第二十四章 「沙羅」 2018・7

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                                  円窓「沙羅」

 

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

 

沙羅 夏椿とも言う。何故か心惹かれるこの花が咲いて 夏が来た事を知る。小さな花で あっさりと散ってしまう。平家物語の冒頭の一節に相応しい趣き深い 静かな木の花である。

 

夏 一番好きな季節 大好きな夏ではあるが 終戦記念日が近づくと 祖母の戦争の話が甦り 空の青さにつれて胸の奥が重くなる。

 

私の幼い頃 日本は至る所に戦争の影を残していた。西荻窪の駅前で輪タクを待つ祖母と私のすぐ横で 傷痍軍人と呼ばれた男の人が鍵型の義手でアコーディオンを弾いていた。へこんだブリキのお椀には少しのお金が入っていて 祖母の渡すお金をその中に置いてくる事があった。どの方も 何度も何度も深々と頭を下げる その哀切を極めた光景が 夏空が深まるにつれありありと甦る。ベートーヴェンピアノソナタ 第3番。学徒として出陣し もぬけの殻となって戦地から戻った叔父が 毎日毎日聴いていたこの曲が 夏空を見上げると降ってくる。泣くことも笑うこともしない叔父の横顔。人が諦め切った時の声はこんなものなのか 淡々と戦争の話をする祖母の声が幼い私をさいなみ 目を閉じると現れる数々の情景に眠れぬ夜を過ごした。今でも それを言葉に出来ない。自らの言葉が そのやり切れない状況を再び甦らせる事に耐えられない。夏雲の合間から祖母の声が聞こえる。夏は死者の戻る季節である。

 

 

 

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アオスジアゲハがやって来た。私はようこそと言って歓迎する。今年はとても暑い。 庭の寒暖計が40℃になった。こんな事は勿論初めてである。流石に暑かったが 暑い夏は嫌いではない。私はエアコンが苦手である。葉山の夏もエアコンは要らなかったし 車のエアコンは未だに壊れたままで 窓を開けた車で夏の中を走りすぎるのは愉快だ。ここではエアコンなど絶対に要らない。天国だ!どんなに暑い日も朝晩は涼しい。

 

 

 

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猛暑 台風 そしてまた猛暑 今年の7月は随分長かった。これからが本当の夏だというのに。

        真紅の薔薇が咲いた。遠くから花火が聞こえる。

 

 

 

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               山百合の茎の細さ 

 

 

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              深山オダマキの清楚さ

 

いずれも都会から来た人には理解できない美しさの様だ。山百合が花屋の園芸種に比べて茎が細くて貧相だと言い オダマキは色が薄くてつまらない雑草だと言う。赤いバラばかりを誉める。一体どうなっているのだろうか。何時から日本人はこんなに派手なものばかりを追い求めるようになったのか。

日本人独特の美意識に 抑制の美がある。静を重んじ 動を表に出さない。大きな動きを抑制することで深さを表現して来た。表面の派手さを嫌い 内面の重厚さを大切にして来た。古典芸能と言われる文化にはその片鱗が僅かではあるが残っている。日本画には そう言った美意識が残っているとは言い難い。

 

 

 

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日本は戦争に負けた。8月15日は終戦記念日ではなく 敗戦の日である。現在の日本はこの敗戦をきっかけに作られてきた国ではないだろうか。それまでの幾多の戦争を 神風が吹いて勝利して来たと勘違いしたニッポンは 冷静に考えれば勝てるはずの無い大戦に 当然の事ながら負けた。そして敗戦後遺症をいまだに引きずっている国なのだ。

 

戦争に負けたのは 精神の重厚さだとか 格調高い崇光な教えに盲目的に従い 禁欲的に生きてきた事にあると猛省し 戦後はアメリカのの真似をして自由に生きなくてはならないと考えるようになった。極端すぎるのだ。戦争に負けたのは 莫迦気たおごりがあったからで 問題は極東の島国が世間知らずであったという事なのだ。それまで培ってきた美意識や文化の根幹まで捨て去ることは無かったのだ。もっと落ち着いて考えられるほど余裕もなく 敗戦の衝撃でパニックを起こしたとしか思えない。世間知らずの幼稚な国。

 

 

 

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私は東京生まれの東京育ちであり 戦後の復興期のTOKYOをいやというほど実感した。若気の至りで時代思潮に飲み込まれ 日本橋が下に隠された首都高の渋滞の中をワーゲンで走り回り アメリカンファーマシィや 出来立てのソニービルに入り浸っていた。加山先生の仕事をしていた頃がバブルの頂点で これ以上は無いほどの狂騒を目の当たりにした。日本が経済にしか目を向けなくなって 日本画が投機の対象となった時代である。戦争もクレイジーだが 戦後もクレイジーそのものであった。 加山先生が 「アメリカに追いつけ 追い越せが僕らの合言葉だった」と言ってらした。パワー全開で日本人は突っ走った。経済大国と呼ばれるようになった。良く頑張りましたね といったところだろうか。吉行淳之介が晩年 「短小軽薄」は言い過ぎだった こんな風になるなんて・・と自らの浅慮を認め 苦笑交じりに語っていた。確かに 無責任・短・小・軽・薄 ・が世の中を席巻した。重くて厚みのあるもの 深くて理解困難なもの 硬くて咀嚼するのに手間ひまかかる文化は衰退した。お軽くて 楽しくて 早い 安い 便利な国ニッポン。

 

 

 

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 真面目に藝術の話などしようものなら まあそう固い事言わなくてもと煙たがられる時代である。全て合理的にわりきってしまうのがカッコイイんですとテレビが言う。藝術も 文化も 文学も詩もあったものではない。私は 莫迦莫迦しくなったのだ。戦前も 戦後も 同様に常道を逸している。戦前は行き過ぎた精神主義 戦後は根幹の揺らいだ上に築いた表面的な自由。夥しい数のスイーツとゴミかと見まがうばかりの大量の衣料品 異国の海を帯になって漂流する日本のプラスチックごみ スマホにしがみつくだけの人生。何という虚しさであろうか。欲望が存在するだけの空虚な都市TOKYO。私は東京を離れ残り少ない人生を みんなの嫌いな格調高い 重厚な ノーブルで深い 日本画の道を歩んで行く。

 

 

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                 古径の阿弥陀堂

 

 

「私は 広く行かうという気が だんだん無くなって行って 狭くてもいいから深く行  きたいと思うようになっているのである」 48歳の古径の言葉である。 

 

 

 

 

          

 

                  🎇

 

 

第二十三章 「薔薇」 2018・6

 

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                                        「薔薇」 4号

 

 

 

 

 

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沢山の蕾が見え始めた。私の薔薇は一年に一度しか咲かない。四季咲きはここでは育たない。年に三度程咲くイングリッシュローズも一度しか咲かない。それが自然というものではないのか。それで充分なのだ。人間は 何とか一年中薔薇を飾りたいと願い 四季咲きの品種を作った。人間が自然を捻じ曲げ 自分たちの都合の良いようにする事を改良と呼ぶのはおかしいと思わないのか。こんなに横暴で 勝手なことは無いと思う。

 

一年間待って咲く花は 殊の外嬉しいものだ。 今年は早くから気温が上がり 例年より十日以上も早く咲き始めた。花の色も鮮やかだった。花は年々歳々違うものである。

 

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  一年ぶりに出会えた私の薔薇たち なんといとしいその色 懐かしいその花容。

 

 

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遠くの山々に夕焼雲がかかり 月が昇る。真っ暗になるまで庭に居たいのは何故なのか何故こんなに楽しいのか 定かではない。幼い頃に培った習性かもしれない。私が生まれ育った西荻窪は 「西荻村」と言われていた。田舎だった。戦後間もない昭和二十年代の武蔵野は 竹藪と野原と背の高いクヌギや欅に囲まれて 二階の窓からは富士山が見えた。幼い私は 真っ暗になるまで庭で遊んだ。勉強机に向かった記憶はない。

 

 

 

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      夕霧が流れてくる。別世界になる。測り知れない神の秘密。

 

 

 

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快晴の朝が来て 私は庭にいる。ジャンヌダルクが咲いた。薄い杏子色がごくわずか混ざった あたたかな白 飾り額を持った蕾 クラシカルな七枚葉 ボッチェリの薔薇。 私は古典的な花が好きだ。

 

 

 

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虫に食べられた葉が微笑ましい。ここでは殺虫剤を使わない 薔薇特有の病気を予防する消毒液もかけたことがない。

 

 

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庭で雲のように浮かぶ由なしごと。コンセプチュアルアートと言うものが流行り出したのはいつ頃だったのか。私は加山先生にそれはどういうものかと聞いたことがある。「考え方をを表示するような作品の事 例えば「美術館の壁」ー美術館に空の額縁だけを掛けた作品ー みたいものかな。結局のところ藝術も行き詰ったと言う事じゃない。長い歴史の間にあらゆるものが出尽くしてしまうと 新しいものといったところで 大したことないね。」

挙句の果て こんな凄い事を思い付いた こんな斬新なアイデァを思い付いた と言った事をみんなに披露する人をアーティストと呼ぶようになった。内容空疎な表面的なことことばかりが横行するようになった。心を忘れた。普遍の美などと言うと鬱陶しがられるのだろうか。それでも私は表面的なことを追求するために生涯を掛ける気にはならないな。そんな莫迦みたいなことに 嫌だな。雲を見上げるとすっかり形を変えてゆっくりと流れている。

 

 

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 アッシュウエンズデー 灰の水曜日。灰紫というクレヨンが一番好きだったことを思い出す。この色ばかりが減っていた私のクレヨン箱。子供の頃から祖母の着物を見て育ったせいか 私の手持ちの色は日本の古色というべき色なのだ。私の色感の大元を養ったのは 古典的で渋い祖母の着物や帯であったらしい。外に向かって主張する鮮やかな色が苦手だ。目を射るような色だね と言う祖母の声がする。深層からそこはかとなく香り立つ 複雑で深い色。それこそが 墨や胡粉 天然の岩絵の具の持っている色彩である。それらの天然素材は 自然の持つ色そのままである。今は この空と 山々 森や小鳥 花々 全ての自然が 私の色感を育てている。

    

 

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美大に通っていた頃 批評会で何度か見た前本の作品に 自分と共通する何かを感じていた。淡く 寂しげな 渋い色合いの作品ばかりを描いているこの人は一体どんなひとなのだろう。私が感じている感情と似たような感情を抱いている人がいるのだ と思った。後々 私はそれが何だったのかを知った。

私達は 家庭的な温かさとは無縁に育った。家族や家庭というものに希望の持てない種類の人間がいるものだ。私は初めて同類に出会った。世間的に私達は金婚式を迎える夫婦という事だが 未だに私は前本を夫と思えない。絵に対する思いだけが全くと言ってよいほど同じであり 絵の話をすればこれほど酷似した考えをもっている者はいないと思う。しかし その他の事は全く話にならない。それは誰のせいでもない。資質であろう。絵を描くことにしか希望の持てない資質を持って生まれてきた という同類。全て 運命である。

 

 

 

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前本は手に土がつくのを嫌う。いつも手を洗っている。私は素手で庭仕事をする。土に膝まづき土にまみれ 薔薇の棘で傷だらけになり 体中ゴミだらけになって薔薇の間をすり抜け くぐり 這いずり回っているのが愉快なのだ。それを前本は野生動物を眺めるように窓辺から眺める。前本は私の庭の扉を開けたことがないのだ。

 

 

      どうぞ 私の薔薇庭の扉を開けてご覧ください。

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 とてもとても 親しくしている親友 シャルル ド ミル 今年は特に美しく私にとってこんなに幸福な事は無い。

 

       私の薔薇達  又来年まで ごきげんよう

 

 

    

                  💗

 

日本画の杜 第二十二章 「黒猫」

  

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                          前本利彦 「黒猫」12号

 

 

 

 

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五月に入り 森は緑に変った。冬枯れの木立に小さな芽が吹いているのを見つけた。 それから三日で樹々は新しい緑に覆われ 森は萌え立つ。目を見張るばかりの自然の妙である。山躑躅が咲いた。山吹も咲いた。夏のような日があったり 長雨が続いて肌寒くストーブを点けたりの日々だが それでも森は着実に初夏に向かっている。道端にすみれとタンポポがひしめくように咲き 童謡そのままの長閑な春もほんの束の間なのだろう。

 

 

 

 

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 冬木立にうっすらと若葉が見える。この頃は 遠くの山並みを見ることが出来たのに。

 

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あっという間に若葉が茂り 南アルプスの連山は姿を消した。樹の間から見える夕焼け空は春の色になった。

 

 

 

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         八重山吹が咲いて 春はいち一段と進み

 

         華鬘草が咲き出して 初夏の気配を感じる

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華鬘草 この花はコマクサの一種らしいが標高の高い所が余程好きなのか 年々株が大きくなる。柔らかな緑の葉が清々しい。仏前に飾る花輪に似ている事から付いた華鬘と言う名が良く似合う。

 

 

 

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                   道端にはタンポポ

 

  

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                   ひっそりと咲く白花エンレイ草

 

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                 海棠は町娘の風情

 

 

 

 

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庭の真ん中に植えた八重桜は葉山の庭で枯れかかり こちらに来てもう駄目かと思うほど弱った。うんともすんとも言わず唯々立っていた。いつまでたっても根が張らず 少しの風で大きく傾き 四方から支柱で固められた姿で何年も立ち尽くすだけの日々を過ごした。

私はその姿を自分のように思う。私は与えられた人生の中に立ち尽くし 毎日毎日一生懸命働いた。運命は水の流れに似て 私は 日々元の水ではない流れに乗ってここまで辿り着いた。私は花を咲かすのだろうか。それを私は楽しみにしているのか。花が咲かなくても良いと思っている様な気もする。

 

しかし桜は 今年初めて花を咲かせた。寒い森に連れてこられてさぞかし大変な思いをした事だろう。それでも一言の不平も言わず黙って懸命に根を張り続け 花の準備を怠らず力を尽くして生きていたのだ。居間の窓いっぱいに咲いた満開の花を眺めて 私は思った。こういう生き方が理想だなのだと。世の風潮に動じず 降りかかる苛酷な運命に一喜一憂する事無く 黙々と大地に根を張る事に専念し 自分の力で花を咲かせる。何年かかっても 花は咲かなくても構わない 私はそうして生きてゆきたい。

天から与えられた運命を甘んじて受け入れ 人知れず根を張り 自らの成すべきことに力の限り取り組み しっかりとした生涯を過ごしたい。

桜は名前が解らない。長い間に名札を何処かで無くしてしまった。私の名札も何処かに無くなったところでそれは大した事では無い。桜には私が名前を付けてあげよう。

私は自己顕示欲アレルギーなのだ。絵を描く者は大概 自己顕示欲に満ちている。美大に入りそんな人々に囲まれ辟易とした。現代は 美大生のみならず世の中は自己をひけらかす事に終始する者に満ちあふれているではないか。私はそれから逃れたくてこの森に来た。森はいつも静かで 生命が淡々と生きている。したり顔をする者はいない。

 

確かに絵を描く事は自己を表現する事なのだが それは極めて洗練された形で無くてはならない。ちょっとした思いつきを針小棒大に表現することがインパクトだというのなら それは真に卑しく浅ましい事だと私は感じる。

 

 

 

 

 

     春の山道を歩く喜びは 長い冬を越したものにしか味わえない

 

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この山では 桜と新緑を同時に見ることが出来る。ミズナラの若芽は黄色がかった白緑で目が覚めるほど美しく 淡い山桜と並んでお雛様になる。

 

 

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                 真っ白なリラ

 

 

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            新芽の時から炎の色をした楓

 

 

こんな山道を前本と散歩する。勿論犬も連れて歩く。前本が言う。「伝統を壊すなんて一体どういうつもりだったのか 伝統が壊せる訳が無い。一体誰が言い出したんだ 伝統は壊せない」 確かに伝統を壊すことは絶対に出来ない。新しい物にばかり気を奪われてはいるが どんな人の中にも伝統が宿っている。忘れているか 気が付かないだけなのだ。敗戦国日本は自国の伝統文化に自信を失い 欧米の真似ばかりしてきた。日本の国が陥った敗戦後遺症からいつになったら立ち直れるのか。落ち着いて考えてみた方が良い。

 

 

 

    さて 五月も半ばになり いよいよ白い花の咲く頃となった。 

 

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         薄い霧が立ち込め 森に爽やかな朝がやって来た

 

 

 

山吹が散り始めた日 郭公が啼いた。夏が始まった。そして薔薇の季節が巡って来る。

 

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                                前本ゆふ 

 

 

                 ❁❁❁❁❁

 

 

日本画の杜 第二十一章 「誘蝶花」

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                                   誘蝶花

 

 

 

四月になった。小雪が降ったり 初夏のように暑かったり 目まぐるしく変わる陽気とともに春が来た。今は四月の半ばであるが この森の桜は満開で 梅も満開で 窓の外は賑やかになった。キビタキアカゲラが朝の食事にやって来る。鶯は四月三日に啼いた。

 

朝夕は花冷えで ストーブをしまうことは出来ない。相変わらず冬と同じモコモコセーターを着ている。

 

古来より 梅が咲き出してから山吹が散るまでを春と言った。山吹の蕾はまだ固い。ここでは暫く春が続く。

 

 

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山には小さな花の咲く桜があちこちに自生している。淡い色の細かい花が 下を向いて咲く。何とも言えない風情である。愛犬と共に歩く山道で 私はこの上なく美しい自然にひれ伏すのである。

 

 

 

 

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夕暮れの空は 好きな光景の一つである。私が幼い頃 昭和二十年代の武蔵野はこんな風だった。懐かしい夕暮れ。日本がしみじみとした空気に包まれていた頃。ここにはそれが残っている。ここへ来てもうすぐ七年になる。そして私達は ここで七十歳になるだろう。随分長く生きた気がする。

 

過ぎた事を思い出すのは好きではない。沢山の出来事 沢山の幸せ 沢山の不幸それら全てが今の私を形作っている。それで充分である。

運命の流れのままに生きてきた。こうなりたい こうしたい と思ったところで無駄であろう。一貫した主義主張を持って その時遭遇した現実に一生懸命取り組めば 良い流れに乗ることができる。出来れば清流に流されたい。

 

流れに逆らわず 植物のように 争わずに生きてゆきたい。果敢に闘うべき相手は自分だけなのだ。

 

 

 

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       庭に訪ねて来る小鳥たちと仲良く暮らしたい。小鳥は本当に

       可愛い。

 

 

 

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              都会が遠く感じられる。

 

 

 

 

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                                 二年前 実相寺の境内で桜売りから買った小さな

         苗が花を付けた。見上げるほどに大きくなってね。

 

 

 

                                  前本ゆふ

      

         ❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀

 

日本画の杜 第二十章 「八千草屏風」 2018・3

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                         「八千草屏風」四曲一双 部分

 

箱根芦ノ湖成川美術館」が開館三十周年を迎えた。館主の成川さんとも三十年来お付き合いをさせて頂いた事になる。本当に長い間 お世話になった。成川美術館に収蔵されている前本の作品は百点以上になるだろう。

 

始めて成川さんを見かけたのは 銀座の画廊であった。かなり身を窶し 古びた風呂敷に包んだ作品を抱きかかえるようにして 足早に裏玄関から出て行く姿は印象的であった。画商のひとりが あれが成川實だと言った。当時 山本丘人のコレクターとして知る人ぞ知る人物だった。

 

 

 

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その成川さんから電話があったのは ちょうど三十年程前 成川美術館を設立された頃ではないだろうか。前本は外出しており 私が電話に出た。成川さんは 私達が生活のためにアルバイトで描いた湯吞みの絵が気にいったので 同じ様なのを描いてもらいたいとおっしゃった。私は あんなので宜しいのでしょうかと答えた。「万葉集」に出てくる花を十二か月 十二客の湯吞みにプリントしたおもちゃのようなものを売る会社の インチキな仕事をした。二人で手分けして六か月づつ原画を描いて微々たる報酬を得た

成川さんはそんなものをご覧になったらしい。その話は 私の不得要領な応対のせいであろうか それきりになった。成川さんは忘れていらっしゃる事であろう。

 

 

 

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その後成川さんは色々な絵を依頼して下さった。人物画を描いていた前本が 成川さんに乞われるままに植物や風景を描くようになった。

今回展示されている「八千草屏風」は四曲一双の大作である。今回の企画展には この屛風を含めて数点の作品が展示されている。

 

 

 

 

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        会場の作品解説には 次のように書かれている。

 

『右隻に春の野辺の草花を、左隻に秋の山野草を配した華やかな金屛風の大作である。その上品な空間に、画家は春秋合わせて59種もの草花を描いている。

 春の花は福寿草、土筆、蕗のとう、ナズナ、菜の花、カタクリタンポポなど何処にでもある草花と、比較的珍しい矢車草、蛍袋などがある。秋の花もドクダミやオオバコ

夕顔やエノコログ草といった草花を含んでいる一方、コスモスや萩、桔梗などの人気種で均衡を取っ手いる。色彩の取り合わせは絶妙で、花の形も変化に富む。主張が強すぎない花たちを中心とした調和がさりげなく、それでいて花の配置と造形の工夫が多彩である。野に人知れず咲く花の小宇宙を愛でるかのような視線で描かれた自然讃歌で、馥郁とした花の香りが漂ってくるような作品である。

 ひとつひとつの花の描写は、自然の草花に親しみ、現物を前にした日頃の写生の成果に他ならない。また、画家の端正な表現力と絵の具使いの秀逸さは抜きんでており、変化に富んだ緑葉の発色、輝くような花色、殊に白と緑を中心とした色彩の美しさは最上のもので、画家の真骨頂といえよう。

 古代の万葉の美の象徴として詠われた八千草が引き継がれ、その現代版として、この金屛風に結実している。美しいタイトルに相応しい夢幻の草花は、花曼荼羅の如き浄土を沃野の小径、足元に見出しているのである。』

 

 

 

 

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成川さんのおかげで前本は自分の中にあって 自分では気付かなかった沢山の宝の箱を次々と開いてきた。人は自らの持っている全てを使い切ってこの世を去る事が出来ればそれこそが人生を全うする事ではないか と私は常々思ってきた。その手助けをして下さる方が 前本の人生に長い間寄り添って下さったのは 幸甚の至りである。

 

成川さんは画家を育み 鼓舞し 七十八歳の現在も精一杯生きておられる稀有なコレクターである。私はその力量を心から讃え 感謝を申し上げたい。

 

 

     成川美術館 「開館三十周年記念展 戦後日本画の山脈 第二回」

            2018年・3月16日~7月11日

                                               9:00a.m.~5:00p.m.

 

 

 

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                                                                                                                 前本ゆふ

 

 

 

                               ❁❁❁❁❁

日本画の杜 第十九章 「雪の季節」 2018・2

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午後から「雪」の予報。雪の降る前 空は柔らかく澄んで ふんわりとする。ほんの一瞬の美。

 

 

 

 

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              雪雲が近付いている

 

 

 

 

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氷柱のある窓辺 雪の降る季節 真っ白な光に包まれた 音の無い 大きな繭になる。

 

 

 

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                  繭の中で私は昨年の素描を見直す。   

 

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昔 加山先生がこの頃の学生は写真を見て描くようになったから教えることがないと嘆いていらした。「受験以来スケッチはしてないと言われると なんかこの子に日本画教える気にならなくなる」

 

スケッチ又は 素描。見る事である。普段見ているものを 描くために見る事である。

絵を描く事は 見る事なのだ。絵は素描に始まり素描に終わる。

 

写真を見て絵を描くことが悪いとは言わない。しかし 写真を見て描く事はダントツにお手軽な方法だ。写真というのは三次元のものを 既に二次元にしてある 謂わば既に平面となったものではないか。実物を見て描くことは 自らの眼と手と心と感性と美意識をもって 三次元のモチーフを二次元に移し替えることであり これにはかなり高度な知性を要する。平面となった写真を写す事が如何に容易かということだ。

 

私は容易にできてしまう事を選ぶ気にならない。そういったことには喜びが無いからである。私は深い喜びを得るために生きている。楽しいこととは違う 生きる喜びである。

 

加山先生は写真を多用した作家である。マニアックなアルチザンであった先生はアトリエの隣りに暗室を設け カメラは何台持っていらしたか分からない。御玄関へ出てこられる先生は しばしば定着液のにおいがした。ご自分で撮った写真を焼いて 作品に使っていらした。しかし 先生は膨大な数の素描をなさっている。裸婦だけでも楽々二千枚は超えるだろう。飽くことなくスケッチした花 虫 猫 風景等々。先生は明確なコンセプトを持って 敢えて写真を使っていらした。 

 

 

 

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私は写真は使わない。それは私の絵に対する考え方による。私は見るのが好きなのだ。

見たものを写し 創って行く時の緊迫したやりとりに 他には替えがたい喜びを感じる

自分の持っている能力を全て結集しても 到底かなわないものを要求される。これ程嬉しい事があろうか。

 

 

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今度こそもっと良いのを描こう。挑戦し続けては自分の力量不足を痛感する事が嬉しい。自分の人生は今この程度なのかと思う。これから先 何処までいけるのか。

 

 

 

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いくら言葉を尽くしても表現できない自分の芯の部分。このもどかしい 空虚さが 描くことでのみ解消され満たされる。

 

 

 

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  庭に出ると どこからか花の香がする。春は近い。

 

 

 

 

                        前本ゆふ 

             

               

 

 

第十八章 「前本利彦の人物画 No.2 」 2018.1

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新年の八ヶ岳は例年より遥かに寒かった。よく晴れた日は寒さが一段と厳しい。スカートしか持っていない私がついにズボンで過ごさなくては居られなくなった。不本意極まりないが背に腹は代えられぬ。どなたにもご覧にいれたくない姿で新しい年を迎えた。

 

 

 

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                猫のひげも凍るような朝。窓外の冬木立も凍る。

 

 

 

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                                昼の月

 

 

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     薄桃色の雲

 

             冬景色は無駄のない美しさである。

 

 

 

 

さて 前回に続き前本利彦の人物画についてである。何故か私はこのテーマから逃れようとしている。それが何故か 分からないのである。私にとって心底気の重いテーマなのだ。私は過ぎ去った事を振り返らない質である。そうは言っても 懐かしく思い出すとこが全く無い訳ではない。しかし 人物画に関してはそういった甘い思い出が一切無い。前本が人物を描いていた頃 それは私たちにとって極めて苦渋に満ちた時代であった。早い話 思い出したくないのである。

 

だからといって 前本の作品を語る上で人物を抜きにすることは不可能である。いつまでもぐずぐず言っていることも出来ない。自他共に明るい私が みるみるふさぎ込んでしまうだけの深い闇を孕んだ人物画について語ることにしよう。

 

 

 

 

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三十代後半の前本 この青年が常に興味を抱いてきたモチーフが人物である。

日本画の花鳥風月に興味はなかった。そもそも 何故美大日本画科を選んだかといえば デザイン科志望だった高校三年の後半 彼はファインアートに転向しようと思った美大を受験するための研究所で付き合っていた油絵志望の友達に刺激を受けたのがその理由である。しかし受験まで半年余りで油彩科の受験に必要な石膏デッサンを勉強する事が難しく デザイン科と同様の鉛筆デッサンと水彩で受験出来る日本画科を受けることにしたのである。この様な余りにもお軽い理由で日本画科に入学した事は非常に前本らしい と私は思う。この人は いつも情緒に流れ 「なんとなく」といった理由で様々な事を決めてきた。はっきりとしたことは何も無い。いつも茫洋としているのである。

 

 

 

 

 

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                               「翼」1990年

 

若描きではないが 冒頭の作品にこれを選んだのは一番前本らしい作品だからである。

この作品に寄せて前本は次のように書いている。

 

『「ベルリン天使の詩」という映画を観ていて翼を描いてみたいと思った。「翼」の役割については観る人のイメージに委ねる。ヴェンダースはこの映画を 小津 トリュフォー タルコフスキーに捧げている。ヴェンダースを含めて想像力を啓発される作家ばかりである。』

 

貧しい青春時代私たちは映画ばかり観ていた。テレビもなくお金もなく頼るものもなく

しかしそれは全て自分たちの選んだ道の途中であることを充分承知していたのであるから やるせなかった。映画の中に逃げ込んでいたかった。ベルイマン ヴィスコンティ フェリーニ ・・・  深夜の自由が丘 横浜・・・なんと寂しい思い出であることか。

 

前本にとってはどうだったのか。楽しい思い出なのか。前本は 劇団に入って役者になろうかと思った時期もある。根っから現実味のない人である。結局 日本画の道をゆくことになったのだが芝居も日本画も不安定な点で大差はない。そんな性分が変わることは生涯無いと 私は断言する。

 

何故 花鳥風月ではなく人物を描こうと思ったのか。自らの内面を語りたかったのが大きな理由である。当時 花の綺麗さ 山の美しさに興味はなかった。そんなものを愛でている場合ではなかったのだ。心の中に鬱積してゆく曖昧な闇 それを描くことでしか表に出すことが出来なかった寡黙で内気な青年の 混沌とした日々を彷彿とさせる人物画の数々は私をふさぎ込ませるには充分過ぎる。陰鬱な青春。

 

 

 

 

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                   「目を閉じた四つの肖像Ⅰ」 1961年

 

これは前本34歳の 所謂若描きと言ってよい作品である。銀座の画廊で開催された個展で発表した四部作の内の一点だ。髪を灰色にしたり 肌を実際の色にしていないのは

これは人物像ではなく自らの内面を描いたものである事を示す為であろう。画廊主には白髪の女など描いてどうすると酷評された。画商にとって 商売にならない絵は価値が無い。人物画は売れない。青年の胸の内を語った絵を家に飾る人は居ない。

阿修羅像を思わせる肌 グレィの髪 小刀で切り出したような鋭い線 神経質な指先

どれを取ってもこの人物像は 前本の内面以外の何ものでも無い。このポーズを取って目を閉じると前本の心の中に入ってゆく。

 

                                            

 

   

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                             「窓」1984

 

38歳の時 画廊の主催する展覧会で受賞した作品。背景には葉山の海を選んだ。海の好きな私にとっては懐かしい光景である。前本は映画を撮るように作品を創る。映画の情景を表現するように描いている。人物は登場人物であり 前本の分身である。 自分の内面を語らせているのだ。はっきりとポーズを指定する。私はどのポーズにも音が無い

と感じた。

 

 

 

 

 

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                              「渚」 1985年

 

 

 

 

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                                                                                          「女人浮遊図」

 

 

 

 

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                                   「蓮玉図」

 

 

 

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                                「胡蝶蘭

 

 

 

 

 

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                              「二人」

 

 

 

 

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                              「黒と朱」

 

 

 

どの作品も前本の撮った映画のワンシーンである。登場人物に代弁させた前本の心象風景を 思い描きながら鑑賞してほしい。結局 前本の描くものは 自画像なのである。

 

 

 

 

 

 

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マンリー美術館で開催された 「日本の心」と題された展覧会のポスターである。数十人程の出品者の中から選ばれて前本の作品が使われた。題字は土牛の筆によるものだ。この時は大変嬉しかった。

 

 

 

 

この数年前本は人物を描いて居ない。人物を描く機会が再び訪れる事があるのだろうか

八ヶ岳の冬景色は そんな事は考えなくてもよいと言っている。

 

 

 

 

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                              前本ゆふ  

                  ⛄