日本画の杜続編 「Museの森」第一回 心の食物

 


 

 

 

テレビをつけると食物の事か商売の話しばかりである。いったいいつ頃からこんなことになったのか。日本が経済至上主義の国になってから長い年月が過ぎたのは明らかだ。

 

どうしたら物質的な豊かさを手に入れることが出来るかに終始している間に精神の豊さを忘れた。

 

私が幼い頃 食べ物の話を他所でしてはいけないと言われた。それは はしたないことであった。はしたないとかみっともないといったことを大人は教えなくなった。

私は既に過去の遺物かもしれない。

 

人は 食べなければ死んでしまう。心も食物を与えなければ死んでしまう。

芸術は 心の食物である。

 

心洗われる清らかさと それを表現するために自らの心を高め磨いた力強さを持った芸術家の創り上げた作品は心に必要な食物だ。

 

現存する芸術家は世界中探しても3人居るかいないか。

そして自らが芸術によって心洗われることを欲している者はいったいどれぐらいか。

 

芸術までもが商売になった今 ほとんどの芸術作品は人の心を洗うことができない。

芸術を商売にしてはいけない。

昨今の美術界は どうだ見てくれ褒めてくれ買ってくれと言った物欲しげな作品ばかりだ。

視覚にしか訴えない絵。心まで届かない音楽。心の奥深くまで届いて心を豊かにしてくれる音楽も美術も見当たらない。

清らかな静けさを呼ぶ ブレンデルが引退してポリーニも亡くなってしまった。残されたCDを聞くことしかできない。

薄っぺらで奥行きの無い 芸術とは言いがたいものばかりがもてはやされる現代に私はとうに見切りをつけた。

そんな私の心を清らかに保ってくれる 土牛の絵。古径の絵。

 

 

 

 

 



          完璧な美しさ 心洗われる清らかさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




              私はもう言う事は無い。

 

 

 

 

 

 

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