前本利彦 「黒猫」12号
五月に入り 森は緑に変った。冬枯れの木立に小さな芽が吹いているのを見つけた。 それから三日で樹々は新しい緑に覆われ 森は萌え立つ。目を見張るばかりの自然の妙である。山躑躅が咲いた。山吹も咲いた。夏のような日があったり 長雨が続いて肌寒くストーブを点けたりの日々だが それでも森は着実に初夏に向かっている。道端にすみれとタンポポがひしめくように咲き 童謡そのままの長閑な春もほんの束の間なのだろう。
冬木立にうっすらと若葉が見える。この頃は 遠くの山並みを見ることが出来たのに。
あっという間に若葉が茂り 南アルプスの連山は姿を消した。樹の間から見える夕焼け空は春の色になった。
八重山吹が咲いて 春はいち一段と進み
華鬘草が咲き出して 初夏の気配を感じる
華鬘草 この花はコマクサの一種らしいが標高の高い所が余程好きなのか 年々株が大きくなる。柔らかな緑の葉が清々しい。仏前に飾る花輪に似ている事から付いた華鬘と言う名が良く似合う。
道端にはタンポポ
ひっそりと咲く白花エンレイ草
海棠は町娘の風情
庭の真ん中に植えた八重桜は葉山の庭で枯れかかり こちらに来てもう駄目かと思うほど弱った。うんともすんとも言わず唯々立っていた。いつまでたっても根が張らず 少しの風で大きく傾き 四方から支柱で固められた姿で何年も立ち尽くすだけの日々を過ごした。
私はその姿を自分のように思う。私は与えられた人生の中に立ち尽くし 毎日毎日一生懸命働いた。運命は水の流れに似て 私は 日々元の水ではない流れに乗ってここまで辿り着いた。私は花を咲かすのだろうか。それを私は楽しみにしているのか。花が咲かなくても良いと思っている様な気もする。
しかし桜は 今年初めて花を咲かせた。寒い森に連れてこられてさぞかし大変な思いをした事だろう。それでも一言の不平も言わず黙って懸命に根を張り続け 花の準備を怠らず力を尽くして生きていたのだ。居間の窓いっぱいに咲いた満開の花を眺めて 私は思った。こういう生き方が理想だなのだと。世の風潮に動じず 降りかかる苛酷な運命に一喜一憂する事無く 黙々と大地に根を張る事に専念し 自分の力で花を咲かせる。何年かかっても 花は咲かなくても構わない 私はそうして生きてゆきたい。
天から与えられた運命を甘んじて受け入れ 人知れず根を張り 自らの成すべきことに力の限り取り組み しっかりとした生涯を過ごしたい。
桜は名前が解らない。長い間に名札を何処かで無くしてしまった。私の名札も何処かに無くなったところでそれは大した事では無い。桜には私が名前を付けてあげよう。
私は自己顕示欲アレルギーなのだ。絵を描く者は大概 自己顕示欲に満ちている。美大に入りそんな人々に囲まれ辟易とした。現代は 美大生のみならず世の中は自己をひけらかす事に終始する者に満ちあふれているではないか。私はそれから逃れたくてこの森に来た。森はいつも静かで 生命が淡々と生きている。したり顔をする者はいない。
確かに絵を描く事は自己を表現する事なのだが それは極めて洗練された形で無くてはならない。ちょっとした思いつきを針小棒大に表現することがインパクトだというのなら それは真に卑しく浅ましい事だと私は感じる。
春の山道を歩く喜びは 長い冬を越したものにしか味わえない
この山では 桜と新緑を同時に見ることが出来る。ミズナラの若芽は黄色がかった白緑で目が覚めるほど美しく 淡い山桜と並んでお雛様になる。
真っ白なリラ
新芽の時から炎の色をした楓
こんな山道を前本と散歩する。勿論犬も連れて歩く。前本が言う。「伝統を壊すなんて一体どういうつもりだったのか 伝統が壊せる訳が無い。一体誰が言い出したんだ 伝統は壊せない」 確かに伝統を壊すことは絶対に出来ない。新しい物にばかり気を奪われてはいるが どんな人の中にも伝統が宿っている。忘れているか 気が付かないだけなのだ。敗戦国日本は自国の伝統文化に自信を失い 欧米の真似ばかりしてきた。日本の国が陥った敗戦後遺症からいつになったら立ち直れるのか。落ち着いて考えてみた方が良い。
さて 五月も半ばになり いよいよ白い花の咲く頃となった。
薄い霧が立ち込め 森に爽やかな朝がやって来た
山吹が散り始めた日 郭公が啼いた。夏が始まった。そして薔薇の季節が巡って来る。
前本ゆふ
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