第五十五章 「白山」 2022・5

                                  「白山」

 

 

五月晴れの日はほとんどなかった五月。半ばになってもまだ寒い。若葉寒というには長すぎる。八ヶ岳の気候は一体どうなったのだろう。

 

桜も咲いた 山吹も咲いた 連山の雪も溶けたのに 八ヶ岳は寒い。

小淵沢の駅まで降りると ほのぼのとした春が来ている。たまにはこんな長閑な気持ちになりたいと思いながら山道を登ってひんやりした我家に戻る。

 

 

 

 

それでも春の花は次々咲く。

今年の桜は 殊の外見事であった。美しい桜と共に暮らす幸福な日を過ごした。肌寒い日が続くので花は驚くほど長く咲き続けた。蕾の時 満開になってゆく時 散り始める時 それぞれが綺麗で 毎日が夢の様だった。この桜は私の大切な 本当に大切な存在なのだ。

 

 

 

 

去年 この桜は咲かなかった。何故だか分からない。花の咲かない木を見上げていると我知らず涙が出た。桜が咲かないことでこんなに淋しい思いをするものかと思い知った 

 

心底悲しい。私の人生も もうすぐ終わるのかもしれないと思うほどふさぎ込んだ。

悲しい春であった。

 

私の気持ちを察してか 今年は豪華な花を咲かせて励ましてくれた。その喜びは如何ばかりであったか。

 

 

 

 

 

        山吹 華鬘草 白山吹 次々咲いた










植物の放つ気に私は圧倒される。重なり合った葉や花に潜む気は私をこの世ではない処へいざなう。庭に居ると不思議な力が私に宿り 気が満ちてくる。どの枝にも どの花にも どの葉にも 美の神が宿っている。

 

私が花を描くのは 仏像を彫っているのと変わらない。祈りである。

 

この世は不条理で出来ている。否が応でも従わざるを得ない運命に翻弄され続ける。その中で 私にとって唯一の救いは絵を描くこと。自ら描いた絵に慰めをおぼえる。 

 

色々な事を見聞きし 経験した。そして思う。自らが選んだように思うことも全ては運命だったのだと。生まれること 死ぬことを自らの意志で選べないのと同様に すべての事柄はめぐりあわせである。どんなに望んでも どんなに努力を重ねても 思うようにならない。思いがけない出来事にも遭遇する。

禍福は糾える縄の如しと言うが 私の縄は禍の部分の長い縄であった。しかし 私はそれを懐かしさをもって思い起こす。

それと格闘しながら生きてきた自分の人生をである。

 

最近生きづらさという言葉を頻繫に聞く。品の無い言葉だ。思うようにならない人生をそのように言っているのか。どんな意味なのか 私には理解出来ない。

では 生き易さとはどのようなことを言いたいのか。全く解らない。

 

孤独だ 孤独だ と言う。何故だ。私には解らない。何をして孤独というのか。

 

人生とは 格闘し 不撓不屈の精神を養う処ではないのか。私はそう思う。上手くいかないと言って嘆かなくてもよい。あれこれ対処すれば良いのだ。失敗ばかりの私であるが それが経験というものであって 次の失敗を克服するための大切な糧なのだ。

糧を求めなくてはならない。次の失敗を恐れていれば糧は得られない。

 

私は天涯孤独の身の上である。両親も兄弟も亡くなり子供も孫もいない。連れ合いは居るが所謂結婚生活とは全く違う。前本も私も 夫とか妻といった関係ではない。

お互いに絵を描くことを最優先にしてきた。近づかないように暮らしてきた。絵を描くためにはそれが一番なのだ。自分の人生は 自分独りで作り上げなくては自分の絵は描けない

 

私は 多分前本も 孤独だと思ったことがない。自分に正直に生きていれば孤独にはならないはずである。孤独になるのは 損得を考えて おもねったり 噓をついたりして保身に走るからなのだ 私は損得という点から見たら 相当損ばかりしてきた。

 

高邁な 敢えて言うが 高邁な理想に向かって人生を歩く覚悟があれば孤独なはならない。高邁などというと 何を偉そうにと思われるかもしれないが 何も私が気高く生きていると言っているのではない。むしろ 私は失敗ばかりの愚かな人生を生きてきた。

しかし 人間は常に高邁な理想を持つべきだと思っている。一歩でもそれに近づく為に不撓不屈で努力してゆきたいと思う。その為に私はいつも時間が足りない。

孤独になるいとまはない。

 

私に残された人生はそう長くはない。遊び半分には過ごせないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薔薇が咲いた。昨年の寒さと 急速な梅雨明け その後の長雨で薔薇にとっては惨憺たる年であった。私は 薔薇達に自らの人生を重ねた。又 気を取り直して歩いてゆこうねと語りかけ 励ました。運命は受け入れる外無い。でも私は再び健気に生きてゆくしかない。

 

 

 

 

                   

                  🌹