表紙を開く時とそっくり同じだ。これから私の前にこれ以上無いほど美しい世界が展開するのだ。美術館へ足を踏み入れる時 教会の荘厳な世界へ入ってゆくのと同じ気持ちになる。画集を開く時もそれに似た神聖な救いを感じる。何もかも忘れる。

 

 素晴らしい音楽 素晴らしい絵画 芸術の力の偉大さ。古今東西の優れた芸術家の作品 それは作家の願いの結集である。願う事で芸術は生まれる。美を創りたいとただそれだけを願った作家の純粋な思いの結集。敬愛してやまない作家達。作品。

 

 

 

 

速水御舟

 

 

 

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小林古径

 

 

 

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安田靫彦

 

 

 

 

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奥村土牛

 

 

 

 

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山本丘人

 

 

 

 

 

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中川一政

 

 

 

 

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 早春の花 椿の名作 重く 深く 素晴らしく 美しく 普遍の美が確かに存在している嬉しさ 言葉を失い 息を呑むばかりである。

 

 

 

 

 

 

 そして最後に恩師 加山又造の椿 これらは 本画ではない 墨の使い方を

教えて下さる為にお描き下さった

 

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    紅い椿と白い椿

    葉と枝の質感の違いを捉える事 椿の葉の特徴 可愛い芽の感じ など

  

 

  

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     白玉椿の侘びた趣きを捉えること これから少しずつ開いてゆく

     花びらの気配を描くこと 柔らかい乳白色の花を 墨で表現するには

     どうしたらいいのか まず全てを よくよく見ること どう見たかを

     正直に描くこと どう描きたいのか 願うこと

     その願いを叶える為に 力を尽くしなさい

 

 

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       加山先生の芸大在学中 教授は 前田青邨 小林古径 安田靫彦

      助教授が 奥村土牛 山本丘人 であった。

       これは バッハ ベートーヴェン モーツァルトが教授で 

      シューベルト ショパン助教授というような 

      もしくは セザンヌ マティス ゴッホが教授で モディリアーニ 

      クレー が助教授 とにかく物凄い事である。

      

 

 

 

 

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 春は名のみというけれど 空はずいぶん春めいて やはらかな雲に向かった枝先は

ほんのりと紅が差してきた。

 

 

 

 

 

 

 

          🌼

日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」 2017.1

 

  第八章 「ONE NOTE美術クラブ」  2017・1・25

 

    

 f:id:nihonganomori:20170125153440j:plain  葉山に住んでいた事がある。

 海沿いのその町は暖かくて いつも明るかった。十年以上前の事を思い出す。 ある日その人を見かけた。重たそうな黒髪が背中で揺れて 弾むような 不思議なリズムで歩いていた。すれ違う時の笑顔が格別だった。この人は突き抜けていると思った。真っ向から人生に挑んで 何かから吹っ切れた笑い顔だ。どちらからともなく話しかけ 私達は友達になった。玲子さんはジャズピアニストだった。

 絵が好きで屛風が欲しいというのでじゃあご自分でお描きになったらと言った。私達はお互いの家を行き来して パンを焼いたり 洋服を縫ったり 絵を描いたりして過ごした。柔らかな陽だまりで 色々な話をした。酔芙蓉の大きな葉が海風にそよぎ 玲子さんは相変わらずよく笑った。そのうちに 私が山梨に移ることになり 玲子さんも葉山を離れることになった。

 

  

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しばらく経って 玲子さんとご主人は新宿でジャズの生演奏とお料理のお店を始めた。

常に良質なものを求め 芸術をこよなく愛する玲子さんとご主人が 長年の理想を実現なさった事は私にとっても嬉しい出来事だった。

 

 

 

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      ONE NOTE美術クラブ

                           講師:前本利彦 (日本画家) 

      

 

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                        色鉛筆画 「牡丹」   前本利彦     

 

 

 

               

 

  良質なジャズの生演奏とお料理を提供したいと始められた「 ONE NOTE」色鉛筆画の教室を開催しています。

  音楽だけでなく文化的な交流のできるスペースにしたいと快く使わせて下さった

「ONE NOTE」のご期待に添えるよう 午後のひと時を放課後のクラブのように

気軽に集まって楽しく絵を描く教室にしたいと思っています。

 

  色鉛筆は水を使うことなく軽便で 重ねて塗ることで微妙なニュアンスを出す事の出来る魅力ある画材です。日本画の風合に似ているので 素描の多くを色鉛筆で着彩します。

 描いてみたい花や人形などの静物を 日本画の素描方法に基づいてスケッチし 色鉛筆で着彩して仕上げます。お好きなモチーフをお好きな大きさにお描きになったら 額縁に入れて飾ったり 贈り物になさったりと楽しめます。 

  新宿世界堂から歩いて三分の便利な場所です。クラブの後 ジャズの演奏と美味しいお料理はいかがでしょうか。月に一度 ONE NOTE でゆったりとお過ごし頂ければと思っております。

 

 

 

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                           色鉛筆画 「バラ」 前本利彦             

 

   🎵 月一回   概ね月末の 水曜日

     ♫  時間: 1:00p.m.~4:00p.m.

             ♬ 月謝:3回分 15,000円

    ♪ 必要な用具: スケッチブック・ねりゴム・鉛筆・色鉛筆                    

             詳細はご入会時にご説明いたします 

 

   

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  お問合せ お申込み                  E-mail:maemoto710@outlook.jp

 

 

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                         色鉛筆画 「百合と人形」 前本利彦 

                       」

 

 

 

 

                          

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                           色鉛筆画 「バラ」前本利彦 

 

 

 

     どうぞお気軽にお問い合わせください。

 

 

 

 

         ♬   

 

日本画の杜 第七章 「玉蔵院の庭」 2017・1

第七章 「玉蔵院の庭」

 

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                               80号変形 1985年制作

 

 

 

 新しい年になった。「絵描きに盆暮正月なし」と言われる。知っている限り、それは

本当だ。よく知っている絵描きは加山先生と前本の二人だが、盆暮正月は確かにない。

家にいれば画室以外に居場所はないし、画室にはやらなければならない事はいくらでもある。絵を描く以外にこれといった趣味もなく、活動的なわけでもないのだからいつでも画室で何かしている。

 葉山に住んでいた時は、元日は二人で初詣に行った。前本が進んで行くほど好もしいお寺がすぐ近くにあったのだ。八ヶ岳には初詣に行きたい所が見つからず、今年の元日も朝食を済ますと画室の掃除をしていつもの通り絵を描いていた。

 

 

 

 

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 葉山の家から海へ出る道の中ほどに、「玉蔵院」と言うお寺があった。

ひっそりと小ざっぱりしたお寺である。秋風が立って静かになった海を見てしばらく過ごした帰り道、玉蔵院に寄るのが楽しみだった。いつでも誰も居なかった。手入れの行き届いた境内に六体のお地蔵様が並んだ質素な小屋がある。

 お正月には、お供え餅や千両が飾られ、紅色のケープを着て美しかった。

 

 その玉蔵院に、見事な梅の古木があって、前本はその静謐な趣きに惹かれしばらく通ってスケッチした。それを作品にして 「玉蔵院の庭」として発表した。この作品には次のようなコメントが添えられている。

 

 

 

               『玉蔵院の庭』 

 家から歩いて十分程のところに、玉蔵院にという寺がある。

 その庭に朽ちかけた老梅がある。簡素な庭に梅のまわりだけ静謐な色香が漂う。

          老いてなお艶と呼ぶべきものありや

          花ははじめもおわりもよろし

 新聞で読んだのだが誰のうたか忘れてしまった。うただけを記憶している。

                           前本利彦

 

 

 

 

 

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 今年のお正月は暖かく穏やかで、雪もなく雪かきの苦労が無かった。その後は次第に冬らしくなり、成人の日あたりから朝起きるとマイナス八度という日もあり、庭は雪に覆われている。そんな庭にも梅の蕾が元気にふくらんで、ツヤツヤした枝に沢山並んで何とも言えず可愛らしい。花は寒さに合わないと美しく咲かないと言う。

人生も同じかも知れない。

 

 

 

 さて、新年を迎え嬉しい事があった。原画の制作から一年近くかかって黒猫の版画二種類が完成した。おめでたい金銀の黒猫が幸運を運んで来ますよう。

 

 

 

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                                 BLACK CAT / SILVER

                     

                                 Lithograph Maemoto Toshihiko    2017.1.  Edition

 

                                                       BLACK CAT/GOLD           

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                                       版画のたのしみ

                             前本利彦

 

 版画は、複数の同じ図柄を作ることが出来るのが特徴です。

西洋では、銅版画、石版画(リトグラフ)が主ですが銅版画の中でも、エッチング、ドライポイント、メゾチント、アクアチント、などいろいろな技法があります。日本では浮世絵で知られるように、木版画が主流でした。これらは印刷の原点です。現在は印刷技術が発達し、写真の技術と相まって、情報伝達社会を牽引する一つになりました。そのような進んだ?社会にあって、なぜ昔ながらの版画が現在も芸術という形で残っているのか。それは、端的に言って美しいからです。人々の心の中に深く浸透するものがあるからです。

 版画を作るには、描き手も手間がかかり、技術も必要ですが、刷り師(刷りを専門に扱う人)も手間がかかり、高度な技術が必要です。

 現在はデジタルプリントに代表されるように、機械作業がほとんどです。それはそれなりのものが出来ますが、人間は不思議なもので、手作業でなければ出来ないものを求める感性があります。もともと人間の持つ美意識は、自然によって育まれて来たものです。手作業が、より自然に近い感性を生むと言う事でしょうか。

 今度、私は版画を二種類作りました。私は日本画が専門なので、日本画で原画を描き、それを版画工房に頼んで版画にしてもらう方法です。Kawalabo!と言う版画工房にお願いしていますが、版画は、一人で作る絵画作品と違い、刷り師さんと共同作業です。原画に”刷る”と言う作業を加える事で、原画とは別の作品が生まれます。しかも何枚も出来ます。

 私は刷り師さんを信頼しているので、刷る前に概略は話したりしますが、あまり口出しはしません。

版画として出来た作品は、独立した美術作品と考えています。私の‶想い”に刷り師さんの”想い”が加わり、生まれ変わった作品を見るのは楽しいことです。原画を描く時に煩悶した混沌を、版画にする事で、刷り師さんの個性が加わり、客観視され、整理され、また新たにして提示されたような気持ちになります。これは、なかなか愉快です。

 そんな事で版画を作っていますが、出来た作品っが皆さんの気持ちに触れる事を願っています。

 今年のKawalabo!の年賀状に、Keep Calm and Carry on Printing!と刷られていました。

 共同作業はこれからもまだ続きます。

                              2017・1・8

 

 

 

 

 

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                                               色鉛筆画・「牡丹」

 

 

 

 近日中に、色鉛筆画の教室を開設いたします。日本画の素描には、色鉛筆で着彩する事が多いのです。水も必要なく、軽便なうえ、色を重ねることによって微妙なニュアンスを出すことも可能です。場所は ジャズの生演奏とお料理を楽しめる「ONE NOTE」です。新宿の世界堂から歩いて三分の素晴らしいところです。どうぞお楽しみに!

 

 

 

 

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                   色鉛筆画・「バラ」

                                                                      

 

 

 

 

       🎵 ONE NOTE 美術クラブ 🎵

 

   ♫ 色鉛筆画の教室 🎵 ONEN  NOTE美術クラブ  🎵についてのお知らせは

      日本画の杜 第八章 「ONE NOTE美術クラブ」でご覧ください。

 

 

 

 

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                                                               色鉛筆画 「百合と人形」

 

 

 

 

 

 

 

                  🌷