第三十二章 「マリエッタストロッチの彫刻」2019・5

 

 

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                       「マリエッタストロッチの彫刻」 

 

 

 

五月も十日が過ぎてようやく桜が咲いた。

「庭に菫が咲くのも」西脇順三郎の詩が思い浮かぶ季節になった。白いレースの装丁が好もしい 懐かしい詩集。詩歌や和歌は 心に情緒を纏った前本のような人のためのものだ。情緒纏綿たる前本の資質に事あるごとに驚かされる私にも 好きな詩がある。西脇順三郎の詩は 言葉が乾いている。音楽の響きとリズムある。詩集を開くと現実味を失った世界が出現する。何が言いたいか どんな事が詠われているのかと言った無粋な解釈を要求しない。多少気障な部分もあるが許せる範囲である。私は何に於いても 現実的な表現 直截な表現が嫌いである。勿論 絵についても同様である。

 

若冲などのどこが良いのか分からない。現実を執念深く描き込んで これでもかと言われると辟易とするではないか。この人は 眼に見える物しか描いていない。眼には見えない物の存在を知らぬかのようだ。ムンクなどもどこが良いのだろうか。大体において具体的な情景が描かれているような絵は大したことがない。水準の高い作品に直截な表現は見られない。挿絵のように物語性の強い作品は 解り易い為か人気はある。藝術と人気は無関係である。絵を見る時 何が描いてあるかでは無く美の水準の高さをみるべきである。色彩 構図 描写力と言った観点から作品を鑑賞することは初歩的な見方であって 優れた芸術作品にそのような事は既に完璧に備わっているのであるからそれを超えた美そのものに触れることである。第一級の作品だけを見続けることでその鑑賞眼は養われる。

幼い頃 祖母が新宿のデパートへ度々連れて行ってくれた。高級品ばかりが並んだ売場を見て回るのである。「本当に良い物を知っていれば大概のものは欲しくなくなるよ」と祖母は言った。素晴らしく手の込んだ織り帶 最高の皮を使った瀟洒なバッグ 溶けるような風合いのナイトガウン 夢のような色に染められたスカーフ。絵画 彫刻。外国の骨董品。工芸品 指物。祖母は私にそれらの尊さを真剣に教えた。帰りの省線で「眼の保養をしていればつまらないものは欲しくなくなるよ」と祖母は言った。そして「本当はね 見るだけじゃつまらない。自分で作ってみたいんだよ」と言った祖母の子供のように純粋なまなざしが忘れられない。祖母は私に絵を教えてくれた最初の大人である。書も教えてくれた。私は子供ながら 何でも自分で作ってみたいと思うようになった。見るだけではつまらない 美しいものを自分でも作ってみたい。これが私の原点かも知れない。結局 加山先生も前本も 見るだけでは飽き足らない種族である。美しいものを生み出す事に生涯を掛けて惜しくないという人達。

 

祖母と私は西荻窪こけし屋でミルクセーキを飲んで いつものように小さなガラスの動物を一匹買った。

今でも私の欲しいものは最高級品であるから 実際に買えるものではない。しかしそれ以外のものは本当に欲しくなくなるのだから 幼い頃の教育とは有り難いものである。

絵を観る時も同様であって 最高の作品ばかりを観ていればおのずと駄作が分るようにになる。 

 

 

           カルモジインの田舎は大理石の産地で

           其処で私は夏をすごしたことがあった

           ヒバリもいないし 蛇も出ない

           ただ青いスモモの藪から太陽が出て

           またスモモの藪へ沈む

           少年はドルフィンを捉えて笑った

                  

                   西脇順三郎「太陽」)        

 

     

 

 

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菫 タンポポ 花海棠 そして八重山吹が咲けば本当の春になる。町にいた頃 春は待つ間もなく あっけなく通り過ぎた。ここでは春を待つ時間はおそろしく永い。

 

 

 

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             春の始まりを告げるのは八重山

 

 

 

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               一斉に咲く花たち

 

 

 

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         薄霧の流れる早朝 私の庭にも桜が咲く。

 

 

 

                 山の桜

 

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           山桜は空を覆い尽くす 間断なく花びらが舞う

 

 

私達一家は降りそそぐ花びらの山道を歩く。長閑な幸せ。この幸せに巡り合うまで七十年の歳月を要した。

困った時人は進化する。困ったことに直面したらとことん困っていれば良い。独りでその底から這い出そうと苦心惨憺するうちに人は進化している。何度もそうしているうちに翼が生えて飛べるようになる。私は青い鳥の翼では無く 確実に自分の翼でここまで来た。しかしまだまだ先は長い 途方もなく長い。更に新しい翼が必要になるであろう。そして出来る事なら いつかはセザンヌの壺のようになりたい。

 

 

          「苦しんだ人間はセザンヌの壺のように美しい」

                              西脇順三郎

 

 

 

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                 八重桜が咲き

 

 

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               若葉の季節が訪れた

 

 

 

 

 

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