第二十六章 「猫と牡丹」 2018・9

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                               「猫と牡丹」20号  

 

暑かった今年の夏はあっけなく終わった。九月に入ると雨ばかりで気温も低くなり 台風が来ては去り又来ては去り 十五夜も雨だった。富士山の初冠雪は昨年より27日も早く ストーブを点ける日が多くなった。

 

今の時期に猫と牡丹でもないのだが 私は前本の猫の作品の中ではこれが好きだ。この絵の猫は私たちが愛した 露露にそっくりなのだ。私の無二の親友から頂いたこの猫は その方の気質を受け継いで気品があった。 牡丹も薄く 鋭利で前本らしい。

 

絵を評する言葉は様々である。日本画に一番似合わないのは 「大胆な筆致」だと私は思う。筆が走ったり 跳ねたり くねったりと言った品の無い絵を大胆と褒めるのは間違いだ。

 

かと言ってあくまでも細かく描写した 愚直に細かい絵を褒めるのも愚かである。

どちらにしても 何かを売り物にするような作品は三流と言えよう。

 

優れた日本画は大胆でもない 細かくもない。日本と言う国が持つ静謐さが本質にある。

 

 

 

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これは 小村雪岱木版画「青柳」である。 日本と言う国を良く表している。小村雪岱を初めて見たのは随分昔 先生のアトリエである。先生は仕事中に来客があると私に画集や習字の手本を見て待っていなさいと沢山の蔵書を置いて応接間に行ってしまう

私にとって楽しみな時であった。

 

小村雪岱は今でいうイラストレーターである。日本画も描いているが日本画家としての水準はそれ程高くない。本の装丁 挿絵 着物のデザイン 舞台美術などにその独特な感性を発揮した。明治中期から昭和前期に活躍した作家である。

 

 

 

 

 

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日本はこの様な国であった。私は国粋主義ではない。日本がどの国より優れていると思って居るわけでは決してない。どの国にもそれぞれの特質があり 気候風土に培われ長い歳月が創り出した文化を持っている。それをないがしろにしてはいけない。自国の特性を深く知る事 これが今の日本画家には一番大切であると言いたい。まずはそれからである。

 

 

 

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        台風一過 たった一日だけ見えた秋の空である。

 

 

 

 

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