日本画の杜 第四十七章 「秋草と黒猫」 2020・10

f:id:nihonganomori:20201013210107j:plain

                                                                                                   「秋草と黒猫」

 

 

九月最後の日 成川美術館の個展の為に描いていた30号の新作 2点を搬入した。

疲れた。

それしか言葉が出て来ない。長い闘いであった。前本も私も放心状態になった。

疲れた。何をする気力も残っていない。七十歳を過ぎるというのは こういう事かと思った。

 

富士山にうっすらと初雪が降り今年の秋はいつになく寒い。何日もぼんやりした。

どうやって過ごしていたのか はっきりしない。疲れている。

とは言え もうすぐ個展が始まる。

 

 

前本は今回の個展の新作に 次のようなコメントを書いている。

 

 

『「古樹桜歌」は 山梨県にある樹齢三千年と言われている山高神代桜です。三千年をどのように捉えたら良いのか苦心しましたが 精霊化した長老を 祈るような気持ちで描きました。』 

 

 

f:id:nihonganomori:20201013212435j:plain

前本は四年程前から この古樹を幾度も通ってスケッチした。しかし三千年の桜の重みを充分に描くことは出来なかったと言う。無理からぬことだと思う。今回の作品が第一歩である。再び 神代桜が咲く頃に描きに行くであろう 毎年毎年。何度見ても描けないものがあることは私もよく分かっている。執念を燃やして 幾度もいくたびも 同じモチーフを見続ける事しかすべはない。個展の作品とは言え 常に完成されたものが出品できるとは限らない。

 

しかしながら 前本は今出来ることは全て出し尽くした。この絵を描いて5キロ近く瘦せた。

毎朝 顔を見るたびにげっそりとやつれてゆく。毎晩殆ど眠れない。元来不眠症であるが 作品に向かっている間は更に神経が尖って熟睡出来ない。当然食も細り お雛様のお道具のような小鉢に盛った ほんの僅かなおかずしか食べられない。

 

私は 前本を支えて来たとはゆめゆめ思わぬ。絵描きは常に独りである。又 独りでありたい者が絵を志す。私は 作家が絵に専念出来る様 協力出来る事はしたいと思っている。しかし 代わりにぐっすり眠ることも ご飯を食べたりすることもできないのである。

 

 

 

 

『「蓮池浄夏」は私の家から車で20分程のところにある 井戸尻考古館と言う縄文博物館の蓮池を描きました。夏の盛りスケッチをしていると縄文時代に戻ったような 静かな 幸福な時を過ごしました。』

 

 

f:id:nihonganomori:20201013213845j:plain

この蓮池のある辺り一帯は 何時行っても誰も居ない。大通りを右折した途端 縄文時代になる。日差しも 風も 古代となり 音の無い明るい 盛夏 蓮花は咲き乱れる。

観光客が訪れるような人工的に造られた綺麗な場所ではない。雑草の中に野趣あふれる力強い蓮が 照りつける日差しに向かって無造作に咲いていて 何とも気持ちの良い所である。

私は前本を車で蓮池に送り届け 縄文時代を走り抜け 帰途に就く道すがらの夏を存分に楽しんだ。

 

 

今回の個展は 新作2点の他収蔵作品の中から 館主がどの作品を選んで並べるのか分からない。会場はどの様な雰囲気になるのであろうか。個展会場と言うのは独特なものである。作家そのものである。その時の作家の人生が見える。旧作に新作が加わり 一体どうなるのだろう。

 

 

 

 

f:id:nihonganomori:20201014175101j:plain

 

 

今年は秋が深まるのが早い。朝夕は冷える。小紫式部の色づきが良いのは嬉しい。それにしても前本はやつれた。ようやく少し眠れるようになり 尖っていた神経も僅かに柔和になったようではある。それほどまでして何故 絵描きは制作を続けるのか。

 

どうだ上手いだろうと得意げに描く作家は まずやつれることはないだろう。絵がうまいと思っている人の絵はすぐわかる。うまいところを見せたい 見せたいと絵が言っている。

 

随分昔 私は初対面の女の人と銀座で待ち合わせた。その人は満艦飾になって現れた。

私は驚いていたらしい。それを察してその人が言った一言が忘れられない。「持ってるとこ見せなあかん それが人生や」と明るく笑ったその人をなるほどと思った事がある

それも人生かもしれない。

 

絵の場合それは無い。作家が 持ってる技術を見せなあかん 持ってる感性を見せなあかん 実物そっくりに描けてるとこ見せなあかん それが人生だ ではいけない。

絵はそんな安易なものではない。

 

 

 

      f:id:nihonganomori:20201014175023j:plain

 

名作と言われる作品には 命の炎が揺らめいて見える。命がけで志を遂げようとする作家の 必死さ 真剣さは 私を涙ぐませるものがある。

 

 


 

f:id:nihonganomori:20201015181300j:plain

 

秋薔薇の咲く頃が好きだ。そして季節は 初秋 晩秋 初冬と移ろいゆく。前本と私の人生は すでに初冬に差し掛かった。

 

 

 

 

 

                 ⛆ ⛆ ⛆