日本画の杜
前本利彦の作品に寄せて北杜市から
2016 7月 前本ゆふ
第一章 「三月の肖像」
私達がこの杜に来て五年が過ぎた。白い花の季節になった。純白の糊空木はひっそり
と咲く。
高い木の茂る杜には神が宿ると聞いて いつか住んでみたいと思っていた。念願叶っ
て 山梨県北杜市に移り住んだ。ここは八ヶ岳南麓 山の中だ。窓から見えるのは無数の大木。 梢を交す木々と一緒に暮らしている。 見渡す限りの杜を見ていると つくづく思う。私達は 日本画に囲まれて過ごしてきたのだ。 日本画の杜の中で。
日本画の杜は十八才の私の前に現れた。美術大学で出会った前本と 杜に向かうことになる。そして半世紀 明けても暮れても日本画に終始し 日本画の僕となって杜をさまよっている。
この作品は「三月の肖像」 初めて個展を開いた前本二十三才の若描きである。残念ながら 当時の案内状はモノクロであった。四十五年ほど前のことである。添えられた文章は 週刊新潮の編集長をしていらした野平健一氏から贈られた。野平氏ご夫妻は 貧しく恵まれない若い絵描き達に 何かと良くして下さった。ご馳走になったり 映画や人形浄瑠璃に連れていって下さった。画廊が好意で貸してくれた会場で 初めての個展を開く若者に贈られた激励の言葉であったが 私達二人は古色蒼然たる言葉にびっくりした。今になって その深い味わいがよく解かる。実際 痛々しいまでに「いっしょうけんめい」やったのだし 若者特有の思いはいつの時代も変わらない。お気持ちあふれるメッセージで初めての個展を飾って頂いたことは僥倖であった。
この頃 多摩美日本画科の四年生であった前本と私は安アパートで暮らしていた。前本は 担当教授の加山又造氏に「そんな状況で よくこんな絵が描けるものだ」と言われたそうだ。私達は現実をきちんと理解することが出来なかった。今でも前本は 抒情に満ちた 夢とも現実ともつかない世界の中に居る。
「三月の肖像」を見ていると数十年も昔の早春の空気が甦って来る。画面左上に三月の風景、鳥、魚、人物、すべてが沈黙し 現実味を失った光景。これが 前本利彦の原点である。
初めての個展を終えて 私達は四回目の引っ越しをした 米軍の払い下げた『ハウス』と呼んでいた貸家で暮らした極貧の青春!前本は常に風邪気味で 半病人であった。この頃描いた作品は 黒い人物が多い。私は これらの作品を見るたびに 胸を打つ悲しみと同時に希望を感じる。これほどまでに青春そのものが描けたことに安堵するのだ。文学 音楽 絵画 いわゆる芸術と言われる分野で生きてゆく者は その時々の心象を表現出来なくてはならない
それが深ければ深いほど高度な芸術なのだ。
木槿の花を付けた少女。深い洞察力を持った眼差し。少女の瞳を借りて描いたのは画家の心の叫びであった。物事の本質を見抜く力こそが絵描きにとって一番大切なのだと前本は言いたかったのか。
こうして表現された前本の心を理解する人は少なかった。「暗い絵」の一言で片付けられた。唯一の救いは モデルとなった少女の「私はこの絵嫌いじゃない」と言う言葉だ。
本当の事・・・真実を突き付けられるのを人は嫌う。オブラートに包んで欲しい。しかしながら それを避け 真実と向き合う事なしに生きて行くことは心を砂上の楼閣に置くのと変わらない。ましてや芸術を志す者が 真実を見ずして何が出来ようか。内在する悲しみ 怒り 不条理 暗い感情と向き合い 表現する事で前本は心を傷つけ 身体を病み そして同時に救われた。自らの創り出したものに救われて生きてきた。
暗い 明るいで短絡的に判断してはならない事がいくらでもある。前本が気持ちを託したモデルの少女も 深い洞察力を持って生まれた故に傷ついていた。しかし それを糧として成長し 他者の痛みの解る大人になった。
木槿の花の悲しみに満ちた色は 若き日の心の色。私達にとって懐かしくも悲しいものである。
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