第五十三章 「甲斐駒亮月」

 


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                          リトグラフ 「甲斐駒亮月」

 

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秋が来て 晩秋になり 初冬を迎えた。菊が咲き 赤とんぼが飛び交い 森は様々に色を変え 木枯らしが枯木立を残して去っていった。そんなある日 かねてから預けていた前本の作品の複製版画が出来上がった。リトグラフになった作品は驚くほど佳い。

 

 

 

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この版画は摺師の河原正弘 平川幸栄の作品である。前本と私が二十代の頃 南林間の借家で細々と開いていた児童画教室に通ってきた正弘氏とは 半世紀にわたる付き合いである。当時のまあちゃんは幼稚園児ではなかったか。

 

そのまあちゃんがまさか摺師になるとは。全く意外であった。決して絵の好きな子でも

絵の上手な子でもなかった。定規で引いたのような数学的な線で車などを描き おざなりに色を塗ってサッサと帰っていった。

 

大学で美術を学び 版画の工房を持ったと聞いた時は狐につままれたようだった。頭の良い子だったので てっきり理数系の大学に進み研究者か技術者にでもなるのかと思った。

 

数年前 まあちゃんにはこの人しか居ないと直感させる平川さんを伴い 山梨を訪ねてくれた。初めて摺った黒猫の作品を持って現れた大人のまあちゃんは どこから見ても摺師になっていた。

 

それから 何年かが過ぎ「甲斐駒亮月」はようやく完成した。私は何年かかっても良いと思っていた。世俗から離れ 心ゆくまで納得できる作品にしてほしかった。私は芸術をする者は 「売れなくてもよい」「誰にも褒められなくてよい」「貧乏でもよい」「独りになってもよい」と堂々と生きてほしいのだ。ものすごく堂々と。

 

売るために描いた原画でもなかったし 売るための仕事をしてほしくなかった。「ライフワークだと思っている」正弘氏のこの言葉は何より心強かった。

 

送られてきたリトグラフを見て 私は感無量だった。申し分ない。原画をここまで解釈してくれる摺師は他には居ない。幾度でも言う。感無量だった。

 

まあちゃんは子供の頃から賢く ノーブルで俗っぽいところが皆無だった。それを深め更に高度な技術と知性を備えてここまでになったとは。 一体彼に何があったのか。

うかうかと生きている者には決して不可能な解釈の深さ。真剣勝負であろう。これまでの人生で得た見識 経験 知識の深さ 資質の良さが反映された仕事であった。

 

作家と摺師が呼応し 原画はさらに深くふくらみ 迫真の競演になった。私はこの先

更に 作家と摺師がどの様な人生を歩み どの様な深さを備えて仕事に向かうのかを見たいと思う。

 



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     凍った月が出て冬になった。山が凍り いよいよ新しい年を迎える。

 

 

 

 

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 サインを入れる前本 来年も良い仕事ができることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

               ⛄