日本画の杜 第四十九章 「古樹桜花」 2021・2

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                                                                              前本利彦 「古樹桜花」  30号

 

 

新しい年を迎えた。一月も二月も私は相変らず忙しく ゆっくりと考えるいとまも無いままに過ごした。

 十二月は暖く 雪の無いお正月になるのかと思ったら 新しい年を迎える頃には雪が降り 氷点下になり 震えて暮らした。外には一歩も出られなかった。

この冬は木枯らしが吹く。連日連夜悲痛な声で森を駆け回る。何がそれ程悲しいのか。

 

お正月と言っても 私達はいつもと変わらない。門松は冥土の旅の一里塚である。めでたくもあり めでたくもなしとはよく言ったものだ。年とともにリアリティを増す言葉である。

 

 

 

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窓から見える白い森はまぶしくて 私は目を閉じる。遠くで鹿が啼く。前本が常日頃言う抑制の美とはこんな風景かも知れない。

抑制。現代では滅多に必要とされなくなった。芸術にとってこれ程重要な事は無い。

 日本画にとっては必須の条件であろう。前に押し出すことばかりを考えている現代。

 

表面事に終始する現代に このようなことばかり言っている私は もう古いのだ。年々歳々過去の人になってゆくお正月。

 



 

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日本画は抑制を大切にして来た。如何に深い内容を奥に包み隠すか。それは穢れない美そのものなのだ。

最近は 自分が雪を持ったクマザサの中の小さな草木の一つの様に感じる。辺鄙な山中で 自然ばかりを眺めて暮らしているとそんな気持ちになるものだ。

 

 

 

 

 

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都会から本当に遠く離れて 雪に降り込められ 一歩も外に出ない日が続くと 都会にいた頃の事などを思い返しては不思議な気持ちになる。都会で暮らしていた私は あれは本当に私だったのか

 

私は 東京の中でも武蔵野に近い西荻窪で生まれ育った。七十年ほど前 そこは竹藪と原っぱばかりの田舎であった。忘れな草とシロツメ草の原っぱで遊んだ。窓からは富士山が大きく見えた。夜が白むと 鳥たちがやかましいほど鳴いて目覚めた。

道路が舗装され 自動車がひっきりなしに通るようになって 私の持って生まれた性分のせいか こんなやかましい所からは何とかして離れたいと思っていた。家族の誰もが 便利で豊かな都会の生活を楽しくに送っているのに 私だけが そこからのがれる事を願っていた

 

 

 

 

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通っていた女学校は美しい藤棚があり 運動会の時分になると大きな金木犀にあふれるほど花が咲いた。オルガニストの練習するバッハがチャペルから聞こえてくる。

恵まれた環境 豊かな暮らし。 

それなのに 私だけが誰とも違うと感じずには居られなかった。やり切れない思いを抱えていた。今ならストレスフルな人生と呼ぶにふさわしいのかもしれない。しかし私達の時代にストレスという言葉は無い。何か意に染まないことがあっても 子供は大人の言うことを聞くものであり 我儘を言うものではない 我慢が足りない 忍耐しろと叱られながら育つのが子供であった。

 

群れからはぐれた鳥のような日々。絵描きが揮毫を頼まれて 「雲中一雁」と書くことがある。私も雲間に一人漂うはぐれた鳥だった。元来 絵を描く者はそういったものなのなのか。一人で 考え 一人で決める そういったことしか出来ない種類の人間なのか。

 

 

 

 

 

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冬景色の中を歩むようにして 右往左往しながら二十年近くが過ぎ 結局私は両親と訣別する覚悟で日本画の道に進んだ。祝福されることもなく 冷ややかな疎外感を感じながら摩美に通っていたある日 私の人生を決定づける出会いをした。

 

 

  

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横山操 入学当時の多摩美の教授である。新潟の医院の先代の医者と看護婦の間の不肖の子として生まれた横山は実の両親を知らない。日本画を志して川端龍子の塾で学んでいる二十歳の時に招集され 五年間戦地で戦い その後捕虜として五年間シベリアに抑留され炭鉱で石炭の採掘をした。三十歳で日本への戻るまでの十年間どれ程過酷な生活を強いられたか 私には想像出来ない。それでも「石炭を心を込めて掘った」と話していた。まさしくこれは横山操の真骨頂である。

 

私が多摩美に入った時 横山先生は上級生の受け持ちだった。加山先生とは好対照の男らしい骨格と 聡明で陰のある強面の 魅力的な先生であった。

 

夏の終わり 上野の美術館の玄関の前で偶然出会った私を 先生は少し驚きながらも満面に笑みを湛え 孫娘に語り掛けるようにこんな所へ一人で来たのかと言った。

 

美術学校の生徒が上野の美術館に1人で来るのは不思議なことではない。しかしそう言われても仕方のないほど私は幼かった。ここへ来るのさえ心配した父は 運転手付きの車で送迎してやると言って聞かなかった。白いレースのワンピースに大きな向日葵の造花をあしらった麦藁のバッグ 私はまるきりお嬢ちゃんなのだ。

 

先生と一緒に展覧会を観た。先生はどうして絵描きになろうと思ったのか 聞いてみたくなり あんまり上等な質問ではないと気後れしながら聞いた私に 先生は立ち止まり

 急に真顔になった。孫娘扱いされていた私は直立不動になった。辺りの空気が張りつめた。先生は片手をポケットに入れ 小さな石をつま先で蹴るようにして俯いた。こめかみに真面目と誠実と真剣と正直が浮かんだ。遠くに話しかけるように「何とかしなくてはいけないとね」 それは私を遠いところ 宇宙の底知れない空間に放り込むような言葉であった。

 

ご自分の人生を 敗戦国日本を そして日本画を 何とかしなくてはいけない その他諸々を何とかしなくてはいけない。

 

私は人生で初めて 大人から大人扱いされた。心底思っている真摯な 正直な気持ちを聞いた。

私も何とかしなくてはいけないのだ。

 

その後先生は 再び笑顔で気を付けて帰るように駅までの道順を丁寧に教えてくれた。運転手を待たせてあるなどとは恥ずかしくて言えなかった。。恐縮した。

私は申し訳なく 恥ずかしかった。それからの私は常に 何とかしなくてはならないと思いながら生きて来た。  

 

 

 

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横山先生はシベリアでの無理が祟り 右手が動かなくなり この作品は左手で描いた。

絶筆となったこの絵を見ると あの夏上野の美術館で偶然会った先生のあの横顔が浮かぶ。53歳で亡くなった先生の葬儀には 奥村土牛が列席した。黒紋付羽織袴の土牛は口を真一文字に閉じて 本当に立派だった。土牛は横山操を高く評価している。

当然のことだ。土牛も横山も 崇高な心を持った稀有な画家である。

 

 

 

 

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奥村土牛の 「聖牛」

ポリーニの初来日講演後 感想を聞かれた吉田秀和が 「これ以上何かお望みですか」

と答えた。土牛の作品全てに 私はそう言いたい。

 

       今年は丑年である。私は年女だ。

 

 

                                  前本ゆふ                               

 

 

 

                🐄

 

日本画の杜 第四十八章 「熱帯魚」 2020・12

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                                                                                                              「熱帯魚」100号

 

 

前本が足繫く水族館に通っていた事がある。その頃描いた作品である。前本はどんな音もうるさいと言っていた。水族館でスケッチをするのが救いだった。

それは幼い頃 私の好きな場所のひとつだった油壷の水族館。雨の日が特に良かった。雨にけぶる海。肌寒い夏の日。誰も居ない仄暗い通路を歩きながら 水槽の中の魚たちを見ている時が心ときめく時間であった。音の無い空間。前本も私も 音の無い空間に暮らしていたい人種である。自然の音以外 どんな音もうるさいのだ。

たまに見るテレビは音を消して眺めるだけである。

私達は音のしない場所を求めてここへ来た。風の音 鹿の鳴き声 雪の降る音 鳥の羽ばたき 木の葉の舞う音 それしか聞こえない所を探し続けた。

 

これは生涯変わらぬ性分であろう。そうであれば それを全うするためには 日本画を描いてゆくしかない。独り黙って画室で日本画を描いて いつか静かにこの世から消えてゆきたい。

  

 

 

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深い闇。真の静寂。ここでは 森羅に宿る神の声を聞くことが出来る。不夜城と化した都会の人工的な光と喧騒の中で 私を導いてくれる守護神の声を聞き取ることは儘ならなかった。

 

 

 

 

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私達が音を消さずに観る数少ないテレビ番組のひとつに 宝生の能舞台がある。この世の静寂を呼び起こす笛の音。鼓の響き。静けさに満ちた能の舞台は私達の人生に欠くことのできない心の休息となる。

 

 

  

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油絵と日本画の違いを問われる事がある。私は 迷わず答える。西洋のミュージカルと能の違いだと。能は日本のミュージカルである。西洋のそれが歌い踊るのに対して

能は唄い舞う。 

 

 

 

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演者は能面を付け 大袈裟な身振りをせず ほんの僅かな動きで感情を暗示する。大きな身振り手振りと顔の表情で 舞台狭しと踊りまくる西洋のミュージカルとは対極をなす。

 
 

 

 

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外国の言葉は 強くしたり弱くしたり 強調する部分は相当な勢いである。それに伴って目をむいたり 眉を上げたり ひそめたり 口を歪めたり 何とも派手である。その上身振り手振りが加わり 私には騒々しくてとても長い間はお付き合い出来ない。日本人が 最近そんな風にするのを見ると無理をするものではないと言いたくなる。日本人には 似合わない。日本語は元来 なだらかで大きく口を開いたりするものではない。大仰な事を下品とする感性を持った国であった。あったはずである。

 

 

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幽界から現世へ 橋掛りを渡り 緑青で描かれた松を背景に 能面を付けた演者は摺り足で舞う。囃子方の 抑制の効いた演奏は 感情をオーバーなまでに盛り上げる西洋のオーケストラとは歴然とした差異がある。能は何処を取っても 日本人の感性の凝縮であり 日本画も同様である。深い洞察もなしに 西洋の真似をすることは 日本人の悪いところである。表面的と言う他ない。日本人は 自国を知らなすぎるのだ。

 

 

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土台 私は盛り上げる 若しくは 盛り上がるのが嫌いである。現代社会ではそのことに終始しているようである。日本画も同様である。何もかもが騒々しく うるさく 空疎である。

 

 

 

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お願いだから静かにしてくれ。といつも思う。日本画ぐらい 静かに描いてくれ と思う。 

 

  

 

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今年は暖かい晴れの日が多く 師走に入っても小雪が舞うこともなかった。そろそろ氷点下の朝が来るのかも知れない。もうすぐお正月である。私達は年を取り 年寄りらしい毎日を送っている。私は おばあさんらしくゆっくりと歩くようになり 髪は真っ白になった。私は以前から いつまでも若くありたいと思うことが無かった。美しくきちんと年を取りたかった。年を取ると 成程そういうことかと分かってくることがあり とても面白いものである。

 



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              ❅❅❅

 

 

    

日本画の杜 第四十七章 「秋草と黒猫」 2020・10

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                                                                                                   「秋草と黒猫」

 

 

九月最後の日 成川美術館の個展の為に描いていた30号の新作 2点を搬入した。

疲れた。

それしか言葉が出て来ない。長い闘いであった。前本も私も放心状態になった。

疲れた。何をする気力も残っていない。七十歳を過ぎるというのは こういう事かと思った。

 

富士山にうっすらと初雪が降り今年の秋はいつになく寒い。何日もぼんやりした。

どうやって過ごしていたのか はっきりしない。疲れている。

とは言え もうすぐ個展が始まる。

 

 

前本は今回の個展の新作に 次のようなコメントを書いている。

 

 

『「古樹桜歌」は 山梨県にある樹齢三千年と言われている山高神代桜です。三千年をどのように捉えたら良いのか苦心しましたが 精霊化した長老を 祈るような気持ちで描きました。』 

 

 

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前本は四年程前から この古樹を幾度も通ってスケッチした。しかし三千年の桜の重みを充分に描くことは出来なかったと言う。無理からぬことだと思う。今回の作品が第一歩である。再び 神代桜が咲く頃に描きに行くであろう 毎年毎年。何度見ても描けないものがあることは私もよく分かっている。執念を燃やして 幾度もいくたびも 同じモチーフを見続ける事しかすべはない。個展の作品とは言え 常に完成されたものが出品できるとは限らない。

 

しかしながら 前本は今出来ることは全て出し尽くした。この絵を描いて5キロ近く瘦せた。

毎朝 顔を見るたびにげっそりとやつれてゆく。毎晩殆ど眠れない。元来不眠症であるが 作品に向かっている間は更に神経が尖って熟睡出来ない。当然食も細り お雛様のお道具のような小鉢に盛った ほんの僅かなおかずしか食べられない。

 

私は 前本を支えて来たとはゆめゆめ思わぬ。絵描きは常に独りである。又 独りでありたい者が絵を志す。私は 作家が絵に専念出来る様 協力出来る事はしたいと思っている。しかし 代わりにぐっすり眠ることも ご飯を食べたりすることもできないのである。

 

 

 

 

『「蓮池浄夏」は私の家から車で20分程のところにある 井戸尻考古館と言う縄文博物館の蓮池を描きました。夏の盛りスケッチをしていると縄文時代に戻ったような 静かな 幸福な時を過ごしました。』

 

 

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この蓮池のある辺り一帯は 何時行っても誰も居ない。大通りを右折した途端 縄文時代になる。日差しも 風も 古代となり 音の無い明るい 盛夏 蓮花は咲き乱れる。

観光客が訪れるような人工的に造られた綺麗な場所ではない。雑草の中に野趣あふれる力強い蓮が 照りつける日差しに向かって無造作に咲いていて 何とも気持ちの良い所である。

私は前本を車で蓮池に送り届け 縄文時代を走り抜け 帰途に就く道すがらの夏を存分に楽しんだ。

 

 

今回の個展は 新作2点の他収蔵作品の中から 館主がどの作品を選んで並べるのか分からない。会場はどの様な雰囲気になるのであろうか。個展会場と言うのは独特なものである。作家そのものである。その時の作家の人生が見える。旧作に新作が加わり 一体どうなるのだろう。

 

 

 

 

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今年は秋が深まるのが早い。朝夕は冷える。小紫式部の色づきが良いのは嬉しい。それにしても前本はやつれた。ようやく少し眠れるようになり 尖っていた神経も僅かに柔和になったようではある。それほどまでして何故 絵描きは制作を続けるのか。

 

どうだ上手いだろうと得意げに描く作家は まずやつれることはないだろう。絵がうまいと思っている人の絵はすぐわかる。うまいところを見せたい 見せたいと絵が言っている。

 

随分昔 私は初対面の女の人と銀座で待ち合わせた。その人は満艦飾になって現れた。

私は驚いていたらしい。それを察してその人が言った一言が忘れられない。「持ってるとこ見せなあかん それが人生や」と明るく笑ったその人をなるほどと思った事がある

それも人生かもしれない。

 

絵の場合それは無い。作家が 持ってる技術を見せなあかん 持ってる感性を見せなあかん 実物そっくりに描けてるとこ見せなあかん それが人生だ ではいけない。

絵はそんな安易なものではない。

 

 

 

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名作と言われる作品には 命の炎が揺らめいて見える。命がけで志を遂げようとする作家の 必死さ 真剣さは 私を涙ぐませるものがある。

 

 


 

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秋薔薇の咲く頃が好きだ。そして季節は 初秋 晩秋 初冬と移ろいゆく。前本と私の人生は すでに初冬に差し掛かった。

 

 

 

 

 

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日本画の杜 第四十六章 「リリー」 2020・9

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                                                                                                               「 リリー」 15号F

 

 

 

9月になった。暑かった夏もあっけなく終わった。朝夕は火の気が恋しい。9月は加山先生の誕生月である。先生は夏が苦手でものすごく瘦せる。秋が来るのを待ちわびて早く誕生日にならないかと毎年言った。

 

秋はドーサ日和の日が多い。日本画ではドーサと呼ぶ滲み止めを引く。予めドーサを引いた ドーサ引きと生紙と言う全くドーサを引いていない紙がある。

 

どちらにしても 一回目のドーサでその作品が決まると言われる程 最初に引くドーサの重要である事は 先生から再三言われた。

 

そのドーサに最適な日を私達はドーサ日和と言った。作家が始めて刷毛を下ろすその日である。晴れて乾燥した微風のある午前中がその日である。冬の乾燥は温度が低いのでやはり秋である。

気温 湿度 風が引いたドーサの効きを左右する。

 

ドーサなど引いてあれば良い といった昨今のやり方では最後まで苦労するのは作家自身である。

 

一度目のドーサが良く効いていれば その後塗り重ねる箔や絵の具がきちんと定着するしかも塗るそばからすっすっと乾いていく。下に塗った絵の具が動いて塗り重ねることが困難な状況を 絵の具が泣くというがこうなると作家はまさに泣きたくなる。絵の具が泣くような画面を作った作家の認識不足である。

 

最初に引くドーサは なるべく早く乾かさなければ効きが悪い。もちろん自然乾燥である。

ドーサ日和とは 自然に綺麗に素早くドーサの乾く日和の事なのだ。

ドライヤーや扇風機の風で ドーサや絵の具を乾かすのはもっての外なのだ。邪道。

 

日本画と言うものはそこが一番大切と言って良い。自然に乾く迄待つことである。これは日本画の極意の一つである。

 

如何に ドーサの効いた良い下地を作れるか。

加山先生がドーサを引く時の 厳かな表情はくっきりと脳裏に焼き付いて離れない。厳格な儀式を執り行う司祭のようにこの上なく慎重に しかも熟練した技術者の軽やかで素早い均等な刷毛さばきでドーサを引く先生の手許を私は幾度見ても見飽きることはなかった。

 

 

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合理主義 この厄介なもの。手仕事の面倒さを解消する為に考案される様々な機械。私はその恩恵にあずかりながらも 日本画だけは絶対に合理主義では描けない事 手仕事の尊さ 必要性を強く感じている。

 

ドーサ日和を待ってドーサを引く。この待つという事が大切なのだ。現代人は待てない

機械の速度で物を考えるからであろう。

 

 

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乾き待ちという言葉も 日本画独特の言いまわしである。ある時 テレビの美術番組で

日本画の若手人気作家が片手に筆を持って絵を描きながら もう一方の手にドライヤーを持ち器用にーといってよいものかー作品を乾かしながら得々として制作していた。呆れた。

 

日本画の絵の具には粒子がある。この粒子が自然に整列しながら画面に定着するためにはゆっくりとした時間が必要なのだ。粒子が整列していなければ画面は破綻し 亀裂を生じる。落ち着きのない荒れた作風となる。

 

御舟は 絵の具の乾くのをじっと見ていたそうだ。それは作家が考えをめぐらし どのように描き進めて行くかを模索する時間であったはずである。土牛は乾き待ちの間 近所を散策した。袂に腕を入れ 首を伸ばしてご近所の庭から枝を出している梅に見入っている微笑ましい写真がある。

 

乾き待ちにしろ ドーサ日和にしろ 私はこの日本画のペースが性に合うのだ。そうでなければ こんな山奥の自然以外なんにもない所には住まないだろう。ここに居ると都会のガツガツした動きが ほとほと品なく見えてくるのである。

 

日本画に誠実でありたいという思いが 自然の中で日々育まれてゆくのをこの上なく有難いと感じる。私の中でずっと生き続けている先生にこう言いたい。先生お誕生日おめでとうございます。

 

      

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                  🦋     

 

第四十五章 「椿下白猫」2020・8

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                                                                                      「椿下白猫」50号P (成川美術館所蔵)

 

 

      延期されていた成川美術館での個展の日程が決まりました。

           

     

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         箱根芦ノ湖

        成川美術館

    
                 2020年10月15日 (木)~2021年3月10日(水)

      

 

      「日本画を描いて来て想う事」 

                     前本利彦

 

 私が日本画を書き始めたのは 美術大学日本画科に入ってからです。その頃はアメリカがベトナム戦争に参戦しており 中国が文化大革命に沸いていた頃です。日本ではそれら世界の動向に乗じたように 学生運動が起こっていました。そのような時代背景の中で 革新 新しい日本画が叫ばれ私も新しい日本画を考えていました。しかし自分が描いている新しい日本画に 意気込みと同時に或る空しさを感じていました。時代の雰囲気を取り入れる事で新しさを表現するような事ではなく もっと確かな手掛かりが欲しかったのです。その頃の私達の多くは 伝統を否定しなければ新しいものは生まれないと考えていました。やがて私はその考えに疑問を持つようになりました。私達はそれ程伝統を知らない事に気が付いたのです。知らないものをどうして否定出来るのだろうと思い至りました。それから私は古典を意識する方向に向かって行きました。そして辿り着いたのが古径 靫彦 御舟などの新古典主義でした。深い精神性と洗練された美意識 卓越した技術に心を奪われたのです。ここまでの高みに磨かれて来た近代日本画を足場にして 私達は進まなければならないと思いました。五十歳を過ぎた頃からでしょうか 私は身の回りの自然が今迄より深く美しく感じるようになりました。年齢の所為もあり 命を身近に自覚するようになったのです。私の目は自然に向かうようになりました。それ迄私の絵は頭の中でイメージを創り上げる傾向にありましたが 自然に目を向けるようになって 自分の頭の中で創り上げたものが脆弱で狭いものである事を知りました。絵は見る事だと思うようになりました。見て 心で感じ 自分以外の他を知る事だと考えるようになったのです。日本画は独特の優れた素材を使って描かれます。私は素材 技術から離れた創作は無いと思っています。そして伝統から離れた創作もなく また自然から離れた創作も無いと思っています。

 

                              2020年 盛夏

 

 

 

 

 

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夏の終わり 暮方に私は心から安堵して雲と一番星を眺めている。ようやく成川美術館に出品する新作の制作が終盤を迎えた。個展の日程も決まり 余程の事が無い限り予定通り個展は開催されるであろう。神の采配で 再び延期になったとしても作品は仕上がっている。

今回は30号2点の新作を出品する。苦難に満ちた道のりであった。前本は気持ちを切り替えることが苦手である。日本画教室を4か月間休業せざるを得ず いろいろなことがあった。制作に集中できず憔悴しきった前本を私はどうすることもできない

 

神に祈ることしか出来ない事。人間は自然に翻弄され 神の采配に従わなければならない存在なのだ。自然を敬い 自らの非力さを認めなくてはならない。

 

 

 

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白百合が満開になり いつになく暑い夏であった。テラスの気温は37度になった。お盆休みに遊びに来た子供達の天真爛漫な声に煽られるように気温は上昇する。久々に聞いた賑やかな声に 前本の心は少し長閑になったようだ。ゆるやかに夏は盛りを迎えた。

 

 

 

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歌うように咲く底紅の木槿のこの賑やかな光景を朝の窓から眺めるのが楽しみである。八ヶ岳は お盆が過ぎると秋が訪れる。お盆明けの月曜日 誰もいなくなって 風は秋の気配をはらんでいた。

 

 

 

 

 

               🌼 🌼 🌼

 

                                                            

第四十四章 「オランピア」2020・7

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                            オランピア」50号F

 

 

 

 

夏は夜と言う。八ヶ岳では 初夏は夕暮れである。初夏 雨上がりの夕暮れ 窓越しに鈴を振るような虫の音 ひぐらしの声 花の香りが流れてくる。甘い花の香に満ちた涼やかな夕暮れ。一日を暮らした緩やかな夕陽が森を照らす。

 冒頭の前本の作品にも 夏の夕刻の空気が漂う。曖昧で 少しの退廃を孕んだ 前本らしい夏の捉え方を感じる良い作品だと思う。

  

 

 

 

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 蝶や鳥たちが香りに誘われ 賑やかに飛び交うこの木を私は おはようの木 と名付けた。ここへ来て初めての朝 この木は枝を揺らして私におはようございますと言った。ひょろひょろの枝は少しの風で 首を振った。瘦せて虫に食われ ボロボロになった葉で 懸命に初対面の挨拶をしてくれたのだ。 

見知らぬ土地で初めて友達として迎えてくれた このみすぼらしい木を 私は懸命に再生させた。僅かな枝を残して剪定し 毎年少しづつ樹形を整えた。次の年 一枝だけに僅かな花が咲いた。私は木の花が好きだ。まさかこの木に花が咲くとは思わなかった 花数は年ごとに増え 曲がっていた主幹は真っ直ぐに起きて 倍以上の太さになった。盛んに新芽を吹きながら目に見えて成長し 今ではのびのびと枝を伸ばし 数え切れないほどの花を付けて 私を喜ばせる。

一斉に咲き出す白い花は えもいわれぬ良い匂いで 一日中森を漂う。

窓辺いっぱいに広がった枝々は少々の風で揺らぐことはなくなった。

立派になったね と私は話しかける。

 

女の人は良い匂いがして 綺麗な靴を履いて居るものです と加山先生は常々私に言った。先生が私に何を求めているか その言葉ではっきりと分かった。

良い匂いと良い音は人生に欠くべからざるものである。

 

 

 

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よい画はその周囲をよい匂いで染める とは長谷川潾二郎の言葉である。

  「よい画はその周囲をよい匂いで染める。

   よい画は絶えずよい匂いを発散する

   よい匂い、それは人間の魂の匂いだ。

   人間の美しい魂の匂い、それが人類の持つ最高の宝である。」

                     長谷川潾二郎

 

 

 

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                                                                                長谷川潾二郎 「猫」(油彩 30.9×40.9)

 

 潾二郎の中では一番有名な作品である。小さな絵であるが 物凄いリアリティである。

深い作品である。猫の柔らかい重たさ 顔の短い毛の手触り 無心に眠る猫の息づかい

全てが猫なのだ。見れば見るほど深い作品である。飼い猫のタローを描いた作品はこれ一点だけであるが 長い年月をかけて仕上げてある。猫がこのポーズをとるのは年に2回だけと潾二郎は書いている。この絵が仕上がるまでに何年費やしているのだろうか。右側の髭が無いのはタローが死んでしまったからであろうか。

 

私は潾二郎の作品のどれもが 好きだ。信頼できる作家である。

 

 

 

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「潾二郎の森」と呼んでいる森が 私たちの住まいから数分の処にある。この絵とそっくりな風景で 如何に潾二郎がしっかりとものを見る努力を怠らない作家であったかを思い知るのである。この何の変哲もない風景を作品に昇華させることの出来る作家は多くはない。嘘だと思ったら 描いてみるがいい。そう簡単にはゆかぬはずである。この作家の分厚さは 時間をかけて対象に迫る忍耐と誠実さにある。

 

 

 

 

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窓辺の風景が大好きな私は この「窓とかまきり」がとりわけ好きだ。潾二郎は油絵の作家だが 対象を陰影で捉えていない点で日本画と言っても良い。ルネッサンス以後の油彩画は概して陰影でモチーフを捉えている。

 

セザンヌゴッホも陰影で捉えてない為親近感を覚える。

 

 

 

 

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 これはゴッホの「春のヌエネンの牧師館の庭」と言う作品である。私はこの絵を大切に思っている。この静けさの中に入ってしまいたい。

「対象を見つめていると 人間の尊い知性と入れ替わる」とゴッホは言う。ゴッホの向日葵は本物の向日葵の何十倍も美しい。其の訳は この言葉が教えてくれる。

 

 

 

 

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寒い7月であった。篠突く雨に降り込められ 庭に出ることもなかった。突然激しくなった雨脚を見つめながら 物干しで雨宿りする小鳥の邪気の無い後ろ姿が見られたのは

雨のおかげである。

 

 

 

 

 

 

 

                 ☂ ☂ ☂

 

 

第四十三章 「月下美人」2020・6

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                                                                                         月下美人」扇面

 

 

 

九年前の白い花の咲く頃 私達は八ヶ岳南麓に移り住んだ。今年も白い花ばかりが咲く季節になった。

 

     

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 小雨の降る6月の初め 葉山の家を後にした。新しい家に近づくにつれ晴れて 明るい木洩れ日のあふれた森に 白い木の花がこぼれるように咲いていた。

あれから 十年近くが過ぎたのだ。

葉山の前本のアトリエで 一枚の繪の取材のため柳田さんが通って来られたのはこちらへ来る少し前になる。二年間にわたって 毎月毎月柳田さんは逗子駅からバスに乗り葉山小学校前のバス停から坂を上がって取材にみえた。どことなく古風で ひたむきな青年であった。

前本はそんな柳田さんを好もしく思い信頼して取材に応じた。絵画業界というのは 何かとまやかしが多い。はっきり言えば殆どがインチキである。そんな中で 一枚の繪の編集部は真摯であった。柳田さんは絵が本当に好きで 大切に思っているのが伝わってきた。

今回 その二年間の記事を教室の方が一冊の本にまとめて下さった。夕顔の小品をあしらった美しい表紙の冊子が出来上がった。

 

 

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冊子を見ていると あの頃の事が懐かしく思い出される。此処へ来る前の葉山での激動の時代。そしてここでの九年間。

前本は あの頃とは違う。乞われるままに 自分の気持ちを曲げて依頼主に応えるような仕事をしなくなった。最近は 「無になりたい 虚になりたい」と口癖のように言う

間もなく 72歳になる老画家として最善を尽くして日本画を守りたいと考えている。

 

 

 

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私は幼い頃から騒々しい事が苦手だった。大きな声で笑うオジサンが居ると電車の中でも泣き続たそうで 祖母はずいぶん手前の駅で降りなくちゃならなかったよと話してくれた。けばけばしいもの うるさいもの ゴテゴテしたものなどは物心の付く前から苦手だったようである。

 

日本画に出会った時 これしかないと直感したのは その静けさ しんみりとした風情 淡泊なのに この上ない深さ これ以上求めることは無いのであった。

一生を捧げて惜しくない。日本画のしもべとなろう。

その日本画が絶滅寸前だと思いたくはない。

 

現代の日本画に必要なのは 表面ではなく 奥へ引き込む力  静謐 神聖 である。新しい日本画などは無い。新しい事など はなから無い。何かを創ろうとしてはならない それが日本ではないか。

前本のアトリエの椅子に敷いた座布団は ボロボロに穴があく。365日朝から晩まで座り続けるからである。

日本画にできることは 欲を棄てて座り続ける事しか無い。

 

 

そんな前本の極めて貴重なショットである。

 

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10月に延期になった成川美術館の個展に合わせて描いていた 一点目の作品が完成した6月のある日 庭で郭公が鳴く明るい一日だった。私達は 3か月ぶりで小淵沢の先まで初夏の山道をドライブした。 前本は愛犬と共に後ろの座席に座りで夏を眺めていた。

そして背の低い私の為に 鉄線の蔓も剪定してくれた。前本が庭仕事などする事は一年に3回くらいか。それは 庭へ出る時間がないからである。

 

 

 

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             そろそろ薔薇の季節になる。

 

 

 

 

 

 

 

                  🌹