第二十九章 「甲斐駒三月」 2019・2・18

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                             「甲斐駒三月」

 

 

 

 

今年の冬は特別である。雪の無いお正月 雪の無い二月 雨も降らない。道は乾いて風で土埃が舞い上がる。春先の景色。

 

一月の半ばにみぞれが一度降ったきりで それもすぐに乾いてしまった。氷点下十度以下になるはずの二月に入っても春のような暖かさが続いている。朝方は小雪が舞うことがあっても お昼をすぎれば来る日も来る日も 蜜柑色の午後が訪れる。

 

 

 

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私はテラスの手すりにもたれて桃色の雲が流れてゆくのを眺めている。ここが私達の終の棲家になるだろう。木で出来た 古い小さなこの家が私は好きだ。毎日この空を眺めて幸せこの上ない。

 

静かに暮らしたかった。都会で色々な人に囲まれ いろいろな所へ出掛けなくてはならないせわしない暮らしをした。自分を見せる事に終始しているのが都会の暮らしのような気がしていた。自分を飾り 良く見せるための小さな噓 保身の為のはったり 欺瞞に満ちた生活。自己実現とは何ぞやと思った 発信しなければなりませんとは如何なることか。少しの得を求めて情報に群がり 仲間外れにならないように走り続ける人々。素敵な生活をしていることを顕示し 素敵な服を次々と買いあさり そして捨てる。美味しいものをあれもこれもと食べ歩く。素敵な生活 お洒落なガーデン 可愛いペット 素敵な家 素敵なキッチン お洒落な食事。それを顕示する為の人寄せ。お世辞ばかりのお喋り。

虚しい。空虚な日々。

 

私にとってはどれ一つとして魅力がなかった。私に必要なものは都会には何一つ無かった。

私は写生をしたり 字を書いたりして静かに時を過ごすのが好きなのだ。字と言えば 最近目にする文字のあざとさに呆れかえる。子供達の鉛筆の持ち方の悲惨さには言葉を失う。その中で 清涼な風のように 藤井七段の揮毫した書の 教養ある伸びやかさに心惹かれた。すっと素直な字を書く事が出来るのは普段から良い書に親しんで習っているからであろう。最近は鉛筆をどのように持とうが 字が書ければそれでよいらしい。

早い話が結局は どれだけ優秀な所に就職できるかだけが問題なのだ。生まれた時から

就職活動を強いられていると言っても良い。表面さえ整えば内面などどうでも良いのだ

書画などは一文の得にもならない。実際そうである。

 

一文の得にもならない事がしたいと思ってしまったのが前本と私の人生である。笑ってくれて構わない。貧乏と隣りあわせの人生である。そうすることが素晴らしいとか尊いとか高尚だとか使命だとか そんな風に思っている訳ではない。それしかする事が見当たらないと言ったら良いのだろうか。美しいものが三度の飯より好きなのは間違いない。美しいものを知る喜びを知ってしまった。

 

 

 

 

 

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これは唐時代の書家 褚遂良の雁塔聖教序である。この書を初めて見たのは三十代の頃であろうか。先生のアトリエで いつものように先生はお客様がありとてつもなく広く散らかった鶴見のアトリエは 画集と書のお手本の宝庫であり私はいくら待たされてても構わなかった。最近は 褚遂良は線が細くとげとげしい気がして余り習わないが 初めて見た時は強く惹かれた。「木」という字の美しさに魅了され 先生の筆を借りてその場で習った。やあ 悪かったですねと先生が戻っていらして 褚遂良を見てたのとおっしゃりながらお手本を書いて下さった。先生は褚遂良を随分と習っていらした。

 

 

 

 

 

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同じく唐代の書家欧陽詢の九成宮醴泉銘 穏やかな文字と奇抜な文字はやさしいといわれる。欧陽詢は奇極まって正となり しかも真の穏やかがある。深い研究と鍛錬無くしては到達できない創造のたまものである。穏やかであるのに強く 角ばっていながらふくらみがある。

 

 

 

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欧陽詢より一つ年下の虞世南の孔子廟堂碑。私は虞世南の字が好きだ。あざとさ

が無く伸びやかで静かな気品がある。

 

 

名誉や利益 欲や煩悩から解放されなければこの様な書を書くことはできない。書画は雑念を捨て無我無心になった時に自分が滲み出るものである。こうしたら褒められるかこうしたら売れるかと 小手先の技巧に走り 浅知恵を絞って個性的な作品を作ったところで全く意味のない駄作しかできないということを唐代の書家は語っている。

 

 

 

 

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夕暮れ時 私はフクロウが啼き出すの待っている。大きな声で ホウと一声啼いたあと詠うように  ホッホ ホー ホウホウホウと啼く。森の何処でたった一人で歌っている。温かく寂しく 森を包む。

 

 

 

 

 

               ☁ ☁☁