「薔薇」 4号
沢山の蕾が見え始めた。私の薔薇は一年に一度しか咲かない。四季咲きはここでは育たない。年に三度程咲くイングリッシュローズも一度しか咲かない。それが自然というものではないのか。それで充分なのだ。人間は 何とか一年中薔薇を飾りたいと願い 四季咲きの品種を作った。人間が自然を捻じ曲げ 自分たちの都合の良いようにする事を改良と呼ぶのはおかしいと思わないのか。こんなに横暴で 勝手なことは無いと思う。
一年間待って咲く花は 殊の外嬉しいものだ。 今年は早くから気温が上がり 例年より十日以上も早く咲き始めた。花の色も鮮やかだった。花は年々歳々違うものである。
一年ぶりに出会えた私の薔薇たち なんといとしいその色 懐かしいその花容。
遠くの山々に夕焼雲がかかり 月が昇る。真っ暗になるまで庭に居たいのは何故なのか何故こんなに楽しいのか 定かではない。幼い頃に培った習性かもしれない。私が生まれ育った西荻窪は 「西荻村」と言われていた。田舎だった。戦後間もない昭和二十年代の武蔵野は 竹藪と野原と背の高いクヌギや欅に囲まれて 二階の窓からは富士山が見えた。幼い私は 真っ暗になるまで庭で遊んだ。勉強机に向かった記憶はない。
夕霧が流れてくる。別世界になる。測り知れない神の秘密。
快晴の朝が来て 私は庭にいる。ジャンヌダルクが咲いた。薄い杏子色がごくわずか混ざった あたたかな白 飾り額を持った蕾 クラシカルな七枚葉 ボッチェリの薔薇。 私は古典的な花が好きだ。
虫に食べられた葉が微笑ましい。ここでは殺虫剤を使わない 薔薇特有の病気を予防する消毒液もかけたことがない。
庭で雲のように浮かぶ由なしごと。コンセプチュアルアートと言うものが流行り出したのはいつ頃だったのか。私は加山先生にそれはどういうものかと聞いたことがある。「考え方をを表示するような作品の事 例えば「美術館の壁」ー美術館に空の額縁だけを掛けた作品ー みたいものかな。結局のところ藝術も行き詰ったと言う事じゃない。長い歴史の間にあらゆるものが出尽くしてしまうと 新しいものといったところで 大したことないね。」
挙句の果て こんな凄い事を思い付いた こんな斬新なアイデァを思い付いた と言った事をみんなに披露する人をアーティストと呼ぶようになった。内容空疎な表面的なことことばかりが横行するようになった。心を忘れた。普遍の美などと言うと鬱陶しがられるのだろうか。それでも私は表面的なことを追求するために生涯を掛ける気にはならないな。そんな莫迦みたいなことに 嫌だな。雲を見上げるとすっかり形を変えてゆっくりと流れている。
アッシュウエンズデー 灰の水曜日。灰紫というクレヨンが一番好きだったことを思い出す。この色ばかりが減っていた私のクレヨン箱。子供の頃から祖母の着物を見て育ったせいか 私の手持ちの色は日本の古色というべき色なのだ。私の色感の大元を養ったのは 古典的で渋い祖母の着物や帯であったらしい。外に向かって主張する鮮やかな色が苦手だ。目を射るような色だね と言う祖母の声がする。深層からそこはかとなく香り立つ 複雑で深い色。それこそが 墨や胡粉 天然の岩絵の具の持っている色彩である。それらの天然素材は 自然の持つ色そのままである。今は この空と 山々 森や小鳥 花々 全ての自然が 私の色感を育てている。
美大に通っていた頃 批評会で何度か見た前本の作品に 自分と共通する何かを感じていた。淡く 寂しげな 渋い色合いの作品ばかりを描いているこの人は一体どんなひとなのだろう。私が感じている感情と似たような感情を抱いている人がいるのだ と思った。後々 私はそれが何だったのかを知った。
私達は 家庭的な温かさとは無縁に育った。家族や家庭というものに希望の持てない種類の人間がいるものだ。私は初めて同類に出会った。世間的に私達は金婚式を迎える夫婦という事だが 未だに私は前本を夫と思えない。絵に対する思いだけが全くと言ってよいほど同じであり 絵の話をすればこれほど酷似した考えをもっている者はいないと思う。しかし その他の事は全く話にならない。それは誰のせいでもない。資質であろう。絵を描くことにしか希望の持てない資質を持って生まれてきた という同類。全て 運命である。
前本は手に土がつくのを嫌う。いつも手を洗っている。私は素手で庭仕事をする。土に膝まづき土にまみれ 薔薇の棘で傷だらけになり 体中ゴミだらけになって薔薇の間をすり抜け くぐり 這いずり回っているのが愉快なのだ。それを前本は野生動物を眺めるように窓辺から眺める。前本は私の庭の扉を開けたことがないのだ。
どうぞ 私の薔薇庭の扉を開けてご覧ください。
とてもとても 親しくしている親友 シャルル ド ミル 今年は特に美しく私にとってこんなに幸福な事は無い。
私の薔薇達 又来年まで ごきげんよう。
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