日本画の杜 第五十二章 「カモメ」 2021・9

f:id:nihonganomori:20210815183454j:plain

 

 

九月になった。夏が終わった。と言っても今年は夏と呼べる日はほんの三日程だった。七月の半ばに梅雨が明けたのも束の間 再び雨ばかりで 八月の初めに晴れて ようやく夏が始まると思った途端 雨の毎日に逆戻りした。しかも寒い。朝からストーブを焚いた。西瓜をストーブの前で食べたのは初めてだ。太陽の光を忘れてしまった。真夏の陽を浴びたいと切実に思った。

 

影が出来ないほど強烈な陽射しだった葉山の夏 この絵のようにいつも凪いでいた葉山の海が懐かしい。葉山に居た二十年間は 私の人生も夏であった。今思えば 朱夏と呼ぶにふさわしい時代であった。

 

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901155627j:plain

 

 

久々に晴れた夕刻 こんな雲を見たのは初めてだ。何処までも続く桃色の煙はいつまでも消えなかった。おかしなことばかりの今年の夏。雨は八月いっぱい降り止まず 九月になっても豪雨と雷が続いている。十月下旬並の気温 晩夏であるはずのこの時期に初冬の寒さである。日照不足と低温でどの花もかつて見たことのないほどの不作なのだ。白百合だけがいつものように咲いた。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901155726j:plain

 

立秋の少し前 八月の初めに三日だけ晴れて珍しく気温が高く28度になった。それまで23度前後だったので大変な暑さに感じた。沈黙していた白百合が この時とばかりに一斉に咲いた。

 

大好きな白百合 葉山から連れて来た。

せいぜい1メートル位であったのに この山が余程気に入ったのか 見上げるほどの丈になり 毎年十輪以上花を付ける。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901155838j:plain

 

 

森の中に咲くユリは神々しい。又 雨が続くらしい。花が傷む前に 切って花瓶に入れ 部屋で長い間百合の香と共に暮らした。今年は雨に降り込められたので沢山の素描をした。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901160048j:plain

 

 

自室で花の素描をして過ごす心休まる時間に浸った。若い時からユリは随分描いた。どの花より多く描いたのに 描けども描けども上手くならない。満足がゆかない。思うような写生は中々できないものである。

 

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210902163902j:plain

 

 

私が美術学校を志したのは高校三年になってからだった。受験まで一年足らずであるから それは一般的にはかなり遅い。多摩美を選んだ理由は 受験科目が人物水彩画であったからなのだ。石膏デッサンや 鉛筆デッサンの静物画を受験レベルまで習う時間は無かった。

 

しかし 後になってみれば私にとってそれは幸いした。

多摩美に入ってろくな勉強も出来ないまま学生運動ロックアウトになり 二年近く正常な状態に戻らなかった大学に通う気を失った私は あれこれと迷っていた。

 

これからどうしようかという時 加山先生にモデルを頼まれた。その時はこの仕事を長く続けるつもりはなかったのだが 結局 随分長い間先生のアトリエに通って仕事に打ち込んでいた。しかし いずれは日本画を描きたかった。先生はそんな私のことを察してか 何くれとなく日本画について教えて下さった。先生と絵の話をすることは何より楽しかった。その上 様々な事を教わった。どれもこれもが有難く 私は自分が本当に絵が好きなのだとつくづく思い知った。前本との毎日も 絵の話をしている時が一番興味深く 生き生きとした時間である。自分に本当に向いていて 本当に好きなことがあるのは大変幸せなことだと思う。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901155929j:plain

 

 

加山先生は 上野の美校 今の芸大で小林古径奥村土牛に師事した。土牛は古径に師事している。何と羨ましいことだろう。古径は日本画の素描を何より重んじた画家である。自分の素描ができなければ 自分の絵は描けないと言っている。

 

日本画の素描。加山先生は 私に日本画の素描を教えてくれた。私が受験のための石膏デッサンや 西洋のデッサンを習っていないことを先生はご存知で 半ば面白がって日本画の素描を教えるから習ってみないかと仰った。先生は多摩美や芸大で教授を務めていらしたが 日本画科に入学してきた教え子が受験のために 西洋のデッサンを既に身につけていて 日本画の素描を教える余地が無かったと嘆いた。 

 

立体感 遠近法といった西洋の考え方に基づくデッサン 光と影で捉える写生。こう言った物の見方は本来 日本には無かった。西洋の考え方は理論的である。それに対して 日本人は情緒的である。

 

先生が 影とは言わないで 隈と捉えていることからも分かるように それは目に見えた影ではない。心理的な隈。「影なんて言うのは光の当たり方で変化するじゃない」

 

ふーん そうなのかと私は納得した。「日本画の素描で一番大切なのは どの線が一番肝心なのかを見極めること」 日本画の素描は線描である。「今 貴女が描こうとしている花の中に この線を外してはこの花では無くなる線があるの」 「それを見つけなさい」 「目に入る あらゆる線を片端から描くものでは無い」 「写実と言って やたらと細かく描いた所で意味がない」 「欠くことのできない線をしっかりとつかまえる練習をしてごらん」 「単純化する事でモチーフはより鮮明になる」

 

柔らかい線 堅い線 鋭い線 たっぷりとした線 細く安定した線 ふっくらした線 淡い線 キツイ線 息の長い線 短い線…あらゆる線を的確に使って表現する日本画の素描の面白さを知った 鉄線描と呼ばれる一定の速度で 一定の太さで引く抑揚の無い 日本画独特の線を先生は実際に描いて見せて下さった。

 

 

f:id:nihonganomori:20210901172707j:plain



 

それから私は手当たり次第に花の素描をして過ごした。先生の線は鋭くクールで シャープで現代的であった。私の資質とは少し違う。私は鋭角的ではない。暖かく丸いが淡白な線が私らしい。自分の線を見つけて行く楽しさと共に その大変な道のりの遠さを感じた。

 

 

f:id:nihonganomori:20210902163953j:plain

 

 

 

日本画を追及していると 過去を掘り起こすことが多くなる。自然と現代の文明に批判的になる。然し 私の中には 当然のことながら現代が殆どを占めている。だからこそ時代思潮に流されることなく 過去の優れた日本文化を学んでおきたいと思っている。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210901173025j:plain

 

 

先生が亡くなったのは76歳 私に残された人生もそう長くはない。そろそろ玄冬であろう。だからといって何をしておかなければという気持ちも無い。唯々 淡々と日本画を描いてゆければそれが私の道であると思う。

 

 

 

f:id:nihonganomori:20210902164209j:plain

 

 

今年は既に 富士山に初冠雪が見られた。例年より一か月近く早い。雨に濡れてシュウメイギクが咲いた。 

 

 

f:id:nihonganomori:20210910164840j:plain



 

f:id:nihonganomori:20210909175316j:plain

f:id:nihonganomori:20210909175241j:plain



華虎の尾は綺麗には咲かなかった。カラスアゲハとミヤマカラスアゲハが一日だけ訪ねてきた。

 

f:id:nihonganomori:20210901172830j:plain

 

   来年はこぼれるように咲き乱れる華虎の尾に群がる蝶を見たいものである。

 

 

 

 

 

 

 

                   🦋