第五十章 「箱根空木と兎」2021・5

 


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                                       「箱根空木と兎」 

 

 

 

6月になった。2月の末に四十九章を書いたきり 3月 4月 5月が過ぎた。八ヶ岳に来て 電気の工事を頼んだ時 「ここは冬が八か月だからね」と言われた。全く実感が湧かなかった。今年初めて 本当に冬が八か月 春夏秋が残りの四か月をかろうじて分け合うのだと思った。寒い。

 

早春に咲くのは水仙である。まだ霜の降りる日もある頃に 庭で唯一春の兆しを告げる花を 私はどれほど慈しんできたことか。遅霜で花弁が傷まないうちにすべての花を切り 窓辺に飾る。

 

    

 

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3月の終わり 森の木々は仄暗く白い枝を寒風にさらし 名のみの春である事を物語る。

 

 

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        4月になると枯れ枝に少しの緑が見える。

 

 

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          次に咲くのは 花海棠と雪柳である。

 

 

 

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         空もだいぶ春めいて 柔らかな雲が浮かぶ。

 

 

 

 

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菫には亡くなった友人の面影がある。多摩美の入試が人物画であった為 私の練習台となって 幾度となく身じろぎもせず献身的にモデルを務めてくれた 心の綺麗なこの友は 若く美しいままこの世から居なくなった。美人でスタイルも良く 高校時代井の頭線の中でスカウトから貰ったモデルクラブの名刺は束になっていた。本人は 何で私なんかに声を掛けるのか分からないと全く興味を示さなかった。

老女となった今の私を見たら さぞや驚くだろう。二十台の私達は お揃いの口紅を付け 徹夜で縫ったミディ丈のワンピースを着て 次のスカートの生地を 下北沢から渋谷新宿と探し回った。妥協を許さなかった彼女がようやく見つけて 翌日には縫い上げてみせてくれた 菫色のスカート 菫色をこれ程に合う人を未だ知らない。私たちの事をおしゃれに憂き身をやつすだけのつまらない人間だと思っていた人も居ただろう。然し そうではない。私達は自らの美意識に忠実に生きて居たかった。

外見だけでは無い。例えば 得をしたいと思うことなどは美意識に反する。贅沢をすることも 何かをひけらかすことも同様である。私達はそういったことで意気投合した。こういった事を主眼に生きてゆけば 随分と損をしたと思う。それでも どうしても美意識を優先させる生き方しか出来ない種族なのである。散々な目にあいながら 文句ひとつ言わず いつも相手を支え 懸命に生きた長女気質のこの人が 何故あんなに早く神に召されたのか。 

テキスタイルデザイナーだった彼女の努力と才能は 今でも私の内に残り 生き続けている。自らにないものを持ち 教え影響を与えてくれる友人は尊い

 

 

 

 

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私の祖母も同じ様な人であった。私が生まれた頃 母はまだ仕事をしていた。女子医大の病理学教室で教鞭を取っていた母は 幼い私にとっては母という感じが無い。クレゾールの匂いと共に帰宅する母は きりりとした厳しい面差しで 直ぐに机に向かっていた。私の母は慈しみ深い 祖母であった。

父が帰宅する前の時間を 私は祖母と夕飯を食べ お風呂で遊んで祖母と一緒に寝た。布団の中で 祖母は毎日大人にするような話をした。

 

「今日 見たかい 大変な井戸端会議だったね」昼間散歩した西荻窪の駅裏で 大勢のおばさん達が 今で言う情報交換をしていた。皆 割烹着姿で藤の買い物かごには新聞紙にくるんだ色々な野菜が入っていた。口角泡を飛ばして我先に大声を出す主婦の群れに背を向け 祖母は俯いて 私をせかした。呼び止められたら一巻の終わりだと小さな声で言いながら逃げるように大通りに出た。              

 夜になって 布団に入ってからも「大きくなっても あんなことをしては絶対にいけないよ」と眠い私に 厳然たる態度で申し渡した。「みっともない」

 

事あるごとに祖母はそんなことばかりを私に言った。それは 祖母の美意識に基づいた見解であり 私は知らずのうちに祖母のひな型となっていた。亡くなった先の友人も

たった一人の親友も 結局のところ同じ様な美意識の持ち主である。

 

情報はある意味では大切なものではある。然し 私は情報という言葉を好きになれない

そういったことから無縁の生き方をしたかった。

 

日本画は 情報とかデータなどどいったもので描けるものではない。

現代は その様な浅はかな考えで描いた日本画ばかりであるのは なぜなのか。  

 

パソコンのように 一定の手順を踏めば 一定の結果が得られる こう言った事に慣れてきたせいかも知れない。データに従えば 必ず成功するといった考えは芸術には通用しない。

 

加山先生ぐらいになれば さらさらとどんどん描けるものと大概の人は思っている。

とんでもないことだ。先生は常にうまくいかなかったと言い続けた。どんな時にもである。どんなに高名な画家であれ一作ごとに 大変な苦労と闘いながらそれでも 筆を置いた時 どの作家でもこう言うだろう 「うまくいかなかった」 

 

半世紀以上 何千点もの作品を描いてきて 前本は納得のいく作品など一点たりとも無いのである。それが普通だ。芸術とは たった独りで まだ見ぬ苦難を乗り越えながらも道を開き 何とか自らの美意識を表現したいと願うことである。他から提供された情報やデータといったものに頼ろうとするその安易さは 美意識のない者のすることだ。上手くいくための手順に従い 一定の成果を上げることが出来ないから芸術は尊く 美しい。

 

 

 

 

 

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  春は進んでいるはずなのに 寒い。桜が咲き 花冷えの日が続く。

  山の頂きは 残雪で凍るようだ。4月になって 朝早く鶯の初鳴きを聞いた。      
     
 

 

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早春の森。鶯は朝から夕方まで鳴き続ける。私は耳元で鳴く鶯の姿を見たことがない。

 

 

 

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辺りは桃色に包まれ 春は日ごとに近づいているはずではあるが 花冷え 若葉寒 そしてそのまま梅雨寒となるのが小淵沢なのだ。

 

 

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   霧の深い日 それは神秘  夢の世界 五里霧中は五里夢中とも言える。

 

 

 

 

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          山吹が咲けば 本当の春である。

 

 

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5月21日に郭公がやってきた。この日は 富士山の中腹に残った雪形が 鳥の形になる 「農鳥」も現れた。これは 田に水を張り 苗を植える合図になる。

いよいよ初夏の兆しか。森は急速に緑の葉に覆われ 白い花の季節となった。もうすぐ庭の箱根空木も咲く。そしてバラの季節を迎える。

 

 

 

 

 

 

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