第四十五章 「椿下白猫」2020・8

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                                                                                      「椿下白猫」50号P (成川美術館所蔵)

 

 

      延期されていた成川美術館での個展の日程が決まりました。

           

     

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         箱根芦ノ湖

        成川美術館

    
                 2020年10月15日 (木)~2021年3月10日(水)

      

 

      「日本画を描いて来て想う事」 

                     前本利彦

 

 私が日本画を書き始めたのは 美術大学日本画科に入ってからです。その頃はアメリカがベトナム戦争に参戦しており 中国が文化大革命に沸いていた頃です。日本ではそれら世界の動向に乗じたように 学生運動が起こっていました。そのような時代背景の中で 革新 新しい日本画が叫ばれ私も新しい日本画を考えていました。しかし自分が描いている新しい日本画に 意気込みと同時に或る空しさを感じていました。時代の雰囲気を取り入れる事で新しさを表現するような事ではなく もっと確かな手掛かりが欲しかったのです。その頃の私達の多くは 伝統を否定しなければ新しいものは生まれないと考えていました。やがて私はその考えに疑問を持つようになりました。私達はそれ程伝統を知らない事に気が付いたのです。知らないものをどうして否定出来るのだろうと思い至りました。それから私は古典を意識する方向に向かって行きました。そして辿り着いたのが古径 靫彦 御舟などの新古典主義でした。深い精神性と洗練された美意識 卓越した技術に心を奪われたのです。ここまでの高みに磨かれて来た近代日本画を足場にして 私達は進まなければならないと思いました。五十歳を過ぎた頃からでしょうか 私は身の回りの自然が今迄より深く美しく感じるようになりました。年齢の所為もあり 命を身近に自覚するようになったのです。私の目は自然に向かうようになりました。それ迄私の絵は頭の中でイメージを創り上げる傾向にありましたが 自然に目を向けるようになって 自分の頭の中で創り上げたものが脆弱で狭いものである事を知りました。絵は見る事だと思うようになりました。見て 心で感じ 自分以外の他を知る事だと考えるようになったのです。日本画は独特の優れた素材を使って描かれます。私は素材 技術から離れた創作は無いと思っています。そして伝統から離れた創作もなく また自然から離れた創作も無いと思っています。

 

                              2020年 盛夏

 

 

 

 

 

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夏の終わり 暮方に私は心から安堵して雲と一番星を眺めている。ようやく成川美術館に出品する新作の制作が終盤を迎えた。個展の日程も決まり 余程の事が無い限り予定通り個展は開催されるであろう。神の采配で 再び延期になったとしても作品は仕上がっている。

今回は30号2点の新作を出品する。苦難に満ちた道のりであった。前本は気持ちを切り替えることが苦手である。日本画教室を4か月間休業せざるを得ず いろいろなことがあった。制作に集中できず憔悴しきった前本を私はどうすることもできない

 

神に祈ることしか出来ない事。人間は自然に翻弄され 神の采配に従わなければならない存在なのだ。自然を敬い 自らの非力さを認めなくてはならない。

 

 

 

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白百合が満開になり いつになく暑い夏であった。テラスの気温は37度になった。お盆休みに遊びに来た子供達の天真爛漫な声に煽られるように気温は上昇する。久々に聞いた賑やかな声に 前本の心は少し長閑になったようだ。ゆるやかに夏は盛りを迎えた。

 

 

 

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歌うように咲く底紅の木槿のこの賑やかな光景を朝の窓から眺めるのが楽しみである。八ヶ岳は お盆が過ぎると秋が訪れる。お盆明けの月曜日 誰もいなくなって 風は秋の気配をはらんでいた。

 

 

 

 

 

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