日本画の杜続編 「Museの森」はしがき

 


 

 

綺麗な絵でしょう と先生は言った。小学校2年生の頃だろうか。図画の教室は音楽室の隣の建物で 古いにおいがした。その図画室を私は好きだった。長い髪の綺麗な樫山先生も好きだった。放課後の図画室で 先生は机に向かって絵を見ていた

そっと覗いた私を見つけ微笑みながら手招きした先生。授業の時と違うお茶目な少女のような先生 大きな机の上に絵本があった。画集という言葉を知らない私は 先生も絵本が好きなのかと嬉しかった。

樫山先生は他の先生とは違い はっきりとした自分を持っていることを幼い私は分かっていた。長い長い黒髪を潔く一つに束ね ご自分にはどのようなものが似合うのかをよく知っている。先生は少しレンガ色がかった金茶の混ざった赤がお好きだった。その色は先生の黒い瞳と長い髪を一層引き立てた。ものすごく小さい頃から私は色に敏感だ。 信頼できる人か きちんとした人かをその方の身につけている色で判断していた。

大いに信頼に足る樫山先生と二人でボッティチェルリプリマヴェーラを見たことは思いがけない幸運だった。

 

「この絵の中に美の女神が居るのよ」と三美神を指差し「芸術の神様よ」とおっしゃった先生の声が今でも聞こえる。芸術はという言葉を初めて聞いた。

以来私は 森の中がこんな風になっているものと思い込んだ。森に行って女神に会いたいと切望しながら生きてきた。

私は今日までこの森を目指して芸術の道を歩んだ。

日本画の杜」の続編として 今回から「Museの森」を書くことにしたのはその道を振り返る為のように思う。

 

芸術という言葉を殆ど聞くことの無くなった今の世に 何をいまさらと思われるかもしれないが 私にとって芸術は人生を賭して追求している道である。

その発端となった記念すべき作品がこの「プリマヴェーラ 春」である。

医者になる為に生まれてきたのだと幼い頃から言われ続けた私にとって初めて見つけた自分の道であった。美の女神のことは誰にも言わなかった。いつか森の中を進んで森の奥へ行けば女神に会えるのだと思いながら生きてきた。

考えてみればそんな夢のような事を何故思い続けたのかは自分でもよく分からない。

私は何時でも美しい方を選んだ。人生の選択は美を基準にして決めた。なんて莫迦な事かと思うものの実際そうしてきたのだ。

美意識が許さないと言いながら 大層な損ばかりしてきたように思う。様々な不幸に見舞われても私はそれでいいと納得した。森の奥にゆきつくためには満身創痍になっても仕方ない。でも私は負けない。悲しいこと 困った事 大変な事 人生はそんなものではないか。でも私は負けないといつも自分に言った。

芸術は アートというようないい加減な言葉に置き換えられるようなものではない。このあいまいな言葉で芸術を語り 売り買いすることを私は許さない。

芸術は 厳格であり神聖でなくてはならない。

人生を賭して真正面から向き合い 真実を守らなくてはならない。

 

私の人生も残りは僅かである。出来る限り美に近づき いつか森の奥のMuseに会える事を願いながら日本画を描いている。私はMuseに忠誠を誓ったのだ。他にやりたいことは既に無い。

 

さて 「日本画の杜」を書いている時様々な方からご質問を頂戴した。あなたはどういう人か 

どの様な絵を描いているのか 何故作品を発表しないのか

私はその様なことにお答えしなかった。しばしば逸脱しながらも あくまで前本の作品を紹介する目的であったから 自らの事を詳らかにする必要は無いと思った。

しかし今回新しく始める続編は 前本から離れて私個人のものである。

自己紹介を兼ねてご質問にお答えしておかなければと思う。

 

 

前本ゆふ

 1949 東京に生まれる

 1967 立教女学院高等学校卒業

 1967 多摩美術大学日本画科入学

 1970 同大学中退

 1975 加山又造のモデルを始める

 1989 銀座篁画廊 初めての個展

 1990 銀座篁画廊 個展

     加山又造との共著 「画文集 ゆふ」中央公論社より出版

     横浜高島屋 個展    

  1992 横浜高島屋 個展

  1994  横浜高島屋 個展

     大阪高島屋 個展

  1995 モデル辞職

  2000  銀座松屋  個展

  2003  京橋なか玄アート 前本利彦と二人展

  2009  京橋なか玄アート 個展

  2012  山梨県北杜市に移住

   

 

        

         

                    「夏の花」12号P 2008年制作

なか玄の田中さんは誠実で誠に良心的な画商さんだった。私はこの方以外に絵を託す気がしなかった。田中さんは私の個展のすぐ後に画廊を閉めてしまった。 

自費で個展を開催するためには少なくても数十万以上の経費が必要だ。

作品を売る事は至難の業である。作家自ら買い手を見つけることつまり売り込む事を私は出来ない。

私が作品を発表出来る日かいつか来るのか こればかりは運命に任せるしかない。

 

さて次回からは 私を藝術の道にいざない 森の奥へと進む道を照らした芸術家について書いて参りたいと思っている。

 

                          2024年3月3日      

                               前本ゆふ

             

                        

 

 

 

 

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