第六十章 「神代桜 小下図」 2023・11

                                                  神代桜50号の小下図

 

 

      

 

 

 

       

 

       

 

京都の展覧会が終了した。前本の作品はどの様に評価されたのか。私には分からない。

この一年余りを前本は今あるすべてをかけて描いた。日に日に瘦せ衰え 仙人のようになってゆく前本を私は黙って見ていた。

 

私たちにとっては法外な金額の費用をかけて出品しても 作品は売れないだろうなと私は思っていた。嫌というほど重く これ以上ないほどの暗さ これらの作品の真意を今の社会が受け入れると私は思わなかった。

それでよいのだ。

 

売れる事や受け入れられることなど考えて描いてほしくない。この年になって もうすぐこの世を去るだろう年になって 自分の気持ちに正直に描けなくてて何が芸術であろうか。

 

私はこのブログをそろそろ閉じようかと思っている。

反省と 後悔を感じるようになった。

そもそも前本の日本画を紹介する目的で始めたのであったが 何かと逸脱して私の周辺の事まで書いてしまった。

 

「自然の中で素敵に暮らす画家夫婦」と言われるようになった。冗談じゃない。そんなつもりは毛頭ない。以前から 絵を描いているというと 「まあ ステキ!」と言われることが不思議であった。

 

こんなに苦悩し こんなに貧乏し こんなにも苦渋に満ちた人生を送っているのに。

花を育て 小鳥と話すことで何とか切り抜けている私はステキというようなことには無縁な人間である。

私の書き方が悪かったのだ。花が咲くのがうれしくてつい自慢げになっていたのだろうか。申し訳なかったと思う。

私は愚痴を言ったり マイナーな面を見せるのが嫌なのだ。いいところを見せたいという意味ではない。強がりを言うつもりも毛頭ない。

自分で選んだ人生に自ら水をかけるような真似をするのが嫌なのだ。

しかし もっと慎重になるべきであったと 反省した。

 

 

 

突然 お墓の写真で恐縮だが 前本が京都にある加山先生のお墓に参ってくれた。

 

            

 

加山先生は自分が最後の日本画家であると常日頃おっしゃっていらした。

先生は私のような者に日本画について随分教えてくださった。それは長い間先生のアトリエに通っている間中丹念に教わった。そしてそれは前本にも受け継がれた。

ある意味で前本は最後の日本画家であると私は確信している。

 

 

私は今回 展覧会に出品した前本の作品を見て今後二度とこのような展覧会に出品する必要は無いと前本に言った。

存命中に個展を開催する費用ができるとは思えないが 前本よりも長生きして私が何とか費用を集め 遺作展を開催するときのために思いきり自分の作品を描いておいてほしいと願うのだ。

 

私自身も以前のように作品を発表する気はない。売れるような只々明るくきれいな絵を描く気はない。

私たちの生涯はもうそれほど残っていない。時間が無い。

 

何の為に 親に背き 悲しませてまで日本画を選んだのか。

私は両親とも医者の家系である。父方は北里柴三郎の末裔であったから私はどうしても医者にならなくていけない運命であった。どれほどの期待をもって両親は私を生み育てたことか。私はそれを知りながら日本画を選んだ。

 

勘当に近い状態で前本と一緒になった。

医者にならないことが分かってからの両親は私を可愛く思わなくなった。捨てられた者の悲しさから更に私は日本画に埋没した。

幼少期に養子となって親の愛情を知らない前本の暗い悲しさと私のそれとが共鳴した。

 

面白おかしく 楽しく暮らす事に何の興味もない。どうか前本が持てる力を存分に出し切ってくれるよう 売れる事や現世で評価を得ることを考えず 精神の世界に生きてくれるよう願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

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