日本画の杜 第十章 「山桜」 2017・3

 

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                              「山桜」 6号F

 

 

 

 

 

 暑さ寒さも彼岸までとは言え この辺りでは梅も桜も蕾のままだ。 一昨日  3月21日は雪が降った。

 朝カーテンをあけると庭は真っ白な冬景色に逆戻りしていた。四月に入れば日中はストーブの要らない日も増えるが 天気予報はゴールデンウィークになっても「遅霜に注意して下さい」 「農作物の管理には充分注意して下さい」と繰り返す。

流石に春の淡雪は夕方には溶けてしまった。

 

 三寒四温 花冷え 花曇り こんな春らしい言葉が使えるのはまだ先のことだ。そういえば春のお彼岸だったことすら忘れていた。町方に住んでいた頃は お花を携えた家族連れがお墓参りにゆくのにすれ違った。ああ今日はお彼岸のお中日かと思ったりした。

何だか懐かしい。ここではその様な気配すらない。

 

 町方という言葉を ここへ来たての頃初めて聞いてああ私は知らない土地に来たのだと改めて思った。「町方の人には珍しいだろう」「町方の人には無理だろう」「町方では車が混んで大変だろう」

最近はは誰からも言われなくなった。この土地に馴染んで来たのかも知れないが 今でも私は町方の人でも 村方の人でもないような気がする。生家にいた時も その後様々なところを転々とした時も 常に自分が異邦人のような気がした。どこに行っても仮の住まいとしか思えない。何故なのか 考えても分からない。前本も同じ様に感じてきたと言う。私達二人が共感できる感覚のひとつである。この世に安住の地は無いよう気がしてきた。

 

 

 

 

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  三月に入って少し暖くなり 戸外でスケッチが出来る様になると前本はライフワークの 「実相寺」の山高神代桜(やまたかじんだいざくら)を描きに行く。

花が咲き出すと人が多くなるので 誰もいないうちに幹を写生しておくのだ。花が咲いたら 再び花を描き足しに行く。

 

 甲斐駒ケ岳が見える「實相寺」というお寺は 私達の住まいから車で40分だ。ここへ 何回か通って 朝から暗くなるまで描く。

 

 山高神代桜は日本最古の桜と言われている。樹齢2000年の大木である。

 

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 田園と南アルプスの山々に囲まれた實相寺は 小ざっぱりした好もしいお寺だ。

清らかな風が吹き抜ける。

 

 

 境内には若木から老木まで 様々な種類の桜が沢山ある。そして これが弥生時代から生きてきた山高神代桜である。

 

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 幾多の風雪に耐えた老木の威厳に圧倒される。仏像を見たような気がした。花の数も少なく すべすべとした若木の綺麗さは無い。風格と神々しさを感じる事無く  恐ろしいものを見たように立ち去る人も少くない。

 

 前本は樹齢を重ねたこの老木を自分の人生に重ね合わせている。来年古希を迎える前本は 若い時には思い至らなかった 命の不思議を思っている。2000年生きてきた老樹に偶然にも出会えたことに 深く感じ入ったのだ。老木は前本の精神の奥深くに様々な感情を呼び起こした。それを絵の中に込められれば良いと思って描いているのであろう。見た目の綺麗さを描きたいわけではない。美というものはもっと幅と奥行きのあるものである。

精神の深いところに呼応してくるもの 言葉には出来ない霊感 神秘といったような何かを描きたいのだろう。 

 

 

 

 

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 三月の終わりに雪が降った。気温が高くなってから降る雪は湿っている。木々

に着雪し 真っ白な花が咲いた。この寒さでは桜の開花は少し先になりそうだ。

 

 美は見る者の眼の中にある と言われる。身の丈以上の美は見ることができないとも

言う。私が美を意識したのは美大に入ってすぐの頃だ。その年の日本画科の一年生は十五名  女子はその内五名だった。女の同級生達と教室でお喋りしながら絵の具を溶いているところに加山先生が一人で入っていらした。立派な帽子をかぶり 綺麗な靴の紳士であった。全員緊張して黙ったまま 何か言わなきゃと思っていた。そんな子供達に先生は 「僕は高校の廊下のにおいがする新入生は苦手でね。今度の批評会には綺麗にしてらっしゃい。美人になりなさい。美というものが解からなくては美人にはなれませんからね。」とおっしゃってすぐに出て行かれた。私は美とは何か 考える様になった。

 

 夏休みが終わって秋になった。 夏休みの間に制作した作品の批評会の日 中庭のベンチに座ってぼんやりしていると「ずいぶん美人になったじゃん」と言う声に驚いて振り向くと いつもの帽子をかぶった加山先生が にこにこ顔で立っていらした。「綺麗な服ね」「この服 私が作ったんです」「この服みたいな絵を描いてごらん」 

18歳の私に朧気な輪郭の美が近づいた。

 

 美の深さ 奥行き 美の幅 これらを追及することが絵を描くものの使命ではないかと思う。「美」は いわゆるうわべの綺麗さや 可愛さを超えたところに存在する。

生きている間にどれだけの美を見いだすことができるのか。「絵を描くこと」はその果てしない道を歩くことだ。 

 

 

 

 

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 最後に 山本丘人の「高麗山の春」をご覧ください。山本丘人は1900年生まれの日本画家であるが 玄人好みと言われ きちんと知っている人は多くない。しかしこの大家の残した夥しい作品はどれも相当な水準である。この作品は 何の変哲もない大磯の風景だが 私は春の山がみんなこの絵に見えてくる。これ程のリアリティを表現出来る作家は少ない。そして丘人のすごい所は 新しい日本画を創り出した点であろう。新古典派と呼ばれる古径 靫彦  土牛 とは違った新しいタイプの日本画を創造して確立した。丘人以降 これを超える新しい画風を見たことがない。

 

 

 

 

 

 

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やがて残雪が消え 桜や梅が一斉に咲き始め 空も木々も山々も 薄桃色に包まれる日が来る。

 

 

 

 

 

 

 

                  🌸