第五十四章 雪舞 2022・3

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                                雪舞

 

 

 

年が明けてから三ヶ月が過ぎた。今年の冬は格別寒い。このような寒さは経験したことがない。雪は積もるほど降らないし 気温がそれほど低い訳でもない。いつもの年のように 朝早くから除雪車が走り回ることもなく 今年の冬森の中は終日静まり返っていた。

 

何故こんなに寒いのかわからない。家中のストーブを点けても部屋が温まらない。動物は寒いと眠くなるようである。冬眠。柔らかい毛布にくるまり犬と背中合わせになって 長い間眠った。

 

綺麗な雪景色の写真も撮れなかった。外にも出なかった。枯れ木の森と凍った山を窓越しに眺めながら 私達はぼんやりと過ごした。年寄りとはこんなものかと思った。

 

思えば激動の人生だった。いつもいつも何かに追われて走り回っていた。まるで蒸気機関車のようだと思った事がある。内なる何かを燃やしながら休まずに走る汽車。私はろくに眠らなかった。そのせいだ。今こんなに眠いのは。休もう こんな機会にゆっくり休んでおこう。これまで几帳面に続けてきたあらゆることを投げ出し 私は眠った。

 

前本と一緒になって半世紀の間 休日というものを知らずに働き続けた。私も前本も遊ぶことを知らない。何処かに遊びに行くことはなかった。前本は絵を描く以外の何にも興味がない。結局いつもいつも画室にいる。

 

絵を描くことはそんなに面白いか という人もいるだろう。楽しい 面白い というのとは一寸違ったものではある。好きというのが最適な表現かもしれない。好きというのは それを止めろと言われても決して止めることが出来ない事かもしれない。好きなことをしている時 自分の中のあらゆる能力が一斉に働き出す。その充実した時こそが好きなのだ。

 

総領の甚六と言われていた幼い頃 私は本当にのんびりとした子供で特に熱心にどうしたいということが無かった。勿論好きなことは今と変わらないが それをもってどうこうなりたいとも思わなかった。母は父兄会の度に もっと欲を出すような家庭教育をした方が良いと言われていたらしい。

 

本格的に私が覚醒したのは加山先生のアトリエに出向いてからである。二十代の後半だった。先生のアトリエは凄かった。ものすごい散らかり様で その中で先生は実に迫真の気迫で美を追い求めていて そんなアトリエに入っただけで私は影響を受けてしまった。

 

 

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モデルの仕事は3回だけのアルバイトだと気軽に考えていた。そんな私に「僕はね 通俗的美人画が描きたいわけじゃない 美人なんていうのはさ たまたま顔立ちやスタイルがいいとかさ たまたま若いとかさ つまらない表面ごとじゃん 美しさを自分で創り出せる能力が無ければ本当の美しさではないからね 精神とか内面とか魂とか僕が言うとさ みんなまた始まったって顔するけどさ」「僕はそれをゆふに求めたい」

 

そんなことを又造は言い出した。「僕はね 見たこともないような美しいものを描きたいのよ」「この世のものではないもの」「そんなものを創って見せてよ」「だいたいね 美しいものを作り出せる人ってそうそういるもんじゃない」「何が美しいか それが分からなければ美しいものはできないじゃん」

 

又造は 京都弁のイントネーションによる横浜弁で話し続ける。面白い やってみようと思った。私は自分で何かを作るのが好きだ。申し分ないものを創ろうとするのが何より好きだ。私は美人でもない スタイルがいい訳でもない。これはやりがいのある仕事かもしれない。。

 

それから私は本領を発揮出来るこの仕事にのめり込んだ。絵を描くように私は私を創り上げた。先生はいつも期待を寄せて下さり 発展途上の私を励ましながら二人で仕事をした。

 

「つまらないものを着るな 食べるな 聴くな 見るな 近寄るな」と先生は事あるごとに言った。「そのうちに 傷つかないダイアモンドのようになるからそしたら何をやっても良い 絵とおんなじよ 入り口は物凄く狭いけど そこに行きついて扉を開けたものだけが自由を手に入れることができるのよ だけどね そこまで行きつくのはそう簡単なことではない」

 

洗練 格調 品位を旨として磨け これが先生の教えの核なのだ。以来私は休まず鍛錬を重ね先生と共に美を造る仕事を続けた。しかし そのことを正しく理解する者は居なかった。中央公論の嶋中さんだけが真意を理解し 画文集を出版して下さったが 結局それ以外 真意を理解されることは無かった。「お二人が正眼の構えで創り上げた美の世界」と言って下さった嶋中さんに本を出して頂いた喜び それで充分だ。

 

そして又造が亡くなってから 私は一人で美を探究している。まさか自分がこのような人生を生きるとは想像だにしなかった。

思いもかけない人生ではあったが面白かった。この方に出会わなかったら どの様な人生だったかと思うこともある。想像しても仕方ない しかし二十数年にわたって先生の影響を受けながら過ごした人生とは全く別の自分になっていたのか それとも大して変わりのない自分を生きていたのか。人生は 何が起こるかわからないものだとつくづく思う。

 

 

 

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そのまま私は走り続け 先生の亡くなった76歳に近づいた。私は非力ながらできるだけのことを精一杯して来た。まだまだこれからやらなければならないことは無限にある。そして未完のままこの世を去ることになるだろう

 

つまらない話をした。極寒の森の中で独り言を言っている老婆のたわごとである。

テレビで金春の「関寺小町」を見た。百歳になった小野小町を七夕の宵に稚児が訪ねると言う演題だ。申し分のない舞台であった。老いを興味深く観た。

 

 

 

                 

 

                 🌸