第四十二章 「菊花俑」2020・5

「菊花俑」10号F 私の四月は 切り取られて風に運ばれ 何処かへ行ってしまった 。何があったのか定かには思い出せない。ちらちらと小雪が舞う日もあり寒さに震えていたこと 四月最後の日に茶虎が死んだこと。十八年共にした美雨はあっけなくこの世から消えた…

第四十一章 「聖夜」2020・3

「聖夜」 「自己主張が一番いけない」と前本は常々言う。 自己主張 これは一体どの様なことか。 私が幼い頃 戦後間もない日本では 自分を第一に考えたり ふるまったりする事などは品の無い事だといった風潮がまだあった。奥ゆかしさ 遠慮という事がごく当た…

第四十章 「遊蝶花」2020・2

「遊蝶花」 6号 北杜市は水の町である。有名なウイスキィー ワイン 日本酒の蒸留所がそこら中にある。豊かな清水が流れる用水路もどこにでもあり その冷たい流れは恐ろしいほどの勢いである。吸い込まれるような急流に危険を感じる。 流れに翻弄されながら枯…

第三十九章 「椿の海景」2020・1 

「椿の海景」 新しい年になった。葉山に居た頃は 新年の海を見にゆくのが楽しみだった。茶屋の見える岬や 御用邸の脇を抜けて眼前に開ける冬の海は静かで麗らかであった。 あの頃私は家から海沿いの国道までを 北風に逆らいながら歩いて居た。それが心地よか…

第三十八章 「十一月の薔薇」2019・11

「十一月の薔薇」8号 十一月は昨年同様 暖かい日が続いた。晩秋から初冬の趣に変わるのは月末になってからである。流石に冷え込む日も増えて 隣の家に鹿の一家が朝食に来るようになる。いよいよ冬眠の準備をしているのだろうか。ほっそりとした若鹿はおっと…

第三十七章 「昼の月」2019・10

「昼の月」 十月に入っても暖かい。こんな年は初めてだ。湿度が高く この辺りには居ない筈の蚊がいる。 赤トンボの群れが舞って 菊が咲き 森の向こうに月が掛かった。 日本画と言えば 月である。ここへ来てすぐ 前本は月を見ながら歩いて左足首をねん挫した…

第三十六章「鳩のいる花々」2019・9

九月も半ばになった。ようやく秋らしい夕空が見られるようになって 野の花が咲き出した。 山に自生する野の花は 笹に阻まれてなかなか育たない。この笹をなんとか撲滅して 原っぱを作り そこに野の花が咲いてくれることを願って 笹を刈り続けた。十年近く経…

第三十五章 「卓上の夏」 2019・8

「卓上の夏」 10号F ほうずき市が過ぎ 七月も終わろうとする頃 ようやく梅雨が明けた。駅までの道すがら 夏の花が賑やかに咲く。色とりどりの立葵がトウモロコシ畑の横に所狭しと植えられて陽を浴びる。勢いを増した畑の作物と 無造作にゴテゴテと植えられた…

第三十四章 「あじさい公園から」2019・7

「あじさい公園から」 15号F ことしは6月7日に梅雨入りした。このひと月ほどの間 晴れた日は数日で 霧は昼夜を問わず森を覆い 墨絵の中に居るようだ。寒い。そんな陽気でも山の花々は鮮やかな姿をみせてくれる。しもつけそうとオダマキの 小雨の中で見せる淡…

第三十三章 「とびだす絵本」2019・6

「とびだす絵本」 10号 5月の末に 郭公が鳴いた。今年の気候はいつになく不安定で とても寒い。6月の7日に梅雨入りしたがいつまでも晴れた日が続き肌寒い。朝夕だけでなく終日ストーブ を焚く事もある。朝霧が流れてくる。陽が昇ると清々しい風が晴天をもた…

第三十二章 「マリエッタストロッチの彫刻」2019・5

「マリエッタストロッチの彫刻」 五月も十日が過ぎてようやく桜が咲いた。 「庭に菫が咲くのも」西脇順三郎の詩が思い浮かぶ季節になった。白いレースの装丁が好もしい 懐かしい詩集。詩歌や和歌は 心に情緒を纏った前本のような人のためのものだ。情緒纏綿…

第三十一章 「文鳥と桜」2019・4

「文鳥と桜」 四月に入って雪が二回降った。半ばを過ぎても 朝から小雪混じりの寒風が吹く日があり 日陰の残雪は未だに消えない。桜は連休中には咲くのだろうか。 四月というのはいつもめちゃくちゃだ。夏の様になったり 雪が積もったりする。毎年のことなの…

第三十章 「パンジーと白猫」 2019・3

「パンジーと白猫」 家々の玄関先にパンジーの寄せ植えが並ぶ 都会の早春を思い出す。八ヶ岳では 三月に入ってから寒い日が続いている。パンジーなど何処にも見当たらない。梅も桜も固い蕾をつけたまま じっと黙り込んでいる。 パンジーは三色菫で ワインは…

第二十九章 「甲斐駒三月」 2019・2・18

「甲斐駒三月」 今年の冬は特別である。雪の無いお正月 雪の無い二月 雨も降らない。道は乾いて風で土埃が舞い上がる。春先の景色。 一月の半ばにみぞれが一度降ったきりで それもすぐに乾いてしまった。氷点下十度以下になるはずの二月に入っても春のような…

第二十八章 「静日」 2018・12・25

「静日」 91.0×72.7 前本の作品集は貸出中である為 今回は私の作品である。残り僅かとなった2018年は戌年である。私は人間の友達より 犬の友達の方がはるかに多い。この絵のチャイという犬とは格別長い付き合いであった。私の人生のなかでも一番波乱に満ちた…

第二十七章 「普賢菩薩」

「普賢菩薩」(47×47) 多忙極まる日々が続き 二ヶ月以上ブログを書くことが出来なかった。季節は晩秋から初冬になった。夏も好きだが 初冬は格別だ。私は コートを来て外に出るのが大好きだ。それは オーヴァーコートと言っていたコートでなくてはならない…

第二十六章 「猫と牡丹」 2018・9

「猫と牡丹」20号 暑かった今年の夏はあっけなく終わった。九月に入ると雨ばかりで気温も低くなり 台風が来ては去り又来ては去り 十五夜も雨だった。富士山の初冠雪は昨年より27日も早く ストーブを点ける日が多くなった。 今の時期に猫と牡丹でもないのだが…

第二十五章 2018・8 「秋野」

10号変 「秋野」 八月も終わりに近づいた。例年ならお盆を過ぎると朝晩の気温が下がり 秋が始まる。短い夏が終わったと寂しく思うのだが 今年はまだ夏である。このブログを書き上げるのは九月になるだろうから 夏の百合と秋草が描かれた前本の作品を冒頭に掲…

第二十四章 「沙羅」 2018・7

円窓「沙羅」 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 沙羅 夏椿とも言う。何故か心惹かれるこの花が咲いて 夏が来た事を知る。小さな花で あっさりと散ってしまう。平家物語の冒頭の一節に相応しい趣き深い 静かな木…

第二十三章 「薔薇」 2018・6

「薔薇」 4号 沢山の蕾が見え始めた。私の薔薇は一年に一度しか咲かない。四季咲きはここでは育たない。年に三度程咲くイングリッシュローズも一度しか咲かない。それが自然というものではないのか。それで充分なのだ。人間は 何とか一年中薔薇を飾りたいと…

日本画の杜 第二十二章 「黒猫」

前本利彦 「黒猫」12号 五月に入り 森は緑に変った。冬枯れの木立に小さな芽が吹いているのを見つけた。 それから三日で樹々は新しい緑に覆われ 森は萌え立つ。目を見張るばかりの自然の妙である。山躑躅が咲いた。山吹も咲いた。夏のような日があったり 長…

日本画の杜 第二十一章 「誘蝶花」

誘蝶花 四月になった。小雪が降ったり 初夏のように暑かったり 目まぐるしく変わる陽気とともに春が来た。今は四月の半ばであるが この森の桜は満開で 梅も満開で 窓の外は賑やかになった。キビタキやアカゲラが朝の食事にやって来る。鶯は四月三日に啼いた…

日本画の杜 第二十章 「八千草屏風」 2018・3

「八千草屏風」四曲一双 部分 箱根芦ノ湖「成川美術館」が開館三十周年を迎えた。館主の成川さんとも三十年来お付き合いをさせて頂いた事になる。本当に長い間 お世話になった。成川美術館に収蔵されている前本の作品は百点以上になるだろう。 始めて成川さ…

日本画の杜 第十九章 「雪の季節」 2018・2

午後から「雪」の予報。雪の降る前 空は柔らかく澄んで ふんわりとする。ほんの一瞬の美。 雪雲が近付いている 氷柱のある窓辺 雪の降る季節 真っ白な光に包まれた 音の無い 大きな繭になる。 繭の中で私は昨年の素描を見直す。 昔 加山先生がこの頃の学生は…

第十八章 「前本利彦の人物画 No.2 」 2018.1

新年の八ヶ岳は例年より遥かに寒かった。よく晴れた日は寒さが一段と厳しい。スカートしか持っていない私がついにズボンで過ごさなくては居られなくなった。不本意極まりないが背に腹は代えられぬ。どなたにもご覧にいれたくない姿で新しい年を迎えた。 猫の…

第十七章 「前本利彦の人物画  No.1」2017・12

「春」屛風四曲一双 1993年 「装う女」 屛風四曲一双 1993年 いつかは前本の人物画について書かなければならないと思っていた。あまりにも大きなテーマであるのと 満足な作品写真が手元に無い事が私の決心を鈍らせていた。 今年の冬は例年になく寒い。早い時…

日本画の杜 第十六章 「野田村へ」 2017・10

秋になった。十月の始め 空気が冷たくなって夜の森から冬の匂いがした。今年の秋はとても寒い。寒いけれど 懐かしい冬の匂いは私の心に暖かい火を灯す。幼友達に出会ったように心躍る。季節外れの台風が去った後 富士山に初雪が降った。月末には木枯らしが吹…

日本画の杜 第十五章 「八千穂へ」 2017・9

九月になった。よく晴れた秋空に乾いた風の吹き抜ける朝 前本は小海線に乗って八千穂に出掛けた。家から歩いても行けるJR小海線の 甲斐小泉駅から一時間ほどで八千穂に到着する。 甲斐小泉駅には懐かしい電話ボックスがある。駅員の居ない駅は夏の間以外いつ…

日本画の杜 第十四章 素描 「朝顔」 2017・7・8

に 素描 「朝顔 青」 素描 「朝顔 桃」 朝顔の咲かない夏だった。前本の朝顔 夏の花々の素描で夏を偲ぶ。 薔薇が終わり 夏の花壇を楽しみにしていた私達は思わぬ夏を迎えることになった。梅雨明け宣言の三日後 七月二十二日 立木も割れんばかりの雷に心踊っ…

日本画の杜 第十三章 「硝子の箱の薔薇」 2017・6

「硝子の箱の薔薇」 6号S 私達が八ヶ岳に越してきたのは六年前の六月だった。葉山を出る時は梅雨空から小雨が降っていた。小淵沢に着くと快晴で 明るい陽射しに向かって伸びあがるように咲いた真っ赤な罌粟が ようこそと満面の笑みで迎えてくれた。見渡す限…