第三十一章 「文鳥と桜」2019・4

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                              文鳥と桜」

 

 

四月に入って雪が二回降った。半ばを過ぎても 朝から小雪混じりの寒風が吹く日があり 日陰の残雪は未だに消えない。桜は連休中には咲くのだろうか。

 

 四月というのはいつもめちゃくちゃだ。夏の様になったり 雪が積もったりする。毎年のことなのだ。

 

加山先生が亡くなったのも 横浜の桜が散り始めた四月の初めだった。四月になるとつい懐古的になる。

 

先生は七十六歳だった。日本画家はおおむね長命だから もっと長生きなさると思っていた。あっけない訃報であった。

 

先生とは不思議な縁である。。いくら考えても 縁といった曖昧なものとしか言えないのだ。私の人生にとってそれは何であったのか。過去に対して もしこうでなっかたらと問うほど無意味な事は無い。分かっていても もし先生と出会わなかったら私はどんな風になっていたのかと思う。良きにつけ 悪しきにつけ 加山又造が私の人生に与えた影響ははかり知れない。強烈な影響を受けた時期と それを振り払おうとした時期が交錯し 苦しみに似た暑苦しい長い年月を過ごすうち 私は成熟した。

 

今となっては 桜のが散るのを眺めるように過去の一部分として完結した思い出になった。先生と過ごした年月で得た経験が 年功を積むにつれ円熟したように思える。私は老成した。ご存命中は のどかな気持ちで花を愛でる事は無かったが 散って始めて冷静になれる。先生は私にとって桜のようなものだったかも知れない。

 

 

 

 

 

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晴れた朝 明るくなった陽射しを受けて山々の表情が優しくなった。春は近い。桜 水仙 梅 牡丹 何もかも一斉に咲く 山の春。

 

先生は私が人里離れた山奥に住みたいと話す度 「やめといた方がいい」と繰り返しおっしゃった。いくら話しても 「全く分からん」の一点張りであった。先生と私の決定的な相違点である。中央で大活躍したい先生と 静かにじっくりと研究したい私とは水と油であった。派手好きな先生のために私はできる限りのことはした。仕事と割り切るのが私の主義である。フルメークで大きな重いイアリングを付けた私を 今はとても懐かしく思う。まあそんな事があっても良かったと。

 

「モジリアーニの裸婦 こないだ画商が見せてくれてさ 凄いね たった今出来たばっかみたいでさ あれはすごいね 研究と苦心の賜物だったね 絵の具がさ 画面にピッタリとくっついてて そりゃあ半端じゃないんだ なかなか出来るもんじゃないね あれだけのことは」 心から感心したとおっしゃって 「上手い絵っていうのは 今仕上がったばかりの張りと新鮮さがある 結局は通説を鵜吞みにしないで独自の研究をすることだね 生きることは研究だ」

この点については私は芯から共感する。だから静かに研究出来るところに来たかったのだ。生きることは研究だ。

 

 

 

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               春の夕刻 この静けさ

 

 

 



 

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