日本画の杜 第十二章 「牡丹」 2017・5

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 桜の四月 牡丹の五月 毎年毎年前本は桜を描き 牡丹を描く。何十年にもわたって描いてきた夥しい数のスケッチと 牡丹の作品は沢山あるのにどれも気に入らない。お目に掛けられるものは無いと申すので 今回は作品ではなく今年写生に行った牡丹園で前本が写した写真の牡丹をご紹介することになった。

 

 

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 どんな花にもそれぞれの美しさはあるが 梅 桜 牡丹には特殊な美が在る。東洋の香気と言ったらよいだろうか 特に桜と牡丹には妖気を感じる。日本画の絵の具が一番生かせる花でもある。

 

 五月が来ると加山先生の画室は牡丹の鉢植えに取り囲まれる。 重く冷たい香りだけが漂う 音の無い空間はこの世のあらゆるものごとから切り離されていた。深い静寂の中で 先生は長く削りだした 鋭い芯の鉛筆で黙々と重ねの多い花びらを写していらした。

 

 牡丹の話をしていると その香気迄余すところなく描いた 牡丹の名作を見たくなる。明治以降の日本画家で牡丹の名作と言えるものを残しているのはこれらの作家だけである。 御舟 靫彦 古径 土牛 丘人。日本画を理解するには 名作だけを繰り返し見ることしかない。

 

 どこが良いかとか この絵は何を描こうとしているのかと言ったような 理屈で理解しようとせず 唯々見ることが大切なのだ。構図がどうとか色がどうとかなどと頭で考えることはもっての外である。繰り返し繰り返し見ていればよい。名作だけをである。ある日たまたま駄作と言ったものに出会った時 とんだお目汚しだわ と思うはずである。

 

 

 

 

 

速水御舟 「墨牡丹」

 

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     ―生命の花ー                   速水御舟

 私は、かつて宗教的概念からヒントを得て、その神秘感を絵画に表現すべく随分モチーヴを尋ね廻ってみたことがあった。夜の寂寞(しゃくまく)たる大地の底から秘かに曙の微動は巡り、み空には明星の一群が美しく煌めいていた。私は夜明け前の不忍池畔にただ一人佇んで清浄な蓮の開花の音も聴いたが、しかし自分が求めたような、自然の秘奥にある無限の深さを持った美は把握できなかった。

 それから数年後に一つの花の写生を克明にしてみて、初めてかかる微細なものにさえ

深い美が蔵されていることを発見して秘かに感嘆した。げに絵画こそは、概念から出ずるものにあらずして、認識の深奥から情念が燃え上がって初めて造り得らるる永遠に美しき生命の花である。                    昭和八年 十月

 

 

 昔の文章であるうえ 絵描き独特の言い回しである。加山先生も前本もこの種の文章を書く。慣れないと この持って回った文章には参ってしまう。もっとさらっと書けないものかと思った。しかし よくよく読んでいるうちにこの絵描きらしい文章に物凄いリアリティーを感じるようになるものなのだ。一片の嘘もはったりもてらいもない 何とか思っていることを伝えたい一心で書いた文章だろう。今や私は絵描きはこうでなくてはならないと思うようになった。分かり易いものには飽きてしまった。口当たりの良い柔らかいものばかり好んでいると人間は退化する。

 

 

 

 

 

安田靫彦 「洛陽花」

 

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 「写実の勉強が大事でしょうね。写実と言ったって、ただ写真のようにやるってことじゃないでしょう。そのなかからいい形や線や色を見いだすとか、いろんなことが言えましょうけども。

 自然において造物主が非常に美しいものを造ってくれるので、そのなかからよいものを教えて貰うわけですが、史上においても優れた古画からもよい造形性を教えられます」

 

 

 これは靫彦の言葉である。絵を描くものにとって これ以上の教えは無い。

靫彦は生涯にわたって病弱で外の風にあたることが出来ず 画室の中だけで描き続けた作家である。歴史画が多いのはそのせいである。庭の花も縁側から硝子戸越しに写生していたようである。亡くなったのは九十四才であるから 一病息災とはこのことではないかと思う。「洛陽花」は靫彦の面目躍如たる端正このうえない美しい作品だ。靫彦以外の誰もこの様な絵を描く事は出来ないであろう。

 

 

 

 

 

小林古径 「牡丹」

 

 

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 この作品は古径の絶筆である。全てが古径そのものであり 完成した作品ではないが胸に迫る名作だ。牡丹の散り際をご存知だろうか。ある気配が一片の花びら落とすや否や残り全ての花びらが 一斉にしかも瞬時に散り落ちる。この絵はその瞬間を描いたのだろうと私は思っている。その重たげな 今散ろうとする花を 画面上で支えているのは上に向かってすっと伸ばした細い茎 そしておなじ方向に伸びた新葉である。まだ下塗りの段階であろうが この時からこの若葉を一枚だけ緑青で塗っている。花の終わりと新しい葉。

 古径は自らの死を予感していたのだろうか。

 

 

 

 

 

奥村土牛 「墨牡丹」

 

 

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 「島根県の松江に大根島というところがありますが、知人が居りまして、そこが牡丹の名所なので毎年牡丹の頃、飛行機で4時間で着くものですから、切ったばかりの牡丹を送ってくれます。墨牡丹というのがあると話では聞いていまして、一度見たいと思っていましたが、今度初めて見ることができ画心をそそられました。」

 

 

 土牛らしい口調そのままの微笑ましい話である。しかし すごい作品だと見るたびに恐れ入る。江戸っ子らしい粋な牡丹であるが こういったさっぱりとした作品は名人にしか描けない。分厚い修練の成せる技と言えよう。土牛はセザンヌを敬愛し セザンヌの物ならすべて集めていたという。昨日と同じことをしていては明日という日は訪れないと繰り返し述べている。

 加山先生がいつも言っていらしたが 「ああ こんな絵だったら自分にも描けると思わせる作品こそが一番描けないものだ 一流の絵っていうのはそういうものだ」と。この墨牡丹などはその最たるものであろう。

 

 

 

 

山本丘人 「星空の牡丹」

 

 

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 「黒い空間に純白の花をと意図したが、偶々牡丹の花を知人にいただき、これを素描

 して画く。空間はそのまま空間であってはと、星空の下の幻花とした。」

 

 

  なるほどね と思う。見るたびに丘人はすごいと思う。先の新古典派と呼ばれる作家とは一線を画している。しかし唯新しいだけではない 確固たる真実味があり日本画を熟知した上で新鮮な日本画を創造した作家である。

 

 

 

 

 

 

  初夏の白い花達

 

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                 大手鞠         

 

五月になって 向こうの森からカッコウの声が聞こえてここには夏がくる。初夏の花は

白ばかりだ。今年は雨が少なく気温の高い日が多く 森のみどりはひときわ鮮やかだ。

ソーダ水のみどり。

 

 

 

 

 

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                    ティアレア

 

 

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                    白山吹

 

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                鳴子百合

 

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                                            アロニア

 

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                白つつじ

 

 

 

 

 

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                 クレマチス

 

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               名前を知らない花

 

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          小さな白い花の咲く雑草と綿毛になったタンポポ

 

 

 

 白い花の咲く頃 風に吹かれて庭のベンチに座っていると「さあ 神様を呼びましょ」と言って熊手とちりとりを幼い私に手渡した祖母の声が聞こえてくる。

 私は祖母に育てられた。祖母は朗らかでこの上なくお洒落で絵と字の上手な人だった

「お花がないと生きていけない」のでいつも庭にいた。二人で庭の掃除をした。

「枯れた葉っぱを取っていつも綺麗にしてやって きれいだね きれいだねって褒めてやっていろんなお話をしてお友達になれば 綺麗なお花を沢山咲かせてくれるよ」

「まずはお庭のお掃除をして神様に来てもらわないと」

「お掃除をすると小さな神様が沢山飛んで来なさって 葉っぱの先やお花の上に乗っかってくれるんだよ」祖母の言う通り 綺麗になった庭のあちこちに小さな神様が降りていらした。

 

 

  

 

 

 

  

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 そろそろバラの季節になる。今年初めて咲いたのは女神の名を持つ暖かい白に杏いろの溶け込んだこの花だった。

    

 

 

 

 

 

                 🌹