「春」屛風四曲一双 1993年
「装う女」 屛風四曲一双 1993年
いつかは前本の人物画について書かなければならないと思っていた。あまりにも大きなテーマであるのと 満足な作品写真が手元に無い事が私の決心を鈍らせていた。
今年の冬は例年になく寒い。早い時期に雪が降り 風の無い事が唯一の救いであったはずの八ヶ岳南麓に北風が容赦なく吹き荒れて 氷の中に閉じ込められているのと変わらない。夕刻の富士山は桃色の雲に包まれ 薄藤色の山肌に雪がかかり 暗くなるまでの一瞬は心潤うひと時だが 終日寒い。
外に出る気にはならない。こんな機会に人物画について書いておこうと思った。
まだ美大の学生だった頃 前本は殆ど学校には来なかった。この人が同級生だと知ったのは一年生の夏休みが終わり 批評会に自画像を持って現れた時だったような気がする
北海道の湖を背にして 倦怠感に満ちたポーズで虚ろな表情の自画像はピエロの顔だった。今思えば まったく笑っちゃう若い人の絵なのだが 何故か印象深いリアリティがあった。この人のこの思いは観念ではない 本当にこういう人なのだと誰もが納得できる作品であった。先生達も同じ様に感じたようだ。
以来 この瘦せて透き通るように青白い青年は人物を描き続けた。誰が見ても彼の人物は どの作品もが自画像だと感じるはずだ。
大学を出て公募展に出品するが思ったように入選も受賞もせず 人物画などは売れなくて当たり前であるから貧困と無理解の中で描いていた黒い裸婦は怒りが内在した凄まじい作品であった。八ヶ岳に越す為に古い作品を物置から出して 数十年ぶりに見た。当時はそれが当たり前のように見ていた作品は怒りそのものが形になった 得も言われぬものだった。それは人の怒りとはこういうものと 言葉や態度を超えた切実さを持って伝えていた。凝視することのできない痛ましさを目の当たりにして前本の青春の過酷さを思った。前本はこういった作品を描いておいて良かったと言った。
今回掲載した作品は前本が四十代前半の作品である。この時世の中はバブル崩壊直前のクレイジーな時代であって 絵は投機の対象となった。今となれば 莫迦気た事であって なんの見識も持たない代わりにお金を持った人々が いずれ画料が上がるであろうとふれ込む画商の言うなりになって絵を買いあさった。
画廊は始終企画展を催しては集客に努めていた。「La Moda」はイタリアのデザイナールチアーノソプラーニのデザインした衣装をモデルに着せて描くという企画で依頼があった。冒頭の屛風二作品はその展覧会の案内状に使われた作品である。
案内状に掲載された前本の挨拶文を紹介しておく。
『女性のファッションを題材にした絵はかなり古くからある。人間の持つ美意識の根源に触れるものがあるからであろう。日本では浮世絵がその代表に上げられる。扨て、今回の個展では、イタリアのファッションデザイナー ルチアー・ノソプラーニとの出会いにより、彼のデザインするモードから触発されたイメージをもとに、現代の女性像を日本画で表現するという試みとなった。技術的にも思想的にも東洋と西洋を強く意識しながら仕事を進めた。その交錯した葛藤の中から何かが生まれる筈だと信じている。』
「聖夜」 20号変形
「黒牡丹」 30号変形
「蘭」 4号F
この展覧会には十四点ほどの作品を出品した。ソプラーニはイタリアの寒い地方の生まれだったように記憶している。丸々として良く喋る秘書の男の陰に隠れるようにして現れたソプラーニは 寡黙な大男で大型犬のように優しかった。私は彼のコスチュームを実際に手に取って見て これは前本にぴったりだと感じた。柔らかい薄物の生地と淡い色彩の柄行 春の花々を縫いつけたり黒いレース造った牡丹で衿元に飾った羽織のようなジャケットなど北国独特のメルヘンがあった。 ロマンティックでありながら現代的な叙情が感じられた。前本と共通する感覚があった。
ソプラーニは展覧会のカタログに親切なコメントを寄せてくれたりしたが 程なくあっけなく亡くなってしまった。儚い夢の中の出来事のような展覧会にも想えるが 作品を見るとしっかりとした前本の情熱がこもっている。
その後も前本は次々と想いを形にするように人物画を描いた。これほど自らの感受性に素直に描かれた日本画の人物画はあまりないように思う。前本の心の内に常に在る 自分はこの様な者であり この様な事を大切に思い この様な姿勢で人生を歩んでいる といった言葉には出来なかった様々な想いを切実に 率直に表現している。 しかもそれらを 鍛錬された精度の高い技術をもって 冷静に伝え続けている。北方の人独特のクールな画風の内に込められた想いは強靭である。
「花櫛」10号F
「熱帯魚」 100号M
「クリムトの衣装」 20号P
前本ゆふ
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