日本画の杜続編 「Museの森」第一回 心の食物

テレビをつけると食物の事か商売の話しばかりである。いったいいつ頃からこんなことになったのか。日本が経済至上主義の国になってから長い年月が過ぎたのは明らかだ。 どうしたら物質的な豊かさを手に入れることが出来るかに終始している間に精神の豊さを忘…

日本画の杜続編 「Museの森」はしがき

綺麗な絵でしょう と先生は言った。小学校2年生の頃だろうか。図画の教室は音楽室の隣の建物で 古いにおいがした。その図画室を私は好きだった。長い髪の綺麗な樫山先生も好きだった。放課後の図画室で 先生は机に向かって絵を見ていた そっと覗いた私を見つ…

最終章 「聖夜」 2023・12

聖夜 冬の日の午後 陽射しは昔と変わらない穏やかさで年の終わりにふさわしい一日である 日本画の杜を今回で終わりにしようと思う。 八年ほどの間この拙いブログをお読みいただき 誠に有難くお礼を申し上げます。 年が明けて 春になったら新しいタイトルのブ…

第六十章 「神代桜 小下図」 2023・11

神代桜50号の小下図 京都の展覧会が終了した。前本の作品はどの様に評価されたのか。私には分からない。 この一年余りを前本は今あるすべてをかけて描いた。日に日に瘦せ衰え 仙人のようになってゆく前本を私は黙って見ていた。 私たちにとっては法外な金額…

第五十九章 「神代桜」 2023・11

2023年制作「神代桜」50号 京都で開催致しました「現在展」は 明日最終日を迎えます。お忙しい中ご来駕賜り誠に有難く心よりお礼を申し上げます。 様々な思いを感じた有意義な展覧会でした。再び自らの信じる方向に精進して参ります。 前本利彦 🌸

第五十七章 「月浅間」 2023・8 

「月浅間」 30号P 11月に京都で開催される展覧会出品のお知らせを致します。 「現在 いまがある展」 日本と台湾の美術交流 会期 2023年11月 6日(月) ~ 11月12日(日) 会場 建仁寺 会期 2023年11月14日(火) ~ 11月20日(月) 会場 御寺泉涌寺 主催 現在 いまが…

第五十八章 「リフレイン」 2023・8

「リフレイン」 繰り返し繰り返し訪れる日々を暮らすうち 前本も私も 人生の終盤を迎えた。 使い慣れた家じゅうの物が私と共に年をとってゆく。箪笥やソファー食器やお鍋 スプーンやフォークに至るまで 長い間使い続けた身の回りのすべてのものが古ぼけてボ…

第五十六章 「暗室」2022・9

暗室 Ⅰ 暗室 Ⅱ 神奈川県展で大賞になった作品である。前本32歳 42年前のことである。私達は 南林間で米軍が払い下げた借家に住んでいた。 犬小屋と変わらぬ貧しい住まいで 子供たちに絵を教えて生計を立てていた。私達の過去は惨憺たる事ばかりで 昔のことは…

第五十五章 「白山」 2022・5

「白山」 五月晴れの日はほとんどなかった五月。半ばになってもまだ寒い。若葉寒というには長すぎる。八ヶ岳の気候は一体どうなったのだろう。 桜も咲いた 山吹も咲いた 連山の雪も溶けたのに 八ヶ岳は寒い。 小淵沢の駅まで降りると ほのぼのとした春が来て…

第五十四章 雪舞 2022・3

雪舞 年が明けてから三ヶ月が過ぎた。今年の冬は格別寒い。このような寒さは経験したことがない。雪は積もるほど降らないし 気温がそれほど低い訳でもない。いつもの年のように 朝早くから除雪車が走り回ることもなく 今年の冬森の中は終日静まり返っていた…

第五十三章 「甲斐駒亮月」

リトグラフ 「甲斐駒亮月」 秋が来て 晩秋になり 初冬を迎えた。菊が咲き 赤とんぼが飛び交い 森は様々に色を変え 木枯らしが枯木立を残して去っていった。そんなある日 かねてから預けていた前本の作品の複製版画が出来上がった。リトグラフになった作品は…

日本画の杜 第五十二章 「カモメ」 2021・9

九月になった。夏が終わった。と言っても今年は夏と呼べる日はほんの三日程だった。七月の半ばに梅雨が明けたのも束の間 再び雨ばかりで 八月の初めに晴れて ようやく夏が始まると思った途端 雨の毎日に逆戻りした。しかも寒い。朝からストーブを焚いた。西…

第五十一章 「蓮池浄夏」2021・7

「蓮池浄夏」30号 今年の3月迄成川美術館の個展に出品された「蓮池浄夏」は前本らしい作品であった。前本と私は 五十年来のつきあいである。人は 五十年以上付き合っても分からない事の方が多い。この作品が何故前本らしいのか。うまく説明は出来ない。前本…

第五十章 「箱根空木と兎」2021・5

「箱根空木と兎」 6月になった。2月の末に四十九章を書いたきり 3月 4月 5月が過ぎた。八ヶ岳に来て 電気の工事を頼んだ時 「ここは冬が八か月だからね」と言われた。全く実感が湧かなかった。今年初めて 本当に冬が八か月 春夏秋が残りの四か月をかろうじ…

日本画の杜 第四十九章 「古樹桜花」 2021・2

前本利彦 「古樹桜花」 30号 新しい年を迎えた。一月も二月も私は相変らず忙しく ゆっくりと考えるいとまも無いままに過ごした。 十二月は暖く 雪の無いお正月になるのかと思ったら 新しい年を迎える頃には雪が降り 氷点下になり 震えて暮らした。外には一歩…

日本画の杜 第四十八章 「熱帯魚」 2020・12

「熱帯魚」100号 前本が足繫く水族館に通っていた事がある。その頃描いた作品である。前本はどんな音もうるさいと言っていた。水族館でスケッチをするのが救いだった。 それは幼い頃 私の好きな場所のひとつだった油壷の水族館。雨の日が特に良かった。雨に…

日本画の杜 第四十七章 「秋草と黒猫」 2020・10

「秋草と黒猫」 九月最後の日 成川美術館の個展の為に描いていた30号の新作 2点を搬入した。 疲れた。 それしか言葉が出て来ない。長い闘いであった。前本も私も放心状態になった。 疲れた。何をする気力も残っていない。七十歳を過ぎるというのは こういう…

日本画の杜 第四十六章 「リリー」 2020・9

「 リリー」 15号F 9月になった。暑かった夏もあっけなく終わった。朝夕は火の気が恋しい。9月は加山先生の誕生月である。先生は夏が苦手でものすごく瘦せる。秋が来るのを待ちわびて早く誕生日にならないかと毎年言った。 秋はドーサ日和の日が多い。日本…

第四十五章 「椿下白猫」2020・8

「椿下白猫」50号P (成川美術館所蔵) 延期されていた成川美術館での個展の日程が決まりました。 箱根芦ノ湖 成川美術館 2020年10月15日 (木)~2021年3月10日(水) 「日本画を描いて来て想う事」 前本利彦 私が日本画を書き始めたのは 美術大学の日本画科に入…

第四十四章 「オランピア」2020・7

「オランピア」50号F 夏は夜と言う。八ヶ岳では 初夏は夕暮れである。初夏 雨上がりの夕暮れ 窓越しに鈴を振るような虫の音 ひぐらしの声 花の香りが流れてくる。甘い花の香に満ちた涼やかな夕暮れ。一日を暮らした緩やかな夕陽が森を照らす。 冒頭の前本の…

第四十三章 「月下美人」2020・6

「月下美人」扇面 九年前の白い花の咲く頃 私達は八ヶ岳南麓に移り住んだ。今年も白い花ばかりが咲く季節になった。 小雨の降る6月の初め 葉山の家を後にした。新しい家に近づくにつれ晴れて 明るい木洩れ日のあふれた森に 白い木の花がこぼれるように咲いて…

第四十二章 「菊花俑」2020・5

「菊花俑」10号F 私の四月は 切り取られて風に運ばれ 何処かへ行ってしまった 。何があったのか定かには思い出せない。ちらちらと小雪が舞う日もあり寒さに震えていたこと 四月最後の日に茶虎が死んだこと。十八年共にした美雨はあっけなくこの世から消えた…

第四十一章 「聖夜」2020・3

「聖夜」 「自己主張が一番いけない」と前本は常々言う。 自己主張 これは一体どの様なことか。 私が幼い頃 戦後間もない日本では 自分を第一に考えたり ふるまったりする事などは品の無い事だといった風潮がまだあった。奥ゆかしさ 遠慮という事がごく当た…

第四十章 「遊蝶花」2020・2

「遊蝶花」 6号 北杜市は水の町である。有名なウイスキィー ワイン 日本酒の蒸留所がそこら中にある。豊かな清水が流れる用水路もどこにでもあり その冷たい流れは恐ろしいほどの勢いである。吸い込まれるような急流に危険を感じる。 流れに翻弄されながら枯…

第三十九章 「椿の海景」2020・1 

「椿の海景」 新しい年になった。葉山に居た頃は 新年の海を見にゆくのが楽しみだった。茶屋の見える岬や 御用邸の脇を抜けて眼前に開ける冬の海は静かで麗らかであった。 あの頃私は家から海沿いの国道までを 北風に逆らいながら歩いて居た。それが心地よか…

第三十八章 「十一月の薔薇」2019・11

「十一月の薔薇」8号 十一月は昨年同様 暖かい日が続いた。晩秋から初冬の趣に変わるのは月末になってからである。流石に冷え込む日も増えて 隣の家に鹿の一家が朝食に来るようになる。いよいよ冬眠の準備をしているのだろうか。ほっそりとした若鹿はおっと…

第三十七章 「昼の月」2019・10

「昼の月」 十月に入っても暖かい。こんな年は初めてだ。湿度が高く この辺りには居ない筈の蚊がいる。 赤トンボの群れが舞って 菊が咲き 森の向こうに月が掛かった。 日本画と言えば 月である。ここへ来てすぐ 前本は月を見ながら歩いて左足首をねん挫した…

第三十六章「鳩のいる花々」2019・9

九月も半ばになった。ようやく秋らしい夕空が見られるようになって 野の花が咲き出した。 山に自生する野の花は 笹に阻まれてなかなか育たない。この笹をなんとか撲滅して 原っぱを作り そこに野の花が咲いてくれることを願って 笹を刈り続けた。十年近く経…

第三十五章 「卓上の夏」 2019・8

「卓上の夏」 10号F ほうずき市が過ぎ 七月も終わろうとする頃 ようやく梅雨が明けた。駅までの道すがら 夏の花が賑やかに咲く。色とりどりの立葵がトウモロコシ畑の横に所狭しと植えられて陽を浴びる。勢いを増した畑の作物と 無造作にゴテゴテと植えられた…

第三十四章 「あじさい公園から」2019・7

「あじさい公園から」 15号F ことしは6月7日に梅雨入りした。このひと月ほどの間 晴れた日は数日で 霧は昼夜を問わず森を覆い 墨絵の中に居るようだ。寒い。そんな陽気でも山の花々は鮮やかな姿をみせてくれる。しもつけそうとオダマキの 小雨の中で見せる淡…