第三十章 「パンジーと白猫」 2019・3

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                                                                                               「パンジーと白猫」

 

 

家々の玄関先にパンジーの寄せ植えが並ぶ 都会の早春を思い出す。八ヶ岳では 三月に入ってから寒い日が続いている。パンジーなど何処にも見当たらない。梅も桜も固い蕾をつけたまま じっと黙り込んでいる。

 

パンジーは三色菫で ワインは葡萄酒である。美しい色が見える。日本画の絵の具は美しい。始めて岩絵の具を使った時は 美し過ぎて使いこなせなかった。天然の岩絵の具は 宝石の原石を砕いた粉末でその粗さによって番号が振ってある。基本的には混色は出来ない。今は アクリル絵の具の中に粗さの異なる岩絵の具を混ぜ込んだり 人造の絵の具で混色出来るものもあるが 私はそうした事をしない。日本画は不自由な 使いにくい素材を丹念に使いこなしてこその絵画である。

 

途方もない研究と根気で絵具や筆を使いこなしてゆく地道な努力の積み重ね以外 深い味わいを出すことは出来ない。絵を描く者とは 人知れない鍛錬をする事で自らを磨き上げたい人の事である。

 

容易にはできない事にしか希望を見出せない種族と言ったら良いのか。修行僧のような日々を過ごし 絵を描くことが染み付いてしいる人達。絵を描くことは 唯独りで果てしない道を歩み続けることである。

 

教科書もお手本も無い。自分で方法を編み出し 試作を重ね 失敗の連続の中から自分のやり方を見つけるしかない。知恵と経験と探究心で黙々と描くしかない。

「後は念力しかない」と 加山先生は常におっしゃった。祈るしかないのだ。前本は朝から晩まで画室に居る。僧侶が経典を読んでいるのと変わらないと私は思う。

 

 

 

 

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春の淡雪は 深夜から明け方まで音もなく山々を木々を覆い 陽が高くなる前には消えてしまった。

 

 

 

 

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             一瞬の間出現した淡雪の杜

 

 

 

 

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              繭の中はこのようであろう。

 

 

 

 

 

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