日本画の杜続編「MUSEの杜」 第十三回 激闘

                         前本利彦 「牡丹抄」30号

 

 

激闘などと言う言葉は麗しくない。しかしながら今回だけはそれ以外の表現があてはまらない。

 

この作品は7月半ばから始まる成川美術館の個展に出品する作品である。

個展の依頼を頂いたのは2年前2024年の5月だった。展示に二部屋を使うので3点か4点新作を出品してほしいとのことだった。

 

冷たい秋風が吹く頃から 前本は自分が病気ではないかと言い出した。どんどん瘦せて食欲もない。

足が氷のように冷たい 寒い 全く眠れない ほとんど食べない。

 

私は前本の描いている絵に関して一度も 一言も触れたことは無い。何を描いているのか。進み具合は如何ばかりかと聞かれるのは嫌なものである。

一体どうしたというのだ。絵を描いている二階の部屋で寒さに凍えるようにしてどのような仕事をしているのか。まだ秋口だというのに。

 

前本が珍しく医者に行くと言った。そうですか それほど深刻なのかと思った。何軒かの医者を訪ねても 検査をしても何もわからない。

いよいよとなって 私は信頼する漢方の先生に相談した。すぐに原因が判明した。先生の的確な診断と処方によって病状は徐々に回復した。私はこの明晰で誠実な先生を心から敬愛している。

世の中にはまともは人がいるものである。

 

しばらくして 成川館主から「依頼した個展の事を忘れてはいないか」と電話を頂戴した。無理からぬことである。忘れる訳はないが1年近く経っているのに作品は一点も仕上がらないのである。毎日毎日描いているのに。

 

実はその頃 前本は慎重に目指す技法を探っていた。それは前本の理想とする日本画を形作るための最も重要な技法である。薄氷を踏む思いで試していた。それは日本画を志してから半世紀以上描き続けてようやく辿り着いた心境を表現するための技法であった。

 

 

 

 

 

 

 

こうして出来上がったのがこの「夏の花䕃」30号 である。

                       

完成したのは2025年9月19日であった。書き始めてから一年半年近く経っていた。

前本は 「家の庭にある花を描いた。夏は陽射しが強く 日影のうす暗いところに花が浮かんでいるのを描きたいとおもっていた。静かな花の表情は子供の頃の記憶につながる」と言っている。

 

 

食欲は少しづつ回復したものの 不眠と冷えは続いている。

先の「牡丹抄」にとりかかったのは富士山に初雪が降る昨年10月の半ば それからまた激闘の日々が始まる。

来る日も来る日も描き続ける。日本画の絵の具は「だましだまし」使うのだと加山先生から教わった。まさに だましだまし緊張の連続である。

 

日本画の絵の具は只塗ればよいというものではない。天然の絵の具は宝石のように美しい。その美しさを失わせることなく 画面に破綻なく乗せてゆくことは簡単ではない。

しかもそれが絵の具としてではなく 画家がモチーフから感じ取った印象を的確に現す為の素材として画面に密着させなくては意味が無い。経験と日本画に対する深い理解が必要である。日本画とは何と奥深いものであろうか。

 

前本は自分の絵をつくるために60年近く模索し続けてきた。古い絵でもなく新しい絵でもなく 自分の絵を探し続けてきた。それは孤独で 静かなる激闘であった。

 

「牡丹抄」は2026年6月17日に完成した。

私は今まで見てきた前本の どの絵より佳いと思う。やっと一つの境地に達した作品である。

前本もやっと自分の絵が出来たと言った。

 

永かった。

そして これからが本当の作家生活になるのだろうと私は確信した。

 

「花の命は内側から外へ開こうとする。牡丹抄というタイトルは 親鸞の弟子たちが親鸞の言葉を集めて記した歎異抄から来ている。抄は多少のことを書き写しておくと言ったような意味を含めたものだ。」と前本は語っている。

 

 

   成川美術館 前本利彦展 「花の表情」 2026年7月16日~11月11日 

 

    成川美術館 学芸員の鹿子木様がこの様に紹介してくださいました。

 

 

 

                       



 

 

 

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日本画の杜続編「MUSEの森」 第十一回 濃密な時

 

 

そろそろ椿が咲き始める。三月は私の大好きな季節である。「家の椿」と書かれた土牛の素描はこの季節全てが描かれtている。

 

 

 

 

    

 

 

        向日葵も夏のすべてが描かれている。

 

 

 

 

 

 

そして 秋。

 

 

私にとって土牛の素描は何よりの宝である。よくぞこのようなものを私達に残し 伝えてくれたものだ。有難いことである。持てる力は伝えなくてはならないとつくづく思う

私は土牛の素描によってどれだけ救われ 力を与えられたか計り知れない。高みを目指すためには高い目標 指針が必要だ。それは高ければ高いほど有難い。努力を重ねて高みへ上るのぼる事は喜びの最たるものであろう。

 

私は日頃から 写真で描くなと言う。稀には写真から描いた絵でそれなりのものもあるから一概には言えないが 私は写真を使うことはない。

 

素描というのは描こうとするモチーフと濃密な時を共にすることだと思う。

綺麗な花を写真に写すのは簡単だ。しかしプロの写真家のように綿密な下準備をして撮った写真とは違い 素人の写真は何ともおざなりである。スマホで滅多やたらに幾枚も写し 絵になりそうなものを選ぶだけであろう。しかもコピーで拡大したりトリミングしたりして下図をつくるのであろう。なんという不真面目 なんというおざなり。

 

絵は形さえつけば良いと思っているのか。そうして写した下図に いい加減に溶いた絵の具を無造作な筆使いで べたべたと塗りつぶすだけではないか。子供の塗り絵と変わらない。

絵を描くということ それは そんなに容易なことではない。

楽に早く形がつけばよいと思っているのか。なんとも情けない限りではないか。

 

 

 

 



素描がなぜ大切か。それは対象との濃密な時間を過ごすことだからである。絵は濃密でなくてはならない。密度が濃い事が一番大切なのだ。写真から簡単に作った下図では密度などは出るはずがない。表面的でつまらない薄い絵。何の意味もない。

 

 

 

 

 



白い仔犬 土牛はこのかわいらしい子犬と濃密な時をすごしたことであろう。

この無垢な愛らしさを何とか現そうと愛情に満ちた眼で見つめ続けたに違いない。

子犬とはこういうものだ。余す所なく的確に写生してある。

 

 

 

 

 

 

     



土牛は舞子を随分写生している。その中でも秀逸な素描として有名な一枚である。

何と素晴らしく 深い描写であろうか。

この様に美しい半玉はこの世には存在しない。土牛はこの世でもあの世でもない土牛の創り上げた濃密な空間で描いたに違いない。

 

加山先生と私がアトリエで創ったあの空間。それはやはりあの世でもこの世でもない濃密な時の創り出す空間であった。 お互い真剣そのものだった。

人はこれ程 真剣になれるものかと今でも思い出す濃密な時。

 

描くものの前で長い時間を過ごすことが創り上げる濃密な時。日常でこれほど長い時間何かを見続けることは無いであろう。モチーフと対話を重ねてゆくうちに自分とモチーフの間に不思議な空間が出来上がる。対話が生まれる。相通じる時が来る。

深く見ることは深く知る事である。心に響くモチーフとの対話。これこそが絵に宿る一番大切なものとなる。真に美しいものとは何か。それが知りたければ素描を重ね 濃密な時を過ごすしかない。丹念に見て 丹念に描き ゆっくりと創り上げる密度の濃い時間が必要なのだ。

 

描くということは この一番大切な部分がなくてはならない。それを飛ばしてお手軽に描いたものを私は絵とは言わない。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 







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日本画の杜続編「Museの森」番外編  

 

 

日本画の杜 第五十六章 でご紹介致しました前本の作品が再び展示されますのでお知らせいたします。

 

第15回神奈川県展で大賞を受賞した作品です。前本が30代の初めに描いたこの作品が修復の為に戻って参りましたのは昨年の夏でした。40年以上を経て再び作品を見た前本は思った通りで何も変わっていなかったと申しました。

 

この作品は 前本のすべてを表現していると私は思います。そしてそれは今でも全く変わらずに前本の中に存在し続けています。

半世紀以上にわたって描き続けてきた画家の原点であり 真髄であるこの作品をご覧いただければ幸いです。

 

                              2025年12月

 

日本画の杜続編「Museの森」 第十回 創造

 


         

                 


    


庭から見る月は 毎日名月だ。今年76歳になった私は歩くのに杖が必要になった。庭は山の斜面に作ったから高低差が激しく 杖を突き  枝につかまりながら慎重に進む。目の前の薔薇の木に辿り着くのに何分もかかる。不自由と言えばそれまでだが 何故かすたすた歩いていた頃より充実感がある。じっくりと庭とつきあえるようになった。年を取るのは思いもかけない気持ちを発見するものと思う。

 

八ヶ岳に来て良かった。実に不自由なところではあるが この庭に私は救われてきた。

前本と私は幾度も色々なところに住んだ。八ヶ岳に来る前に7回程引っ越した。  

 

ここへ来る前には葉山に居た。当時は前本の絵が売れて 私もモデルの収入に加えて絵も売れて 今にして思えば法外な価格のアトリエを買って忙しく暮らしていた。10年ほどすると そんな暮らしに嫌気がさした。

世の中はいわゆるバブル期で 絵は投機の対象であった。葉山に居る間 前本は来る日も来る日も20畳ほどのアトリエにこもって 画商の求める絵を描いて売った。描いたというより描き飛ばした。 

 

頻繫に開かれるパーティー。 高級外車で乗り付ける男たち 一張羅で宝石自慢をする女たち 名刺の束を手に泳ぎまくる営業さん 画商さん。会場はとんでもなく不浄な空気で膨れ上がり今にもはちきれそうだった。ここには何もない。お義理で会場には行くもののこっそり抜け出して帰ってきた。この様な毎日を莫迦らしくなった。

 

葉山に居た二十年間のうち 後半の十年は引越し先を探していた。様々な場所を探してやっと見つけたのが今の住まいである。

前本も私も絵を売らないで暮らしていくことで随分貧しくなった。私は其れでよかった

 

葉山の家は広かったが 庭は猫の額ほどで鉢に植えた花たちを育てていた。文字通り 立錐の余地もない鉢植えをどこか広い自然の中に植えてやりたいと思うようになった。

都会の暮らしも 銀座のレストランも 売り絵を描くのも何もかも嫌になった。

何処か広くて 人のいない 森の中で つましく暮らしたい ゆっくりと絵が描きたいと思い始めて10年探して選んだのが今の住まいである。

 

私達が引っ越すことを周りの誰もが 「都落ち」と言った。「絵が売れなくなったのか」「借金取りに追われている」「隠居するには若すぎる」「一体何があったのか」と言われ続けた。

 

都落ちでも 隠居でもない 絵が売れなくなったのでもない。売り絵を描くのが嫌にな

った。画商に踊らされ同じような売れ筋の絵を描かされ 同じような顔ぶれのパーティーに招かれては名刺交換。 いい加減な雑誌の取材。

一体何をしているのだ 私達は。実の無い虚構の世界 虚しさで満たされた日々。

 

お金儲けをして都心の一等地に豪華なアトリエを建てたりすることに興味が持てない質なのだ。何とでも言ったら良い。名声やお金にしか興味のない絵描きには分からぬ事である。

 

私は宝石にも興味がない。勿論ブランド物にも興味がない。高級料理にも興味がない。

それらには美しさがない。それ自体が悪い訳ではな。それらに過剰に興味を持つことで美は阻害される。 生涯をかけ 血道をあげて追い求める類のものではない。このようなことをひけらかすのは野暮と言うものだ。

 

私は故意にストイックに生きようとしているのでもない。真から興味が持てないのである。この大切な 短い一生をもっと違う 美しさのために使いたい。

 

先に掲げたのはルネ・ラリックである。私には宝石が大好きな妹が居た。早く亡くなった。私はいつも不思議だった。宝石のことになると目の色が変わった。私にとって何の魅力も感じないダイアモンドを命の次に大切にして宝石と心中した。

 

私はガラスが好きだ。幼い頃早朝の道路で牛乳屋さんが自転車ごと倒れて あたり一面に牛乳瓶のガラスが散乱した夢のような光景。ポリアンナがシャンデリアの飾りガラスを部屋に吊るすシーン。 ガラス工場に割れた色ガラスがザクザクと放置してあるのをいつまでも眺めていたこと。

 

ガラス好きが高じて最後に行き着いたのがラリックだった。

作品の写真集をことある毎に見入っている。

美しい どんな宝石より美しい。創り出された美。

 

創造 つまり創り出されたもの。

創り出すこと。私は創り出すことこそが人生だと思う。

自らが創り出すこと。自らの人生は自ら創り出したものでなくてはならない。

 



 

何かを創り出すことに必要なのは教養である。

教養とは何か。

実体のないものを理解する力である。

 

一般に 教養と言われるのは知識と言ってもよい。

しかし 私の思う教養とは具体性の無い 実体の無い 例えば心 

心を込めて絵を描けと言われたら一体どうしたらよいのか。

それを深く探究する時 教養が深まる。

気品ある作品と言うが では気品とは何か。美とは何か。

静けさと簡単に言うが では静けさとは何か。

言い出したらきりがないことだが そういった事柄を深く理解するのに必要なのが教養

である。

 

自らの人生を作り出せないものに芸術は出来ない。

どうしたら深い教養が身に付くのかを自らの力で探ることが出来ないものに絵は描けない。

自らの人生を どう生きたらよいのか。人生を創りだすために教養を深めていくことが

私にとって 日本画を描くことである。

 

 

 

 

 

 

                 

 

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日本画の杜続編「Muse」の森 第九回 秘すれば花




 

                                    

私は競争が嫌いだ。競争と名の付くものはすべて嫌だ。人と争うのは人生の無駄だと思っている。

ましてや 人と争いながら絵を描くなどもっての外である。以前 絵を売ることになったことがある。画商と呼ばれる人たちは 何かというと「十年早い」と言った。「もっと競争心を持て」とも言った。絵を売る商売をしている人たちにとって絵は商品であるからどれだけ売れる絵を描かせるかが腕の見せ所なのだ。

では 売れる絵とはどのような絵か。一言でいえば 売りたい気持ちで描いた絵だ。当たり前だと思う。売りたいと思う絵描きは 自分の気持ちなどはどうでも良い。そもそも売りたい事が自分の気持ちなのだ。

絵を売ってたくさんのお金が欲しい。褒められて有名になりたい。こういう絵描きに画商は泣いて喜ぶ。画家と画商の息の合った商売が成立する。飲んで騒いでカラオケに行って 時には御客の接待もする。莫迦々々しい狂乱の世界。

 

私はうんざりした。「赤い花を一本でも多く」「明るい色をたくさん使え」と言われる。

たまたま描いた桜が売れると 同じ絵で良いから四・五点まとめて持って来てくれと言い出す。ご注文ありがとうございます 有難く描かせていただきますと言えばよいのであろう。私にはそれが出来なかった。出来ないと言った途端 まさに「十年早い」と即座に取引を中止される。嫌々量産した絵は それだけのものだ。デパートなどで見かける思いきりたくさんの赤い花を花瓶に入れた絵を見ると その浅ましさに吐き気がする

絵面にしか興味が無い。その奥にあるものに迄思い至らない。芸術に何より大切なものがない。それはその奥にある つまり秘された部分ということが通用しない世界。

私は弱い人間である。十年もそのようなことを続ければその世界に染まって抜けられなくなるのは目に見えていた。

競争心もなく 心にもない御世辞を言ってお客にお酒を注いで回ることもできない私には到底無理なのだ。

 

何のために絵を描いているのか。ということだ。

私は「秘すれば花」の秘すればの部分のために描いているのだ。

世阿弥のこの言葉は 夥しい数の解釈がなされている。

様々な解釈はあるが 私は絵を描くものとして自分なりの解釈をしている。

花とは 美 である。

絵の奥に隠された作家の想い 又は思い つまり言葉にできない思いの深ければ深いほど美は神聖で 重厚である。と解釈している。

 

今の世の中では聞かれなくなった 神聖 重厚と言った具体性の乏しい言葉に私は深い意味を見出す。

芸術に不可欠な 神聖 重厚 純粋 格調 これらに若い頃から魅かれ続けた。

日本画にはそれがあった。何よりそれらを無限に宿しているのはやはり仏画であろう。

神に捧げる思いの深さ 一心に貫かれた純粋な思い。

 

冒頭の仏画平安時代の「虚空蔵菩薩像」 国宝である。

仏画に秘められた花 つまり美は無限である。

眺めても眺めても 尽きない美とはこのようなものであろう。

 

 

 

 




                   御舟 

 



                   靫彦

 

 

 

 

 

 

  

 

                  土牛

 

 

 これらの日本画を観れば 秘すれば花とはどういったことか分かるであろう。

 余分なものをぎりぎりまで切り詰めた洗練の極み 空間の得も言われぬ神秘性

 観る者に媚びることなく 受けを狙うことなく 世俗とは別の世界に生きて

 秘すべき花の奥深さを追求した作家たちである。学ばねばならぬ事は無限にある。 

 

蛇足ではあるが この時代にこれらの作家たちを理解し 芸術の素晴らしさを理解し 擁護した教養ある収集家が居た事は幸運なことである。五島慶太 原三渓 山崎種二 根津嘉一郎らの功績は多大である。

 

 

 

 

                  🎑

 

 

 

 

                    

                      

                    

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

日本画の杜続編「Museの森」 第八回 自由

 



梅雨空が続いている。もうすぐ朝顔の季節になる。加山又造の水墨の朝顔

真ん中の大きい葉の部分に又造の全てを感じて懐かしい。

 

妙な縁で私はこの日本画家と三十年以上関わることになった。

全く予測していなかった。人生は思わぬことの連続である。

何もかもが運命としか思えない。

 

 

 

 



モデルの仕事をするために始めて先生の鶴見のお宅に伺ったとき 先生は応接間で牡丹の写生をしていらした。今にも散りそうな牡丹を描きながら私を待っていらした。私は黙ってそれを見ていた。さらさらさらさらと薄い鉛筆で夥しい花びらを書き終えて

「アトリエにいこうか」とおっしゃたので 私達は足元にまとわりつく沢山の猫たちをよけながら廊下の奥のアトリエに行った。

 

なんとまあ散らかり放題のアトリエだった。描きかけの牡丹がたくさん並んでいた。

「よく来てくれたね。 何とか自由にやっていこう。」

「しかし 自由というのは一番最後に手にいれるもんだけどね。」

 

先生は 自由について語った。

登竜門というのは激流を遡ることのできた鯉だけがくぐることのできる門なんだけどねそこをくぐれば龍になれるっていう。だけどさ その門は物凄く狭くてね容易にはくぐれない。そこまで行ってもくぐれない鯉はたくさんいるのよ。それでも諦めないで何とかくぐろうってさ 必死になってくぐったらその先は無限の 何にも縛られることの無い無限の世界が広がってるんだね。それが自由というもんだ。

今みたいに自由自由と言ったって それはほんとの自由じゃない。

無知な者たちが好き勝手に 自分の都合に任せてめちゃくちゃやってるだけなんだよ。

ほんとうの自由を手に入れられるものは 一流を目指して教養を積み上げて鍛錬して激流をさかのぼる気力を備えた者だけなんだよ。

 

 



 

私は分かったと言った。それから私と先生は自由を目指して毎週毎週試行錯誤を繰り返した。

そのうち先生は日本画を教えてやろうかと言った。私は美大を中退した。在学中もろくな日本画を描かなかった。

先生は最初は書をおしえてやろうと 沢山のお手本を見せてくれて「どれがいい」と聞くので私はこれがいいと 虞世南を選んだ。

そのお手本をあげるからに持って帰って練習しなさい。ここでは般若心経をおしえてあげようと言ってお手本を書いて見せてくれた。

 

日本画を描く前に先ず書を練習せよとのことである。しかも何よりまず楷書を習うようにと言われた。

筆の持ち方 墨の摺り方 佳い墨の見分け方を教わった。 

 

 


先生は何十年もかけて沢山の墨を集めた。墨の事を書けばキリがないくらい様々な事を教わった。

 

きちんとした楷書を習って自由を得なさい。自分流に崩したりせず まず文字の骨格を習ってそしてうまく書こうとしないことだ。跳ねたりくねったりと言った品の無い字を書くな。先生の般若心経をお手本にするうちに その事がよくよく分かるようになった

 

先生は短冊に変体仮名で和歌を描いたりなさるのだが それは楷書をしっかりと習った者が書く本物の仮名だった。

 

そろそろ絵も描こうかと先生がおっしゃったのは一年以上楷書を習った後だった。

私は美しい墨の色を少し分かるようになった。

まだまだ自由に書くには程遠いが 決して諦めることなく登竜門の先にある無限の自由を手に入れたい。


そして先生と私の仕事は長く続き 知らぬ間に自由を手に入れた。自由にあの世でもこの世でもない不思議な世界へ行くことが出来た。そして 三十年余り続いた人物画の仕事は先生の体が弱り 鉛筆を削る力を失った時に終わった。

懐かしい先生のとんでもなくゴタゴタのアトリエと左利きの先生が筆を持つ姿が心から懐かしい。

 

 

 

今年先生の亡くなった76歳になる私は もう少し生きないと自由になれない。しっかりするのだといつも自分に言い聞かせる。

 

 

 

 

                 🖌

日本画の杜続編「MUseの森」 第七回 内なるもの

                          山本丘人 「春宵」

 

 

ようやく春になった。桜はもののあはれそのものである。日本人固有の儚さと言う美意識が満開になる季節。

日本画の絵の具でなければ表現できないもののあはれ。 数々の桜の名画の中でも丘人の桜が私は好きだ。

 

丘人は自作を 「全面虚構空間の所産。 ある日の幻想である」 と語っている。

 

丘人が生前 「今の絵には内なるものがない」と言った。

丘人までは確かにあったのだ。それ以降の日本画は絵画性ばかりが重要視されるようになった。つまり何を描くかではなく どう描くか これが絵画性というものだ。

どう描くか どう描いたらうけるか ばかりに囚われ 一番大切な事を忘れた。

 

大切なもの それはやはり描き手しか持っていない感性 心 誠 真実 魂。目に見えないものこそが大切なのだ。これらこそを 内なるものと言う。こういったことを胡散臭いと思う人に絵は描けない。深く考えることができないからだ。目に見えないものを大切にしなくては芸術とは言えぬ。

 

 

 

 

 

これは丘人が若い頃住んでいた小金井の風景を描いた作品である。梅の咲く頃の幻想的な光景を余すところなく描いている。

何の変哲もないこの様な風景にこれだけしみじみとしたもののあはれを描ける画家は少ない。

 

 

 

 

 



これは軽井沢か 山道の向こうに見える青空 白い服の少女 この何と月並みな 悪くすると流行歌のような陳腐で俗っぽい光景を よくここまで美しい高度な表現で描けたものだといつ観ても感心する。内なるもののなせる業ではないか。丘人の絵は詩画とも言われる。

 

 

私が日本画を描き始めてからいつも目指すのは 幻想である。この世ならぬものを描けないまま人生を閉じたくない。

私は一時絵を売る事になった。しかしながらそれを私は一切やめた。

ほんとうに描きたいものを描きたいからである。

 

私が絵を描いていると 「いずれ前本とは別れるだろう」と言う人などが居た。

実際 絵描きの夫婦は殆ど分かれるようだ。片方が売れるようになって先生と呼ばれ世間から注目されると片方は面白くない。

 

私はそんなことはどうでも良い。人と競うのは嫌いだ。私は描きたいものが描きたいだけである。描きたいものは はっきりしている。それを描ければそれでよい。世間に認められるために描いているわけではない。先生と呼ばれたいわけでもない。人からほめられたいわけでもない

 

私は絵を描いているとき 持てる力 持てる能力すべてが筆を持つ指先に集結し 持てるすべての感覚が燃えているのを感じる。私はそうやって燃え尽きたいのだ。

 

先生が教えて下さった日本画の画材の扱い 日本画の絵の具の特殊性 墨の美しさその他の多くを学んで 吸収した。 先生は誠に優れた先生であった。

日本人の美意識 もののあはれ そして丘人の言う内なるもの これを追ってやまない

 

 

 

 

 

                   🌸