第五十八章 「リフレイン」 2023・8

                                                                                                        「リフレイン」

 

 

 

 

 

 


繰り返し繰り返し訪れる日々を暮らすうち 前本も私も 人生の終盤を迎えた。

使い慣れた家じゅうの物が私と共に年をとってゆく。箪笥やソファー食器やお鍋 スプーンやフォークに至るまで 長い間使い続けた身の回りのすべてのものが古ぼけてボロボロになった。しみじみと見ていると それぞれに思い出があり 共に歩んだ道のりに そこはかとないゆかしさを感じる。

 

私の心も 同じように傷だらけになっているに違いないと思うようになった。長かった苦難の道程でボロボロになった心をどうにか立て直しながら生きてきたように思う。取り立てて言うほどの事でもないが 年を取ると こんな風に感じることもあるのかと我ながら感慨深い。

 

 



 

 

心の片隅で僅かに光る 良い香りのする場所にしまわれた僅かな事柄がある。私がどうしても習得したいと切に望んで得たもの。

 

失敗を繰り返しながら試行錯誤し 経験を積み 努力を続けて得た技。目をつぶっていても容易に成功することができるようになった技を私はわずかながら持っている。人から見たら些細な事であろう。そんなことは誰にでもできるのかも知れない。しかしながら私は生まれつき吞み込みが遅く不器用なところがあり 理解して実践出来るまでに長い時間を要する。どれも自慢できるようなことではないが 私はそれらを自分一人で習得した。そのことがどれほど私の心を喜ばせてきたことか。

 

 

 

 

 

 

傷ついた心を修復する 庭の草花 森の木々 空 光 風。12年前 八ヶ岳南麓に引っ越した6月から 小雪の舞う初冬まで 来る日も来る日も開墾し 小さな苗木を植えて作った私の庭。

 

 

 

 

暖かくなると 庭に出て私は泥まみれになって草を刈り 草むしりをし 剪定をする。カッコーや鶯の声 次々訪れる小鳥や猫 雑事を忘れ 自由にふるまう。庭は私の楽園だ。

 

干し草のにおいがしみついた野良着 誰にも邪魔されづに庭仕事をしている私のそばをスマートフォンに目を落としたまま通り過ぎる老若男女 森の中を歩く時もスマートフォンを見なくてはいられないのか。とても不思議に思った。

 

 

 

 



今年はこの薔薇が一番に咲いた。何の変哲もない小さく地味な花だが 私にとっては女神の贈り物なのだ。

私は派手なものが好きではない。

発揮するとか 輝くとか 活躍するとか 発信するといったことが苦手である。

外へ外へと向かうばかりで うわべの事に終始するだけの無粋な事に思える。本物は ほっておいても輝くものではないだろうか。故意に発揮したり 発信したりする必要は無い。奥から自然に輝く慎み深い美しさ 純粋で洗練された極めて質の高い美を求めたい。それは 私にとって光明である。古び傷ついた心と共に さらに年を取って困難を極めるであろう人生を支えることができるのはそうした希望だけかも知れない。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

  今年は初夏から気温が上がり 草むしりと草刈りに追われた。薔薇はよく育った。

 

 

 

 

 

 

 

暑い夏である。ここへ来て初めて半袖のワンピースを着た。あまりに暑いせいか蝶々がいない。いつも遊びに来るシジュウカラはいったいどこへ行ったのだろう。代わりに小さな茶色の小鳥達がテラスで水浴びをするようになった。

「茶色ぴぃちゃん」は 私のアトリエでもあるテラスの手すりに並んで止まり 鉢受け皿に用意した水たまりで遊んでゆく。

 

 

 

 

 

夏はテラスのテーブルで 夏の花を写生する。それは楽しい。花は戸外で描くに限る。風が吹く。雲が流れる。夕暮れになる。

 

 

 

 

 

 

前本は 京都のお寺で開催される展覧会の出品作の制作に忙しい。朝から夕方まで制作に明け暮れている。出品作の搬入は10月。

「第五十七章」に出品作の「月浅間」を掲載した。今は桜を描いている。前本にとって思い出深い夏になるだろう。

             



 

 

 



                 佳い夏であった

 

 

       



 

 

 

 

                   🎆